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『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』
著者:ジュディス バトラー
訳者:竹村和子
発売日:1999年3月
出版社:青土社
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特集:セックス表現の現在形2012
対談:村上裕一・佐藤心/萌えとセックスの過去・現在・未来【4】
かつては秘匿されてきた性の営みがメディアと技術の発展で白日の下に晒されている現在、様々なジャンル・作品においてセックスはどのように表現されていくのでしょうか。ゴールデンウィークの特別企画として好評を博したテーマをさらに掘り下げるべく、連載「美少女ゲームの哲学」でお馴染みの批評家・村上裕一氏と、ゲーム『波間の国のファウスト』が好評発売中のシナリオライター・佐藤心氏によるスペシャル対談をお届けします。縦横無尽な対話の先に見えてくるものとはいったい何か......。4週に分けてお届けしてきた貴重な思索の記録、今回が最終回です!!
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■抱きまくらのいる日常20xx年

佐藤心(以下「佐」) 初音ミクの話題から、未来志向の話をさらに展開させていきたいのですけど、村上さんは『ゴーストの条件』の中で「人形」というテーマを論じられていて、これと未来を掛け合わせるとアンドロイドみたいなSF的ガジェットが浮上してくると思うんですね。まさに未来感溢れるテーマですが。

『イヴの時間 劇場版』[Blu-ray] 監督:吉浦康裕 発売日:2010年7月28日 販売元:角川映画
村上裕一(以下「村」) 『ゴーストの条件』の中でその問題をしつこく扱っていて、その一環で『イヴの時間』(ディレクションズ、2008年)というアニメーションを取り上げました。要約すると、あれは人間とアンドロイドの関係を、「使う―使われる」から「慮る―慮られる」にした上で、人間もアンドロイドから慮られているんだ、その点では一緒なんだ、ということをいっていたアニメです。ロボットに依存するのを単純に肯定しているのではなくて、他者とのコミュニケーションにおける倫理としてこういうことを考えているんですね。
とはいえこれだと抽象的すぎるので、もう一つ分かりやすい例を出します。先日テレビで『世にも奇妙な物語』(1990年)を観ていたらこんな話がありました。
いじめを改善するロボットを作ろうという話です。そのロボットには人間的な知性が与えられていて、しかも自分が人間だと思いこんでいるんです。そして、持ち前の正義感でよくいじめの現場に突っ込んで行くんですが、実は、自分が誰かの代わりにいじめられることで、他の人間をいじめから守るということが使命だったんです。これはダークなショート・ショートですよね。こういう「人形を供犠に捧げましょう」という発想はもうやめにしたい。こういうところに現われるロボットは、もうほとんど人間ですよ。

 どこまで人間に近づけば人間なのかという問題系が立ちあがるんですよね。

 これは「何を以って人間は人間なのか」ということですね。人形の精巧さを高めていくと、ある地点から不気味に見えてくるという、「不気味の谷」という概念があります。見た目を似せただけでは人間になれない。それ以外の要素の総体として心のようなものが表われてくる。

 見た目がいくら精巧でもコミュニケーションが成立しなければ人間っぽさを感じないが、逆に絵でしかないキャラクターが相手でも、そこにコミュニケーションが存在しているように感じられれば途端に人間っぽく思えてくる。「心がある」ように感じるわけですね。

 効果ですよね、心って。

 仰るとおりコミュニケーションの効果であり、相手を人間と見なすこちら側の読み取り効果でもある。しかしロボットと人間を隔てるのが心の有無で、なおかつ心が効果であるならば、アンドロイドが誕生する技術的飛躍を待つまでもなく、今ここにあるキャラクターがすでにアンドロイド的だといえるのではないでしょうか。つまり村上さんふうにいえば、固有名を持ったキャラクター、他者に名指しされ、コミュニケーションの回路に組み込まれた存在はもう十分にアンドロイド的領域へと踏み込んでいる気がするんですよ。むろん欠けているのは身体性ですけど、この世にはキャラクターに身体を与えた抱き枕というものがある。

 物理的な話になってきましたね。

 いやまさに物理的な話なんですが、どう思います?

