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「エネマ・レイプ 隣室の受浣者」
告白= 逸木登志夫(仮名)

背徳の告白手記『太陽と赤いハイヒール』を寄稿をした逸木登志夫氏が再登場。美貌の肉感熟女に強制浣腸を施し、羞恥快楽の彼方へと連れ去るもう一つのエネマ・レイプ体験とは……。『S&Mスナイパー』1981年9月号に掲載された読者投稿を再編集の上で紹介。浣腸プレイが生んだ情念と愛欲の日々、切なくも哀しい結末へ至るインモラル・ドラマを全四回に分けて掲載します。
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施浣対象

先ごろ貴誌に私の告白手記が掲載され、それを偶然読んだ京都の旧友から思いがけず手紙が来て「雑誌をみて驚いた。これは君が書いたに違いない、と友人一同に知らせた所、皆大いに懐しがっている。今度、遊びがてら上洛してくれ」とあり、思わぬ所で旧交を温めることが出来て大変有難く思っている。考えてみると終戦の年の10月から昭和45年に私が埼玉に戻るまで、約25年間京都に住んでいたことになるが、思い起こすとその間、実にさまざまなことがあった。

前に書いた大学寮の事務員の仕事は、余りにも通勤に時間がかかるので結局就職先を再び京都に求めることとなり、以後はずっと京都に居住したのである。

大阪に於ても私は書くべき体験をしたのであったが、今回は少し時代を遅らせて、昭和38年頃の今でもその面影が浮かんでくる木口佐代子という女性について書いてみたいと思う。

この女性は、告白順序が多少前後するが私からエネマ征服を受けた九人目の犠牲者なのであって、その最初の施浣場所などから特に印象が深く、記憶に残っている。

さて前述の昭和38年当時、私は右京区山の内の山王神社の近くに新しく出来た、山和荘というアパートに住んでいた。私の隣室に幼児をつれて住んでいたのが、この佐代子なのである。もし京都の読者でその当時近所にいた人ならば思い当たることもあろうかと思う。私がその山和荘に引っ越して来た時、左隣は空室であり、勝手の分からぬ私にいろいろ教えてくれたのが右隣の彼女だった。

背がすらっと高く、男好きのする顔立ちに、私はこの女性の夫は幸せ者だなあと密かに羨望を禁じ得なかった。

だが二、三日しても彼女の夫らしい人の姿が見えない。不審に思っていた私は、近くの銭湯で同じアパートの人から「あんたの隣の女なあ、あれは二号さんやで」と聞くに至って、初めて合点がいったのである。

彼女は伏見の深草辺りでキャバレーのホステスをしていたという噂だった。伏見には旧陸軍16師団の兵舎がある。戦後そこを進駐軍が接収していたので私は最初彼女を米兵相手のキャバレー女だったのだ考えたのだが、それにしては年齢が合わない。不審に思っていたところ、少しずつ色々なことが分かってきた。

彼女は四人姉妹の下から二番目で、進駐軍相手のキャバレーで働いていたのは上の姉達だという。まあ、いずれあまり良い家庭の出ではないのであろう。

私が驚いたのは、むしろ彼女のパトロンのほうだった。まがりなりにも男の甲斐性でアパートに女を囲っているのであるから、相当やり手の人物かと想像していたのだが、子供の玩具や菓子を持って訪れて来た彼女のパトロンは、意外にも小柄で、貧弱な眼鏡をかけた老人だったのである。

初めてその姿を見たのは梅雨に人った頃のある日曜の午後だった。私が二階の廊下で佐代子の子供と遊んでやっていると、土産を持って階段を上ってきたその老人は、私に向かってへらへらとした笑いを浮かべながら頭を下げた。そして、

「えらいすまんこってす。よう遊んでくれはってて……。さあ、啓ちゃん、おじいちゃんが来たしな」

と、子供を抱きあげて隣室に入っていった。

私は最初、年齢などから考えてこれは彼女の父親であろうと考えた。しかしその夜、銭湯で再びアパートの男と会った際、話のついでに「今日は父親らしい人が来ていたね」とかまをかけてみると、相手は一瞬、なんやそんなこともよう読めないんか?と嘲笑うような表情を見せ、

