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TM NETWORK デビュー30周年記念映像作品 伝説のライヴシーン満載!!
1984年のデビュー以来、TM NETWORKがミュージック・シーンに与えた衝撃は計り知れない。彼らが行なった数々のライヴ、コンサートツアーは、日本音楽史上の伝説として、今も多くのファンに語り継がれている――。TM NETWORK30周年アニバーサリーを記念して、ソニー・ミュージックに残された1984年から94年にかけてのEpic Sony(現EPIC Records Japan)時代をはじめとする膨大なライヴ映像を集めたオリジナルムービー『TM NETWORK THE MOVIE 1984~ 30th ANNIVERSARY』が公開に。熱いTMファンであるネットワーカー・ばるぼら氏と共に、その特別な映画とTM NETWORKの30年をダラダラと振り返ります。前後編2回に分けての掲載です。ばるぼら(以下「ば」) 30周年記念といっても、映像で扱ってるのはデビューから最初の10年間のみでしたね。ある意味潔い。
編 なので今回は映画に絡めながら、最初の10年を振り返っていきたいと思います。
ば 了解です。それにしても五十嵐(編集)さんがTMファンだったとは知りませんでしたよ。
編 一番好きなのは2枚目の『CHILDHOOD'S END』で次は『TWINKLE NIGHT』。今でも普通に聞いてます。TMは車を運転するときに聞くことが多いかな。あまりに長年聞いているので気持ちがぶれないというか、リラックスできるんですよね。ばるぼらさんは今でも聞いてる曲ってあるんですか?
ば ふと聴きたくなるのは「DIVE INTO YOUR BODY」かなあ。アルバムでは『EXPO』が好きです。あとカラオケ集(『ORIGINAL SINGLE BACK TRACKS 1984-1999』)が出たじゃないですか。あれを意外と聴いてしまう。でも基本的に小室哲哉ソロのほうが好きかも。『Digitalian is eating breakfast』と『HIT FACTORY』。
■30年以上前の1984年の雰囲気のおさらい
編 彼らのデビューは1984年4月21日なんですが、同日デビューの方がいらっしゃるんですね。岡田有希子、菊池桃子、REBECCA。この人たちは同日。あと同年デビューというと吉川晃司。
ば (Wikipediaの1984年の項を見てる)キララとウララも1984年デビューなのか......。
編 キララこと大谷香奈子は小室哲哉の最初の奥様ですね。ほかに少女隊、中村あゆみ、バービーボーイズそしてTOM★CAT。
ば 時代を感じる名前の並びですけど、そこに時代感すら持てないのが現代でしょうね。
編 1984年の日本の音楽的出来事では、チェッカーズ・小泉今日子旋風が巻き起こっています。
ば チェッカーズほんとすごかったなあ。TMより先にチェッカーズのほうが好きでしたからね、ワタシ。
編 僕もそうでしたよ。オリコン1位はわらべの「もしも明日が」。松田聖子は「Rock'n Rouge」。チェッカーズは「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「ギザギザハートの子守唄」。中森明菜は「十戒」です。で、演歌がまだ残っていますね。
ば 1984年というと、紅白歌合戦で都はるみが引退した年。
編 司会の生方恵一さんが「ミソラ(※美空ひばり)」と言ってしまうハプニングが起きました。
ば この年を最後に紅白は急速に視聴率を落としていくんです。つまり1984年は演歌/歌謡曲の終わりの始まりの年といっていいでしょう。
編 そうなんですか。
ば たぶん(笑)。70年代まではマルベル堂のブロマイド(スター写真)の売上が人気のバロメーターでしたが、あそこで撮影したのって男性だとちょうどチェッカーズくらいまでなんですよ(一番最後は1988年デビューの西田ひかるらしい)。その後は廃れていくんです。というのは70年代後半にニューミュージック系の人たちが撮影に応じなかったのと、原宿で生写真が1枚100円で売られるようになったから。
編 人気の指標はオリコンチャートとベストテン番組の時代に変わると。
ば あと、小泉今日子もこの年の夏に髪を刈り上げにするんですが、それは自分で勝手に切っちゃったんですよね。それはこれまでのお飾りのアイドルではない、自意識が芽生えた瞬間であり、そこからアイドルのアーティスト化の始まり、と言われます。
編 確かに!
ば 松田聖子のエピゴーネンだったのが、一気に個性的になるという。
編 小泉今日子が作詞を始める(1985年7月5日発売の7thアルバム『Flapper』収録「Someday」の美夏夜名義が初出)のもその流れということですか。1984年はそんな年だったんですね。
■30年前の1985年の雰囲気のおさらい
編 しかしシングルチャートを見るとまだ歌謡曲全盛期で、チャートの中にアーティスト的な匂いのする人は......。
ば オフコースくらい?