『To Heart(1)』 [DVD]  発売日:1999年6月4日 販売元:ケイエスエス
 抱きまくらに抱きつくのは普通のことですが、そのまくらに人間のメタファーを与えた瞬間に凄く性的になりますよね。それが最初の問題になってくるのかもしれません。例えばパペットマペットという芸人がいたじゃないですか。彼は巧みにぬいぐるみを操ることで人気を博しましたけど、それはあくまでも牛やカエルだったんですよね。あまり人間的なものじゃないほうが安全な気がします。『ToHeart』(Leaf、1997年)のような美少女ゲームが、わずかな目パチや笑顔などの差分による表現で強力な感情移入を作り出してしまったのは、そういうことなのでしょう。

 確かに性的なニュアンスはついて回りますが、同時にもっと牧歌的なものかもしれませんよ。僕が考えているのはこういうことで、抱き枕というのは多くの場合、独身男性の孤独な世界に閉じていて、「これは俺の嫁だ」などといい張っても所詮は妄想か、せいぜいネットの友人に承認された「嫁」以上のものではないのですけれど、彼女が実家の親や家族にまで「嫁」だと認められたとしたらどうでしょう。

 実家に抱き枕を持って行って、「これが俺の嫁」宣言を......?

 そんなことやったら「気でも狂ったのかこの息子は」と勘当されたり、泣かれたりするのが普通の反応ですけど、レアケースを想定するんです。実家に連れて行った初音ミク抱き枕を紹介したところ、家族みんなが「あら、ミクちゃんっていうの、可愛い子ね」と反応する場面があるはずなんですよ。一番キモがると思っていた妹ですら「スーパーに買い物行くんだけど、ミクちゃんも連れてっていい?」って聞いてくるんです。こうなったらだいぶ様相は違ってくるのではないでしょうか。

 僕の中ではそうなるべき世界があるということになっていますが、そういう認識ができるのは訓練された兵隊だけですね(笑)。

 そこまで人は幻想優位にはなりそうもないということですか。確かに家族の一人が「みんな兄貴の嫁とかいってるけど、ただのぬいぐるみじゃね?」ってなった瞬間に、こうしたコミュニケーションは崩壊してしまいそうですね。

 でも、そいつが蚊帳の外に放逐されて終了するだけじゃないかって気もします。

 どっちなんですか(笑)。

 もちろんこういうものは文化的なものなので時代によりけりだと思うんですが、もしもその辺を裸で練り歩いていた人がいきなり街角でセックスしはじめたら逮捕されちゃいますからね。

 そうなんですよね。セックスというのは秘匿的なものですから、特殊性癖を除けば、他人のセックスを見てしまうことは非常におぞましく感じられる。同じように抱き枕に性的ニュアンスを感じ取った途端、アウトでしょうね。ともあれこういった性に潔癖な感性は近代的なものなのでしょうか。

 江戸時代以前がもっと性的にオープンだったことを思い出せば、近代的なことは間違いなさそうですね。ただ、さらに古いですが、『源氏物語』なんかを見ていても、一応秘め事は隠れてやっているようだし。

 それはセックスが恥ずかしいものだという感性以前に、生殖行為の無防備性にルーツがある気もします。睡眠時に次いで警戒心の薄いシチュエーションですから、あけっぴろげな生殖を厭わなかった種は淘汰されてしまい、人類というのは生殖は「隠れてやる」べきだと学習した遺伝子を受け継ぐ種なのかもしれません。

『ものぐさ精神分析』 著者:岸田秀 発売日:1996年1月 出版社:中央公論社
 岸田秀のモデルを想起しますね。彼は『ものぐさ精神分析』(青土社、1978年)で人間は本能が壊れた動物であるといっています。というのは、人間も生物だから本当はどんどん子供を増やさなきゃいけないわけですが、実際には避妊をするわけですね。だから本能が壊れているということです。これを先鋭化させると、つまり生殖に関わるセックスにこだわっている人間は文化的に後退している可能性があるのかもしれない(笑)。

 露出プレイ自体が一種のパフォーマンスですしね。

 動物的な軛から逃れる方向に文化が発達していくような流れがあることは自然なことだと思うんです。その流れがあって絢爛豪華な、強い勢いのある文化として特にインターネットと協調しながらキャラクター文化が花開いていくことは間違いないと思っています。しばしば表層の性的要素だけが論われますが、可能性の中心はそっちではない気がする。