「あんた、あの年寄りが、女の旦那どっせ。あの女も阿呆やな、あんなおじん相手にせんと、もっとパリッとしたどこぞの社長はんでもつかまえたらええのに」

そう言い捨てるのだった。

傍の男達のほうに視線を向けると、その連中もアパートの住人らしく、皆いっせいに笑い声を立てている。

帰り道でもその牧野というアパートの男は、「あの女かで、年寄りでは物足らへんにきまってるで、あんた隣なんやし、時々相手になったりいな、案外誘われるのん待っとるんとちゃうか?」などと言い、私を苦笑させたものだ。

次の日、私が仕事から帰ると佐代子が菓子折を持って来た。

「きのううちの人が来て、私が隣の人がよく子供と遊んでくれはるというたらとても喜んで、女と子供だけやさかい力になってもらいな、というてこれお礼に渡してと帰りましたんえ」

そう言って頭を下げる。

当時の私は京都駅に近い七条通りのある手芸問屋に勤めていたので、そこで売っている刺繍の壁掛けで、使用していないのを安く買って持っていたのだが、試しに「よかったら飾ってみたら」と渡してやったところ、「いや!(否定の意でなく関東弁のあら!に、相当する)、こんなええもんもろうて、却ってすんません」と嬉しそうに戻っていった。

その日を境に私と彼女とは少しずつ言葉を交わす機会を増やしていった。彼女のパトロンである老人が週に一度しか訪れないのと、啓ちゃんという彼女の子が私によくなついていたこともその一助になっていた。

さて、今から考えても佐代子は美しい女であったし、子供が騒いでもきつく叱りつけたりしない奥ゆかしさも持っていた。そんな彼女がどうして私の施浣対象になったかというと、私が彼女について新しくある点に気づいたことに加え、私達が住んでいた棟の構造が大きなが原囚となっている。

偶然気づいたあることの説明は後のお楽しみとして、先ず後者の山和荘の構造のほうから話を進めてみよう。

この山和荘はA棟とB棟の二階建二棟のアパートで、A棟のほうは部屋数がB棟の二倍であった。すなわち真ん中の通路をへだてて左右に向きあって部屋が並ぶ式のもので、当時ほとんど満室の状態であった。

B棟までの間には共同の洗濯場があり、そして共同トイレは各棟の一、二階の中間の場所にあった。B棟のほうは後から建ったそうで、空き部屋もあった。

このB棟はA棟の様に左右に部屋のある式でなかった。そのため、私と佐代子は他人に見られることなく深入りすることが出来たのである。

私達のいた山和荘を図で示すと次の如きもので、大体の構造はお分かりいただけることと思う。A棟は一階の図を見てもらえばその二階も同じと想像してもらえばよいし、B棟のほうは私達のいた二階だけを略図したものである。



なにしろもう十八年も前の古いことなのだが、ほとんど間違いはないと考えている。

あまり長くなっては読者の方に申し訳ないので、前に述べた偶然気づいたことという本題に入ろう。二階の部屋の住人は私と佐代子の他、トイレを越した端のほうには松尾さんという独身のタクシー運転手がいた。

この人の会社は一週間交替で、日勤と夜勤の繰り返しである。ほとんど顔を合わせることもなく、たまに出会っても軽く頭を下げるだけでほとんど話などしなかったから、夜になるとB棟二階には佐代子と子供と私の三人だけで暮らしているような状態だった。

前述したが、当時私は手芸問屋に勤めていおり、その店は簡単な手芸の内職を出していたので、後にはそれを佐代子に教えてやらせるようになった。そうなると人目のないのを幸い、私は平気で彼女の部屋に入り込むようになり、また彼女も私のところに来るようになったのである。

(続く)

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