編 それくらいですかねえ。その反面、アルバムの日本での売り上げ1位はマイケルジャクソン『スリラー』、『フットルース』のサウンドトラックと、80's的な匂いはありますね。大瀧詠一みたいな人もちゃんといます。
ば 松任谷由実もいますね。竹内まりやもいるし山下達郎もいる。この翌年、1985年6月に『ALL TOGETHER NOW』ってイベントがあって、そこでニューミュージック的なものも一度総括されるんです。そのイベントでははっぴいえんどとサディスティック・ミカ・バンドが再結成して、60年代末からの日本のロック/ポップスにも一度区切りがつく。そのステージにサポートで参加していた人の中に、EPICソニーからデビューしたばかりの渡辺美里や、90年代に渋谷系のアイコンになるピチカート・ファイヴがいたりして、あとから見ると80年代の真ん中は時代の境目って感じ。
編 なるほど。1985年を超えた頃からEPIC勢も増えます。
ば だんだんテレビの歌番組に出て芸能界的なものに入る、のではない売り方をしていく人たちがメインになってきます。テレビの映像番組とか、ライヴの学園祭とか、そういうところをターゲットにした音楽シーンがそろそろ始まってくるところ、のはずですが。
編 ところがこうやってチャートを見ていくとそれがぜんぜん......。
ば わからないですね(笑)。
編 まだまだ反映されていないんですね。
ば 1985年はNHKで『インディーズの襲来』って番組が放映されてインディーズ・ブームも可視化されます。有頂天、THE WILLARD、LAUGHIN' NOSEで「インディーズ御三家」みたいに呼ばれて語られていくんですけど、BOOWYも一応そういうインディーズのシーンから出てきたグループですからね。だから『宝島』とかの雑誌メディアを上手く使うことでのし上がっていくインディーズ・ブームの人たちと、メロディは王道ポップスなんだけどライヴや映像メディアで活動するみたいなEPIC的な人たちと、二つ流れが生まれる。
編 なるほど。そしてもう一つがメインストリームの、あくまで芸能という範囲でやってる歌謡曲勢ですね。
ば そうですね。でもだんだんライヴ主体の人たちが世の中に出てくることによって、みんな歌番組のスタジオに来てくれなくなるんですよ。それで歌番組の勢いがなくなっていって、1989年にザ・ベストテンが終わっちゃう。裏番組で『とんねるずのみなさんのおかげです』も始まって、お笑いブームもくるし。
編 ああ、なんか思い出しますね。ベストテン終盤のスタジオが寂しい感じ。
■約30年前の1986年の雰囲気のおさらい
ば さらに翌年にはおニャン子クラブが大ブレイクしてますよね。
編 1986年はおニャン子クラブがびっくりするような大活躍です。見て下さいよ、このチャート。おニャン子の人たちがいっぱいいます。トップに新田恵利「冬のオペラグラス」河合その子「青いスタスィオン」、国生さゆり「バレンタインキッス」、うしろゆびさされ組「バナナの涙」。
ば 嵐のようですねえ......。
編 そして21位に小泉今日子「なんてったってアイドル」と、アイドル復権の年だったんですかね。
ば いや、実は翌1987年9月におニャン子が解散して「アイドル冬の時代」というふうに初めて言われるんです。だからおニャン子はアイドルの最後っ屁なんですね(笑)。当時はもうこれ以上やりようがないことをやってしまった。
編 なるほど。そしてそんな1986年を経てTM NETWORKがようやくチャートに名前が出るのは1987年で、ここで「Get Wild」なんですね。1986年っていうのは実は小室哲哉作曲の渡辺美里「My Revolution」が評価された年です。オリコンだと年間5位。これをきっかけにどんどん注目されるということですね。
ば 岡村靖幸も、先に渡辺美里に曲提供をして参加していたのが、曲もいいし、スタジオで踊ってるからということで注目されてデビューすることになったり。渡辺美里はEPICのキーパーソンですね。彼女の歌声を通して作曲家にも陽が当たるようになる。
編 なるほど。渡辺美里には大江千里も曲を書いていたような気がします。といった当時の雰囲気を確認したところで、そろそろ話をTM NETWORKに向けていきましょう。
■TMの初期ライヴはビデオリリースのため
ば 一番古いライヴ映像は1984年。いきなり最後の曲の話をしちゃいますけど、「ELECTRIC PROPHET」の最初のほうで「このために作りました」みたいな......