 私的な妄想の発露に見えつつ、多くのものがパフォーマンスと化していくのがネットの特徴ですからね。先ほど申し上げたような、抱き枕を実家に連れて行く的な話も、実際はネタとして消費されるのが関の山でしょう。

 某掲示板のスレッドのタイトルが目に浮かぶようです(笑)。

 まったくです(笑)。もっとも僕個人はネタよりガチの人間なので、本当に抱き枕が嫁ならば実家に連れて行きたいし、二次元の世界にあるものを三次元に落とし込みたいという欲望が厳然とあるんですけど。多くのオタクは「二次元の世界に行きたい」と繰り言のようにいいますが、僕はそれこそ、三次元の世界そのものが二次元の世界にならないかと昔は本気で思っていました。

 二次元のやつらとコミュニケーションを取るためには、四次元に行く必要がありそうですけどね(笑)。

■ファルスと性エネルギー

 『ゴーストの条件』に書きましたが僕はちょっととっぴな仮説を持っています。それは斉藤環の戦闘美少女理論から引いているんですが、全てのキャラクターはファルスを持ってるんじゃないかということです。戦闘美少女とは要するにペニスが生えた女の子だという分かりやすい見立てがあるじゃないですか。僕は、全部がそうだと思っているんです。

 キャラクターが、ですか?

 そうです。キャラ立ちしてるキャラクターはみんなそうじゃないかという疑惑を持っています。

 なんでそう思うんでしょう。

『EMOTION the Best Simoun(シムーン)』 監督:西村純二 発売日:2011年1月28日 販売元:バンダイビジュアル
 以前に「アニメルカ」の原稿で『シムーン』(スタジオディーン、2006年)を引きながら考えたことがあります。この作品では中性的な状態が凄く重要なんですが、それにも二種類ある。一次性徴未満の子供たちは、確かにパーツとしては性器があるけれどほとんど区別がつかない状態です。ところが二次性徴以降はそういうわけにはいかない。『シムーン』ではそういう存在が一種のアンドロギュヌスとして聖なる役割を担うことになりました。そこからの連想ですが、男女の感情移入をあまねくとらえる形象というのは、そういうふうに両方の要素がなければいけないんじゃないかと思ったんです。それは、男性と女性の両方の特徴を持っていることもさることながら、未成熟な状態とそのまま成長してしまった状態の両方の特徴を持っているということでもあると思うんですね。そういう両義性が、ちょうど現実と虚構を媒介するような働きをしているのではないか。
こういうことを考えると、しばしば男性が登場しない日常系や百合系の作品になぜ男性ファンが撞着してしまうのかということが分かってくる気がするんですね。もちろん女子高を覗きたいというような欲望で観ている人もいるかもしれないけれど、どうもそういうばかりではなさそうだと。こういう没入を誘い込む強度のようなものを説明する理論として、実は戦闘美少女理論があるのではないかと思ったんですね。戦闘とつけると誤解ばかりが広まるので、もはやもはや美少女の精神分析でいいのではないか、と思っていますが。

 ここにずっと依存したいと聞くと、子宮のモデルをつい考えてしまう。ファルスとどういう関係になるのか知りたいですね。

 最近、僕はよく子宮のメタファーでものを考えがちなんですが、それで気づいたのは、子宮の中には何が入っていてもいい、ということですね。男でも女でも構わない。それら以外ですらいいのかもしれません。

 性別も不確定なまま漂ってるわけですか。

『ラカン派精神分析入門―理論と技法』 著者:ブルース フィンク 訳者:中西之信、椿田貴史、舟木徹男、信友建志 発売日:2008年6月 出版社:誠信書房
 ラカン派精神分析では「女性は存在しない」ということをいってよく議論が紛糾するんですが、それは逆にいえば普通の意味での男も存在しないってことだと思うんですよね。

 なるほど。

 そういう点からいえば、僕はファルスっていうのものは要するに性エネルギーなのだと思うんです。性を分割するためのエネルギーだといい換えてもよいですね。だからそれ自体は性じゃないものですが、それが収まる場所、その懐胎場所として子宮があると考えると、いろいろ整理されるように思えます。

