special issue for the summer vacation 2011
2011夏休み特別企画/特集「大人の学究へ向けて」
「痛い恋愛」が陽に灼けた素肌にヒリヒリ沁みる五冊 文=雨宮まみ今年の夏の特別企画はWEBスナイパーの豪華著者陣による、大人の研鑽に必要な名作・傑作のプレゼン祭り! 夏休みのまとまった時間に改めて、あるいはもう一度触れておきたい作品群をジャンル不問で紹介していただきます。第四弾はAVライター・雨宮まみさんによる「痛い恋愛」をテーマにした恋愛小説のススメ。「曖昧で不確か」な「恋愛」が貴方にもたらすかもしれないものを、一筋縄ではいかない作品たちから丁寧に汲み取って紹介していきます。
これから紹介するのは「痛い恋愛」を描いた作品である。決して「イタい」恋愛ではない。はたから見て「イタい」と言われることがあっても、私はそうは思わない。
『空とシュウ』LiLy
恋愛エッセイから書き手としてのキャリアをスタートさせ、携帯サイトに連載した恋愛小説のヒットをきっかけにあっという間に若い女性の支持を集める作家となったLiLy。文学的な文脈で語られることはあまりないが、若い女の子の見栄や劣等感、仕事も恋愛もオシャレもキャリアも、とカッコいい女性像を追い求めても得られない挫折感を描くことに関しては、1ミリもズレないリアルを描いていると言える作家だ。
『空とシュウ』は、15歳のときからつかず離れずの関係を続けているシュウと、主人公・のあの物語である。二人の関係は強いて言うならセックスフレンドだが、定期的に会っているというわけではなく、何度も切れかけてはつながる特殊な関係だ。セックスでしかつながっていないからこそ、会う前にセックスすることを想定して香りのいいボディソープを選び、着けたことのない下着を選び、会うなり興奮し欲情しそのことで頭がいっぱいになる、そういう密度の高い関係に二人は陥っていく。セックス描写が美化されず、きっちりゲスな感じにエロい。エロいだけに、それで満たしたいものが満たされないのがキツくも感じられるし、エロいからこそ傷つこうがどうしようが、ひたすら没頭するためにそれを求めてしまう気持ちをバカなものだと切り捨てられない。
自分が男を興奮させられると確認するために、自分の女としての価値を確認するために、ギリギリで生きてるキツい人生から一瞬逃避するために、恋愛かもしれない、特別な絆があるのかもしれないと信じたいがために、のあは「そのときそうしなければならない、のっぴきならない理由」を抱えてシュウとセックスする。その切実さに比べると、シュウではない男との「ちゃんとした恋愛」でさえ、なんだかとても退屈で軽いもののように見えてくる。
恋愛ではなく、主人公がただ、ひりひりしたものがいちばん重くのしかかっていた若い時代、十代から二十代の間の季節に決別するという「自分自身の物語」を描いているとも読めるようになっている。
シュウとのあは、ひたすら自分の都合でエゴと性欲の駆け引きをしていて、二人の関係は「未熟な痛い、恋愛未満のもの」なのかもしれない。余裕でそれを楽しんでいるわけではなく、セックスの甘い果実を貪り、それを貪ったことによる胸焼けや苦しさをしょいこみ、でもそれ以外にどうすることもできないそのときの精一杯の感情の強度をなんと呼べばいいのか考えると、やはり「恋愛」という言葉がいちばんふさわしい気がする。こんな関係が未熟なものだとしたら、人はいったいいつ成熟し、大人になるのか。むしろこのなりふりかまわない欲望まみれの未熟さこそが「恋愛」なのではないだろうか。物語は綺麗な形で終わるが、実際はそんなに簡単にこのような未熟さを卒業することはできないのではないかという疑問が残る。
LiLyの作品の特徴として、ろくでもない男のセクシーな魅力が他にはないくらい「ああー! これ、これなんだよね!」という納得度で描かれてるというのがあるのだが、この作品のシュウはその中でもダントツでひどくてエロくて、そういう男特有の甘い魅力がある。
『オートフィクション』金原ひとみ
『蛇にピアス』で芥川賞を受賞し、『蛇にピアス』読んであんま良くなかったからそれ以来読んでないわーという人も多いが、もったいないから読んでください。金原ひとみは『蛇にピアス』『アッシュベイビー』のあとの作品のほうが圧倒的に面白い。
文学に対してこういう浅い言葉を使っていいんだろうかとためらうが、今まさに世間にあふれかえっているメンヘラ気質の女の恋愛を書くことに関して、金原ひとみの右に出るものはいない。メンヘラっぽい女の中で恋愛感情がどのように切羽詰まっていくのかということを、自動筆記のようになめらかな感情との齟齬のない言葉で書いている。