編 「今夜のために作った曲を聞いてほしい」
ば てなこと言ってましたよね。あの最初のライヴツアー的なものが渋谷のPARCO・PARTⅢとあと札幌のライヴハウスで。
編 その時のツアーの名前が〈ELECTRIC PROPHET〉。
ば 当時はTMはライヴをやらないというのが建前だったから、ビデオをリリースするためのライヴって言い方だったんですよね。実際はデビュー直後からライヴはやってるんですけど、公式な記録には残されてない。『ELECTRIC PROPHET』ツアーはなんで渋谷と札幌でやってるかっていうと、「1974」がなぜか札幌でローカルチャートインしたという謎のヒットをして。
編 そうなんですか?
ば なんかわからないけど札幌で俺たちが人気あるらしいってことになって、札幌と渋谷なんです。
編 (笑)。もう12月の年の瀬も迫った27日、札幌教育文化会館。
ば 不思議なライヴですよね(笑)。まあ、映像で使われてたのは渋谷PARCO。
編 そうでしょうね。
ば 札幌の盛り上がりっていうのがどれくらいのものだったのかって知りたいんですけどね。
編 非常に気になりますね(笑)。
ば なんで注目されたいのか未だによく分からない(笑)。
編 この時のセットリストが判明しております(※1)。
ば このツアーで一番聴きたかった「17 to 19」って曲が、もしかしたら映像で観れるんじゃないかって期待してたんですけど......
編 観れなかったですね。残念。
ば これ、ビデオにも入ってないんですよね、一番最初の『VISION FESTIVAL』(※2)にも。だから本当に未発表、録音されなかった曲。
編 そうなんですね。そしてもうこの時、「TIMEMACHINE」が歌われているという。
ば 意外とシンプル。
編 これはまだ1984年の12月なので『RAINBOW RAINBOW』しか発表されてないんですが、「ELECTRIC PROPHET」をはじめ、『CHILDHOOD'S END』や『TWINKLE NIGHT』の楽曲が演奏されていますね。
ば たぶん最初は音源→映像→音源→映像......ってサイクルでリリースする予定だったんじゃないかなと思います。常に次の作品の予兆になってるみたいな。ただそれよりも何よりも、この時期の映像は、画面中央の横らへんにカメラの汚れみたいなものが残ってるのがずっと気になった(笑)。
編 ありましたね。今回のフィルムはちょっと状態が......音もブツブツ途切れたりと、かなりクオリティの低いものが交じっていますが。
ば 映像を大々的に使って活動していくグループにしては記録映像という感じが強いですよね(笑)。
■洋楽の影響が強いデビュー当時
編 最初から映像を追っていきましょう。まずは「DRAGON THE FESTIVAL」。とあるマニアの方の推測によると、1985年の〈Dragon The Festival Tour〉からの映像ではないかということですね。そして「DRAGON THE FESTIVAL」は実はフルコーラスは聞けなくてあっという間に終わってしまいます。その実質的な一曲目となるのが、デビューシングル「金曜日のライオン」。これもあるマニアさんの情報によると1984年PARCO・PARTⅢの『ELECTRIC PROPHET』からと。そもそも、『RAINBOW RAINBOW』の時期のTM NETWORKって、ばるぼらさんはどう捉えてるんですか。
ば 海外の影響が強いですよね。80年代初頭のニューウェイヴ・サウンドにはファンク化やラテン化の傾向があって、それがあわさったファンカラティーナというジャンルもあります。そういうサウンドに影響を受けつつ、ちょっと昔の10ccとかTOTOみたいな、完成された、プログレじゃないんだけどちょっと気の利いた音楽。あとCHICとかモロダーとかのディスコ・サウンド。そういうものが混じった結果じゃないかと感じます。やっぱり洋楽の匂いがするアルバムだと思いますよ、『RAINBOW RAINBOW』と『CHILDHOOD'S END』は。
編 そうですね。
ば だからたぶん、自分たちが当時よく聴いていた音楽なんだと思いますけど。デュラン・デュランとかカジャ・グー・グーも見た目の影響はあるんでしょう。ワム!、バグルス、マイケル、プリンス、マドンナとか、ようするにMTVで人気のありそうな洋楽。その辺りの影響を非常に感じるアルバムでした。実際、当時のファンクラブの会報でも「TMを聴いて、洋楽にも興味を持ってほしい」という発言をしてたと思いますが、最初は海外を意識してた雰囲気があります。
編 そんな中で、「金曜日のライオン」の次にシングルカットされてる「1974」。これは『RAINBOW RAINBOW』の中でもかなりポップな曲だと思うんですが。
ば これだけなんかちょっとね。でもコーラスの入り方なんかは当時の洋楽の感じっぽい。「1974」のイントロって未だによく分からない、不思議な構成だなと思うんですけど、ちょっとELOの「Twilight」っぽい、シンセを使ったニューウェイヴ......じゃないな、なんていうのかな?