 エネルギーといわれるとちょっと分かってきました。BL の話につなぐのは少々飛躍がありますけど、エネルギー量の多寡で「攻め/受け」を見定められそうな気がします。しかもエネルギー量の多いほうを「攻め」と見るならば、その位相は逆転可能だし、同時にそれらの交換可能性をも示していると。

 古事記を思い出しますね。古事記だとイザナギとイザナミが出っ張ったところと欠けたところ、これをあわせて完全になろうといって交わるじゃないですか。これも一つのアンドロギュヌス的発想ではあると思うんですね。別に男女どちらかの優位を語っているわけではない。ファルスの話もそうで、ラカン派精神分析では、子供は母親にファルスが欠けているから、自分をその代補として認識するというような話があります。性差による違いはあるのですが、機能的にはほぼ同一です。その後、自分が母親のファルスにはなれない、と認識することが去勢なのですが、ともあれ、なんで子宮の中に子供がいることが正当化されるのかというと、子供が母親の失われたファルスだからという説明になるのだと思います。

 よく分かってきました。つまりファルスがあるかないかではなく、キャラクターの存在そのものがファルスであるということですね。

 その通りです。だから古事記が国産みの話をああいう形で始めたのではないかな、と思います。なんで今この話になっているかというと、責めと受けが交換可能な理由が、要するにこういうことなのかなという感じがしたからですね。確かに陽性か陰性かみたいな違いはありますが、両方揃わないと完全じゃないから、常に状態が交換可能になっている。こんな抽象的な話、記事になるんですかね(笑)。

 村上さんが飛ばしてることだけは確かですね(笑)。

 だから、処女厨問題がある一方で、別なトライブでは処女は処女で気持ち悪いみたいにいわれたりすることがあるのかなと思います。

 処女に似たことでいうと、子供や幼児ですね。村上さんの仰った話を整理すると、キャラクターというのは性別不定のままたゆたっているが、ある刺激が加わりエネルギーの濃淡が生じると、それが性別のごときものとして現われてくる。しかしだとすれば、そうした濃淡が生じる以前のキャラクターというのは性未満だと考えられるわけですが、僕の理解ではそうしたキャラクターの特質を捉えているクリエイターの好例が麻枝准だと思うんです。彼の描くキャラクターはしばしば幼児的で子供っぽいわけですが、カップリング以前の魅力を引き出す上でそれがもっとも有効な方法だったと考えれば極めて分かりやすい。

 その話は僕にとっても本質的ですね。よくゴーストモデルの典型で初音ミクを持ち出していますが、しかし根源的な発想源として僕が考えるのはやる夫です。

やる夫は印象としては男ですし、男の性欲を体現しているところもあるんですけど(笑)、率直にいえばそもそも男とか女とかいう以前の姿をしていますよね。

 おまんじゅうみたいなものだと。

 そうそう。あっちが赤ん坊で、ミクをある種の完成した女性と考えると、今の話がすっといく。

 なるほど。

 でもこれは気持ち悪い話になりえます。初音ミクを一種の操り人形だと考えることは簡単ですが、実際にはむしろミクによって使い手の力が引き出されているところがあります。こういう転換を僕は「人形からゴーストへ」とでもいう形で表現しています。

そうすると今度は逆にユング的な見立てが出てくる。初音ミクはグレートマザーではないか。しかしこのマザーはリアルな出産はしないため、もはや色々な精子を単に受けいているだけなのではないか......。

 先ほどもいったとおり、僕は初音ミクにほとんどセクシャルな色を感じないのですが、そんなミクに村上さんはどんどんセクシャルなメタファーを読み込んでいく。ひょっとすると僕は初音ミクに興味が薄いどころか、そもそもピンときてないのではないかと思えてきます。

 それはそうなんでしょうね。僕はミクにピンと来るんですが、僕と佐藤さんはなぜか相互にピンと来るものが違うというような関係にある、という印象があります。驚くべきことかもしれませんが(笑)。

 この対談を通して、たすき掛け的な食い違いが露になってきましたね(笑)。

 だと思います。もうちょっといい換えると、もともと東さんを出自にしているわけですから、思考の枠組には共通的なものがあると思うのですが、そのことによって個々の人生における還元不可能な何かが強調されるようになったんでしょう。

 分かります。初音ミクがいなくても困らないというか、彼女に自分の生命が懸かっている気がしないんですよ。

 僕は初音ミクがいなかったら困ったでしょうね。

■次元を超えた生殖の高みへ

 というわけで僕は、初音ミク単体ではなく、彼女と彼女を取り巻く営みにセクシャルなものを読み込んでいく村上さんの発想のほうが面白いと思ってしまうんです。セクシャルに見えないものにセクシュアリティを見いだすのはどういう感覚なんでしょう?