美しくなければならないという脅迫観念や愛されないことへの過剰な恐怖といった、精神病なのかそうでないのか判別のつきにくい状況で苦しんでいる女が金原作品にはよく出てくる。そういった女の思考をそのまま抜き出してあるかのようなグルーヴ感のある文章は、金原ひとみ作品以外では味わえないものだ。
最初の章ではハネムーンからの帰路、飛行機に乗っている主人公と夫の姿が描かれているのだが、スチュワーデスが親切にしてくれただけで「こいつは夫に色目を使ってるに違いない!」と思い込み、夫のコースターをひっくり返しては電話番号が書かれてないか確認し、彼がトイレに行っただけで「さっきのスチュワーデスとトイレでヤッてるに違いない! 絶望だ! 死だ!」と妄想爆発。こう単純化して抜き出すと大変な妄想女の話みたいだが、実際にそうだとも言えるし、妄想自体は笑い飛ばせても、その妄想の原因になっている「得体の知れない不安」は笑い飛ばすことができない。恋愛の真っ最中に誰しもが感じる、いったいどう変わるか感知することのできない自分や相手の「感情」の不安定さに対する不安がどんどん加速度的に増幅していく冒頭は圧倒的だ。
彼と出会ってやっと真実の愛を見つけたと思ったのに「どうして世界は彼が浮気した瞬間に破滅するシステムになっていないのだろう」と主人公は考える。恋愛というものが自分の命にかかわるほど精神的に重く大きな存在なのにもかかわらず、それが破綻しても肉体的には致命傷を負えずに呼吸をし続けなくてはならない理不尽にマシンガンをぶっ放したつもりが水鉄砲だった! みたいな、激しくシリアスな感情と現実に起きている出来事のバランスが悪すぎて間抜けさを持て余す感じが最高にいい。
主人公は夫の部屋から聞こえてくる物音から不安になるようなことを想像してしまうのが怖くて死ぬほど悩んで、音を聞かないために「ノンストップ溌剌トランス」を聴きながら踊って体が温まって暖房を消したりする。曲と曲の間の無音の時間に物音が聞こえるのが怖いからノンストップものしか聴けず「ノンストップ溌剌テクノ」「ノンストップ溌剌ハウス」と、ノンストップをとっかえひっかえ聴いているのだ。頭の中はめちゃくちゃシリアスなのに、実際は「ぽうっ。ひゅうっ。」というしょうもない音に合わせて踊ったり、酔っぱらった勢いでなぜか受けてしまった「UFOについて」の取材で何しゃべったらいいかわからずパニックになりかけたりしている。その落差や乖離がすごい。主人公にとって恋愛は命がけの真剣なことで、些細なことでそれが破綻するのではないかと不安に切羽詰まっているのに、毎日の生活はかなりしょうもない感じで恋愛と無関係などうでもいいことを消化していかなきゃいけないイライラが積もり積もって毎日キレる寸前。シリアスと間抜けの間で、表面張力だけで保っているギリギリの日常は、恋愛中の人間の日常そのものである。
『たまもの』神蔵美子
写真家の神蔵美子と評論家の坪内祐三、編集者の末井昭の恋愛関係を写真と文章で神蔵が綴った、エッセイのような私小説のようなドキュメントのような、しかしこの形でなければならなかったのだと感じられる一冊。三角関係と呼ぶにはあまりにも違和感のある、取った取られたや別れるの別れないのではない、簡単にはあり得ない「嘘のない関係」を実現しようとする三人の姿が描かれている。この本がそういう本だと誤解して欲しくないのでいやな言葉をあえて書くが、いわゆる暴露本的ないやらしさ、自分を正当化するかのような一方的でエゴイスティックなものの描き方を、この本からは感じない。
「嘘のない関係でいる」こと、世間の常識やモラルに自分や相手をあてはめるのではなく、心をごまかすことなく表現し、相手の心も受け入れること、そうしたことを「やっていこう」とする真摯な姿勢、どうしても途中で止めることのできない、人と人が惹かれ合うことの勢いや大きな流れが、そっとつぶやくような文体でディテールを積み重ねて描かれている。
写真からは、大人の男、大人の女の魅力や存在感が存分に伝わってくる。色気、性的魅力、情、いとおしい感情が溢れてくるような情感のある写真の力に心を掴まれ、引き込まれる。
目指さなければ、理想の関係は手に入らない。でも一度目指してしまえば、その輝かしい理想に向かって、長くけわしい苦しい道のりがはじまる。「恋愛」という、ときに甘ったるく感じられる言葉で語るのがはばかられるような道のりだが、真剣に恋愛をするというのは、本当はこのくらい生き方そのものを問われることなのかもしれない。なにもきれいごとにせず、複雑な感情を単純化せずひとつひとつていねいに拾いあげ、磨いたパーツをはめこんでいくような手法で描かれており、ひとことで「こういう話です」と言い切れない部分、言い切らない部分に書き手の誠実さを感じる。これに似ている作品はほかに何も思いつかない非常に稀な作品だ。恋愛を実りある豊かなものに着地させられるかどうかは、その人次第なのだと思える。
『恋愛中毒』山本文緒
