マニア告白手記 穿たれたアヌス 第一回 ―スナイパー1980年8月号より― 投稿=宇田島博子(20歳) 絵=石神よしはる お姉さまは、私のアヌスをじっと見つめ、コネコネといじくるのです! |
スナイパーアーカイブ、数回にわたって当時の読者告白手記をご紹介します。
●愛の告白
すすめられるままペンをとりました。大学生とはいえ拙い文章をさらけだして、ほんとうにお恥ずかしい次第です。でも不思議なもので自分の文章、この恥ずかしい手記が活字になって多くの男性の読者の目に届くことを思うと、妙なときめきさえ覚えます。
正面にむかいあっていては、とても口にできない言葉でも、露骨にかくことができそうだからです。自己露出症? といった性癖が私にはあるのでしょうか。
でも、ほんとうは怖いのです。たったひとり、この文章を読まれては困る人がいるのです。それは美智子お姉さま、この私の変態プレイの相手です。見つかったら私はどんなに叱られるでしょうか――。
上月美智子――
やんごとなき妃殿下と同名の、この先輩を、「お姉さま」と呼んでもう一年以上が経っています。札幌市の出身で大柄なプロポーション、松坂慶子に似た美しい人で、ことに燃えるような濡れた双眸が魅力的でした。
私が彼女とふかい関係になったのは、昨年の春、私が広島から上京して、この女子学生専用マンションに入居してからでした。私の父は歯科医で私の東京生活の安全を願って、ここへ入れた、というより閉じこめました。
Mハイツといって従来の女子大寮とビジネスホテルを混ぜ合わしたようなので、地上十三階、地下一階の白亜の建物です。バス、トイレ、ベッド、学習机、ロッカーが個室に備わり、別に学習室、ピアノ室、大浴場などがあり、学生の身分には勿体ないほどのところです。
もちろん保証金や室代は高価でしたが、父は私のために大金を投じてくれたのです。
O大、J大、S学院、K大、W大などの名門女子大生が入居。私たちのH大生も十数人はいました。はなやかな学生マンションですが門限、外泊は制約され、きびしく生活管理されます。もちろん禁酒、禁煙、禁男で、規則を破ると郷里の両親に報告、即退館という制裁を受けます。
私は十一階の112号室で十一班、その入館者の中に美智子先輩が、班長としていらしたのです。上京直後、なにも知らぬ私に、
「なんでも教えてあげるから心配なくね」
やさしい言葉を先輩はかけてくれ、私はすっかり信頼してしまいました。男ばかりの家族の中で育った私は、女性のやさしい愛情に飢えていました。もし姉がいてくれたら……服装やおしゃれ、買物、またBF(男友達)などについても、いろいろ相談できただろうに……ものごころつくにしたがい、いつも私はそんな夢を描いていたものです。
美智子先輩は他の新入生より、ひときわ私を目にかけてくれたようです。大学はW大文学部三年で違いますが、おなし英文学専修なのでした。学年は二年上でしたが、先輩は一年浪人して大学に入っているので、三歳年長でした。その年齢差以上に私は美智子先輩が、おとなのように思えたのでした。
私はときに文学、人生、愛情などのはなしをしました。そして入館二カ月目、あの衝撃的な夜が訪れたのです。ちょうどいちばんホームシックにかかる五月初めでした。私は門限の十時を五分も遅れてしまい、その夜、管理室のK先生からこっぴどくお説教を受けました。遅刻したのは私の不注意ですが、BFと遊んでいたのではなく、地下鉄の線を間違えてしまったのでした。しかし弁解は許されず、私は管理室に呼ばれました。
Mハイツでは門限は十時、遅刻すると始末書、三回以上は両親に報告されます。私はこってとK先生にしぼられ、涙ぐみながら112号室に戻ったのでした。するとそこに美智子先輩が、待ってらして……
「気にすることないのよ。誰だって遅刻するんだから」
私は慰められ、その夜、いっしょのベッドに入ってしまったのです。まさか、そんなことになってしまうなんて、とても想像はつかなかったのですが……
「好きよ、博子さん。あなたが入館して、さいしょ見たときから……」
はげしい愛の告白とともに、私は抱きしめられ、唇、首筋、喉……とあらゆるところにキスされました。
「あっ、先輩……」
私はあえぎながらのけぞりました。
「お姉さまと呼ぶの! お姉さまと……」
美智子先輩は荒あらしく叫び、そして私のパンティの下へ手をすべらせてきました。
「やめてください……」
私は抵抗しましたが、そのうち全身が蕩けていく、うっとりした快感におそわれて、力を失っていきました。
正直に申しあげます。
私はそのときまで処女でしたし、レズの経験はもちろんありませんでした。よくいうオナニーの経験もふつうの人よりすくないのでそんな愛撫を受けると、もうどうしていいかわからず、ぽーっとなってしまったのです。
美智子先輩、いや、お姉さまの指はまるで淫らな蠕動動物みたいに私の外××をいじり、私は生まれてはじめて、熱い昂りのうめきを漏らしていました。
お姉さまは翌日の夜も、私のベッドへやってきました。とても困ると思いましたが、私は拒めなくなっていました。そしていつのまにか、私はそれを期待するようになっていました。
やがて私のほうもお姉さまの体に触れるようになりました。
「そこよ、そこそこ……」
お姉さまは私にいい、私の手指を誘導しました。お姉さまが歓ぶとそれは私の歓びにもなりました。めくるめく思いに私たちは、一夜を抱き合ったまますごしたりしました。
(続く)
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08.10.01更新 |
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