『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』 著者:ジュディス バトラー 訳者:竹村和子 発売日:1999年3月 出版社:青土社
 セクシュアリティとはそもそも何なのかというのは、僕にとっても謎めいた問題ですね。普通のセクシュアリティの言説ではなかなか組み込まれてこなかったものだと思います。あえて僕個人のことをいえば、僕はジェンダーの問題にはコミットしていませんが、それがどうも自分の主題ではないからです。どうしても、虚構のほうに興味が向く。もちろん、二つのものが無関係であるわけはないのですが、どう関係があるのかを判断できる段階には、僕はいないんですね。例えばジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』(Routledge, 1990)で性が構築的だといいます。よくあるツッコミは、いやいや身体的な性差は現にあるから、というものですが、虚構の身体性みたいなものを考える上では、確かに性は構築的であると心から思えるんですね。コミットしてないけど批判的でもないという奇妙な立場に自分がいるような気がします。

 虚構の身体性というのは分かる気がします。男性オタクの女性優位的な想像力のルーツには、美少女キャラにレイプされた、あるいは取り憑かれたといったような、身体的なキャラクター体験があるのではないかと僕は思っているので。それをセックスと呼べるかどうかは措くとしても、非常にセクシャルな体験であるのは間違いない。

 イメージの政治学、というところですね。そういえばラカン派には寸断された身体という言葉があって、幼児は身体のイメージが不安定なので、様々な欲望がバラバラに集まってきている形になっている、ということを示しています。これが去勢によって身体として組織されるわけですが、それは鏡の比喩で説明されます。幼児が鏡の中に自分の像を発見することで、それを自分のものとして取り込むということですね。鏡以外にも、人間のイメージを与えてくれるものはいっぱいありますから、鏡を見ていなくてももちろん去勢は起こります。ラカンとすっかり一緒ではないですけど、こういう虚構やイメージにおける身体性の構築や、そのロジックが僕の中心的関心で、そういうものが僕にとってのセクシュアリティだと思い込んでいる節がありますね。

 仰るような文脈につなげれば、前半で話したトリエラにまつわるエピソードも、彼女がまさに自分の鏡像として立ち現われたと捉え直すことができます。これ自体は僕の個人的体験ですが、一般化することもできるのではないでしょうか。オタクが日常的に目にする美少女イラストや様々なアイコンが、ふとした瞬間に、当のオタク自身に彼らの自己イメージをもたらしているのではないかと思える時があります。もっともそのイメージは鏡像に他ならないわけですが。

 まさに精神分析ですね。僕もそういうことがないわけではないんですが、むしろ最近は、そういう人間の営みと遊離していくキャラクターというものに目が離せない感じです。

 キャラクターと人間の関係ではなくて?

 もちろんキャラクターと人間の関係は切っても切れないですけど、佐藤さんの場合は最終的にボールが自己に帰ってきて、僕の場合はキャラクターに帰ってゆく感じがしますね。なんか、僕が死んだ千年後にも生きているだろうものとして、キャラクターが気になるんです。

 いきなり時間軸が広がりましたね。千年単位で考えると......そうですね、古代エジプトにもキャラクターはいた、みたいなタイムスケールで考えればいいのかな。

 そうそう。例えば歴史的な固有名としてファラオとかがあるじゃないですか。現在、日本で「ツタンカーメン展」がやっていますが、生きていたときのその人に触れられないにも拘わらず言葉としては生きているというのが、まさにそういうものですよね。

 未来に向かっていたはずの話がぐんぐん遠い過去へと遡っていってますが、面白いので続けましょう(笑)。人類史の先端へと遡っていくと、恐らく原始キャラクターとでもいうべき存在がいたのでしょうけど、これはもはや文化を超えて文明の話になっていませんか?