恋愛に苦しんでいるとき、私は漠然と「いつかはこんな苦しい恋愛を卒業して、結婚とかして心が安定した幸せな生活をするんだ」と、意志とも願望ともつかないことを思ったりしていたものだが、そんななまぬるい希望を徹底的に打ち砕く恋愛小説の傑作。恋愛の醍醐味の麻薬的な逃れられない苦痛と快楽、果てしない駆け引きを息苦しいほどの筆力で描き、恋愛を「きれいで素敵なこと」の地位から引きずり下ろし徹底的にその醜さを暴いてゆく。そして、その醜さを骨身に沁みて知りながら「それでもやめられない」恋愛という魔物の姿をくっきりと浮かび上がらせる。恋愛という魔物に実体などなく、それに中毒する側の「熱狂」にしか真実はない。そしてその「熱狂」は、ほかのものでは替えがきかないのだ。力尽きるまで踊り続けるしかない赤い靴の少女のように、大の大人が苦行のように激しい「恋愛」にうんざりしながらも執着し、まるでそうするしかないみたいに踊り続ける姿は、ホラー小説並みに恐ろしい。甘く酔った恋愛を想像して手に取ると大ケガしそうなので要注意。
『ダーク』桐野夏生
「四十歳になったら死のうと思っている」という書き出しから始まる長編小説。この作品は「女探偵ミロシリーズ」と呼ばれているシリーズの現時点での最新作で、シリーズを順番に読むに越したことはないが、シリーズの中でもこの作品だけ異様なボリュームとテンションなので通して読んでもかなり面食らう。いきなり主人公のミロがむきだしになったかのような激しさがあるのだ。
ミロはある出来事をきっかけに、自分の存在を賭けて、自分の人生にけりをつけようとする。「私、今年の一月で三十八になったんですよ。中年です」と語るミロは、死のうと覚悟して動き出した瞬間、今までになかった獣のような獰猛な本性をむき出しに、全力で生きはじめる。そして、今までに出会ったことのない男に出会う。
もう若い女ではない女の、自分自身にも人生そのものにも歯を立て噛み付き食い込んでくる男との「恋愛」が、大きな物語のうねりの中で絶望や怒りとともに描かれていく。「恋愛」の周りにいろいろなものが絡み付き、身動きが取れなくなって身体ごと叩き潰されそうになる状況はノワール小説のようで、「ダーク」はその言い換えなのではないだろうか。恋愛を軸に描かれた恋愛小説ではないかもしれないが、読後にもっとも強烈に残るのは、男と女の呪われたみたいな、生まれる前から刻印されているかのような、そんな関係である。
「女」を描くことに定評のある桐野夏生だが、女に訪れる老いとの境目のあるひとつの季節を、今しか書けないというタイミングで書いた、激情の宝石のような作品だ。
恋愛の話は、他人にしても無駄である。誰に正しいとか間違っているとか言ってもらったところで、自分にその関係を切る気がなければどうしようもないし、自分にしかその恋愛に引きずり込まれる理由はわからない。別れて会えなくなれば、自分たちの記憶以外にその関係を証明するものは何もない。その記憶でさえ、自分のものと相手のものはまったく違っていたり、お互いに見当はずれな場所にスポットライトをあてていたりする。生活として着地させない限り、今ここにある現実の生活とは違うパラレルワールドに行ってるようなものだ。そんな曖昧で不確かなもの、必ずしも結婚や出産といったわかりやすい「実り」を生み出さない、非生産的で心身ともに削られるような思いをさせられるもの、それが恋愛だ。
不景気で堅実志向、安定志向、早婚志向の今の世の中で、こうした非生産的なだけでなく傷を負う可能性すらある不安定な恋愛はバカバカしいものだと嘲笑される傾向にあるが、一生必死にがんばってもせいぜい庭付き一軒家程度の実りしかなく、普通に生きてるだけで死にたくなるような閉塞感ある人生だったら、いっぺんぐらいどぎつい恋愛の味とはどういうものなのか味わってみるのもいいんじゃないだろうか。安定や希望あふれる未来によって心を支えて生きることと、不安定の波間に見える希望や快楽のために生きることは本質的に何も変わりはしない。どんな人間でも、人生は当座をしのいで生きていくしかないのだ。酒や薬と同じように、恋愛に溺れるも溺れないもその人次第だが、どのくらい強烈なものか知っておく必要はあるのではないかと思う。
文=雨宮まみ
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雨宮まみ エロ本を中心に活躍中のエロ・AVライター。1976年生まれ。2000年ワイレア出版入社、投稿系エロ雑誌の編集に携わる。2002年フリーライターとして独立。主にAV誌を中心に取材やレビューなどの執筆活動を続けている。また、弟に向けてAVを紹介するという形式のAVレビュー系ブログ「弟よ!」も話題に。
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