 そうですね(笑)。

 文明とは知の集積であり、それは書物、もっといえば文字によってなされるわけですが、そこまで突き詰めて考えるとセクシャルな見立てが説得力を持ちますね。文字によって作られた知の精子が、それを受け継ぐ者たちにおいて受精するイメージが。

 文字は小さいですからね(笑)。

 でもその小ささが重要なんですよ。どんなに偉大であっても遠くまで持ち運べないと意味がない。ピラミッドは運べないけど、パピルスに記した書物はコンパクトだから持ち運べるし、蔵に収めて保存することもできる。そうやって知を残せなかった文明はなかったも同然となってしまう恐れさえある。

 そうです。宗教の話ですが、一神教って基本的にはハイアラキカルで、一番上の一人の権威が下の者すべてを包摂する世界だと思うんです。かつてはこのモデルと初音ミクがいかに違うかということを凄く熱弁していたんですが、だんだんわからなくなってきました。普通に宗教的な世界に似てきている。

 いや、分からないこともないでしょう。今の話と結びつけるとこうですよ。現実的に考えれば二次元美少女と恋愛したい、セックスして家族を作りたいという欲望を持ったとしても、キャラクターとの生殖は不可能です。しかし村上さんが関心を寄せているのはこのケースではなくて、オタクというのは今や、匿名の作家性みたいなものを立ち上げて、キャラクターを中心にしながら他のユーザーとの間に様々な生殖活動を営んでいるのではないかということですよね?

 なるほど、僕もよく分かりました。確かにそうです。

 「恋愛→生殖」というサイクルが成立しないのに、その不可能性を完全に受け入れようとしない人間は否定神学に陥っていて、ゆえに子供を作れないわけです。僕自身、その隘路にハマってないとはいい切れないのですが、しかしその代償として物語やキャラクターを書いているのだとすれば、なるほど辻褄は合います。けれど村上さんの場合、むしろキャラクターとユーザーの関わり方のモデルを二者関係からある種の共同体へと解き放ったのではないかしら。

 確かにそうですね。僕も、人間が想像力のレベルで、つまり単に生殖することによって子供を残したり、ものを書くことによってだけではなくて、そういう営みの中で、想像力のレベルで、様々なものを残しているのは間違いないと思ってるんです。ただ、僕が特殊なのは水子とかいっていることですね。つまり書くことによって、同時に書かれなかった何かがあって、それこそが堆積しているのだというようないい方をしている。

 あらためて考えるに生殖のメタファーは強力だと思いました。先ほどキャラクターとはファルスであって、という話が出ましたけど、生理学的レイヤーにおいて「受ける性/出す性」はほぼ固定的なのに対して、少なくとも文化的レイヤーにおいてはまったくそうではないということですね。誰もが出す側、受ける側でありえる巨大な世界観がそこにはあるというか。

 何でもかんでも大きければいいということではないですよ。僕のいっていることはオタクセクシュアリティには関係のあることだとは思いますけど、このタイプの言説ではアクセスできない問題がたくさんあるので、そういう射程には注意せねばならないです。

 とはいえリアル生殖の話に引き戻すと、村上さんのモデルでは文化は栄える一方、リアルな赤ちゃんは産めないですよね。

 産めないです。

 僕のようなキャラ萌えユーザーは、リアルな赤ちゃんに近づきたいとあがきまくるものの、どう頑張っても近づけないという意味で否定神学になってしまう。かたや村上さんは、初音ミクなら初音ミクを中心としながら、ユーザーがバンバン赤ちゃんを産んでる世界の話をしているけど、実は全然違う赤ちゃんの話をしている。

 人間の営みのメタファーとして赤子という言葉が仮に求められている......という感じですからね。ただ、この言説は一方通行的なもので、クリエイティヴに携わる人に対しては有意味ですが、例えば同性婚をして子どもが作れないカップルにこういう話をしようなどということは全くありえない。そういうシチュエーションには気をつけねばならないですね。

 養子はどうなるんだろうという話にもなりますからね。

 子供のメタファーが効果を発揮するのは、子供がか弱いものだからです。そういう点から議論を再構成すると、別なレイヤーの深刻性が見えてきます。例えば顕著だったのは放射能の問題です。真偽は全く別個にして、チェルノブイリを思い出しても分かるように、放射線被害はまず子供への影響として現われるわけです。すでに生きている幼児もそうだが、これから生まれてくる子は大丈夫なのかという心配は、僕も別に子供を生む予定もないのにしてしまいますね。理由は多分、それが見えないものだからだと思います。目に見えないもの、原因が分からないものがより怖く感じるというのは知られていますが、それもさることながら、想像的な水準にウイルスみたいなものが蔓延している状況を感じます。この問題に限らずいろんな水準で、いろんなパースペクティブで生じうる問題だと思うんですが、こういう奇妙に抽象的な状態はなかなか言語化しにくいので、僕のいっているような発想がもしかしたら媒介になってくれるのではないか、とは思っています。

 さて、そろそろまとめの時間に入ってしまいました。前半は僕の女装トーク、後半は村上さんのキャラクター精神分析的世界観と、読者を振り落とす勢いで思うさましゃべってきましたが、この対談ってホントにまとまるんでしょうか?

編集部 大丈夫です!

 そうですか、それならよかったです。萌えとセックスの過去、現在、未来を、かなり独自な視点で切り取ってしまったのではないかという気がしつつも、オタクとキャラクター、萌えと性をめぐる刺激的な見取り図がいろいろ浮き彫りになったとも思っています。個人的には自分と村上さんとの対比から、ゼロ年代後半以降、とりわけニコニコ動画世代のオタクユーザーたちは、キャラクターとの恋愛、その先にあるセックスという二者関係的テーマから驚くほど自由になりつつあるんだなとも感じました。初音ミクのように共同体のコアとなるキャラクターの生をこぞって賞揚する彼らの営みは、「性から生へ」、より正確には「性を含みこんだ生へ」と欲望なり関心の重点が移っていることの表われではないか。そうした実感を深めることができたのは収穫だったと思います。

 もともと僕は自分の議論の穴を強く認識していたので、今回佐藤さんをお呼びしたわけですが、その目的は達成されたな、と思います。と同時に、僕が思うのはその議論の共通性です。たとえば僕が最近よく考えるのは文学の去就についてですが、結局今日の話はそういうことだったと思うんですね。なぜなら、性表現というのは、非常に物質的であると同時に抽象的でもあるようなものであって、こういうものを取り扱うリテラシーこそが文学だからです。その点において見ると、佐藤さんは古いタイプの文学、僕はとても文学だとは思われないものについて語っているんですが、その中間に一種空白として"今の文学"への可能性が開かれているように思うんですね。だからこそ、モチーフはハードコアでしたが(笑)、このような議論の中枢というものを、今後も考えていきたいと思います。

(了)

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村上裕一のゴーストテラス

美少女ゲームの哲学 
第一章 恋愛というシステム
第ニ章 地下の風景
第三章 探偵小説的磁場
第四章 動画のエロス
第五章 臨界点の再点検
補遺
第六章 ノベルゲームにとって進化とは何か
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える
第八章 美少女ゲームの音楽的テキスト

村上裕一 批評家。デビュー作『ゴーストの条件』(講談社BOX)絶賛発売中!最近の仕事だと『ビジュアルノベルの星霜圏』(BLACKPAST)の責任編集、ユリイカ『総特集†魔法少女まどか☆マギカ』(青土社)に寄稿+インタビュー司会、『メガストア』2月号のタカヒロインタビューなど。もうすぐ出る仕事だと『Gian-ism Vol.2』(エンターブレイン)で座談会に出席したり司会進行したりなど。またニコニコ動画でロングランのラジオ番組「おばけゴースト」をやっています。http://d.hatena.ne.jp/obakeghost/ WEBスナイパーでは連載「美少女ゲームの哲学」とラジオ番組「村上裕一のゴーストテラス」をやっています。よろしくね!
twitter/村上裕一

佐藤心 駆け出しのシナリオライター。代表作『波間の国のファウスト』(bitterdrop)『風ヶ原学園スパイ部っ!』(Sputnik)。「この世界はカネが全てだぜぇ~?」を処世訓としながら、とある中堅スーパーのお弁当を日々半値で買い叩く。そんな涙ぐましい生存戦略の果てに、講談社BOXより『波間の国のファウスト』のノベライズが決定(今秋発売予定)。
twitter/佐藤心
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