編 「Twilight」はアルバム最後の「パノラマジック」でオマージュ捧げた感がありましたね。「1974」はシンセポップと言われる王道の曲という印象があります。
ば はい。洋楽の影響を邦楽に昇華した、非常にポップでいい曲だと思います。
■B'zの松本孝弘とTM NETWORK
編 そして、そんな「1974」が流れたと思ったら、次は「アクシデント」。これは2枚目のアルバム『CHILDHOOD'S END』の冒頭の表題曲のインストから繋がるほぼ1曲目なんですが、これが取り上げられているというのは、割と嬉しいニュースみたいですよ。
ば どういうこと?
編 というのは、TM NETWORKは今でもAvexで活動されてるんですけど、今年、『DRESS2』というですね、彼らのリプロダクトアルバム『DRESS』の二番煎じアルバムが出まして、その中に「アクシデント」が入ってる。
ば 入ってますよね。
編 で、ちょっとキーが下がったりしてます。
ば 聴いたらいい曲だなとは思うんですけど、自分の中から「TMといえば......」と連想で出てくることはまったくない曲です(笑)。五十嵐さんのほうが好きなんじゃないですか、この曲に関しては。
編 僕は 『CHILDHOOD'S END』が非常に大好きなので、「アクシデント」も好きな曲です。ライヴ映像は割とそのまんまなアレンジでしたね。マニアさん情報では〈"FANTASY" DYNA-MIX〉から。
ば それ何番目のツアーだったかな(笑)。似た名前が多くて忘れちゃう。〈ELECTRIC PROPHET〉が最初でしょ、次が〈DRAGON THE FESTIVAL〉で、そこから〈TOUR'86 "FANKS DYNA-MIX"〉〈FANKS "FANTASY" DYNA-MIX〉〈FANKS! BANG THE GONG〉〈"FANKS CRY-MAX" 武道館〉と続くから......4番目か。〈"FANTASY" DYNA-MIX〉はツアーじゃなくて1986年8月23日のよみうりランド・EASTでのライヴの名前でした。
編 1986年ということはかなり初期ですね。ばるぼらさんがお持ちの資料集にはサポートメンバーも載ってるんですか。
ば 載ってます。それによると小泉洋(computer)、松本孝弘(g)、山田亘(ds)、西村麻聡(b)、白田郎(key)。もうB'zの松本先生がいます。
編 もう松本先生もいますか。西村さん山田さんというのはFENCE OF DEFENSEの人たちでしたっけ。
ば そうそう、のちのFENCE OF DEFENSE。で、松本さんがいるということは、たぶん久保こーじさんもいるんじゃないですかね、どっかに。松本さんは桑名正博のツアーメンバーだったんですが、そこのローディーみたいなので久保こーじさんも一緒にいたらしい。
編 なるほど。そしてこの〈"FANTASY" DYNA-MIX〉ツアーで、もうすでに松本さんがいるという。
ば 松本さんが映ったのってなんでしたっけ。
編 松本さんはかなりいっぱい映ってましたよ。
ば 映ってましたよね。〈CAROL〉の時とか?
編 〈CAROL〉の時ももちろん映ってたんですけど、相当映ってましたよ。逆に松本さんが消えてから寂しいなと思いましたもん。あぁ、ついにいなくなっちゃったって。
ば (笑)
編 この情報を見ると松本さんが参加してるのは〈DRAGON THE FESTIVAL〉ツアーから〈CAROL〉まで。
ば 結構長いですよね。B'zデビュー前までか。
編 そうですね。ということは映画上のセットリストでいうと、最初のPARCO映像以外から「JUST ONE VICTORY」、15曲目までは全部。途中の「LOOKING AT YOU」はいないです。
■TM NETWORKとタイアップあれこれ
編 映画に戻ると、次は「Come on Let's Dance」。これはリリース時には12インチも出てましたね。アナログで。
ば 出てましたね。クラブ......じゃないか、ディスコヒット狙いですよね、曲名からしても。
編 この「Come on Let's Dance」は、3枚目の『GORILLA』というアルバムに入ってるんですけど、その『GORILLA』というのが、「FANKS」という言葉を初めて打ち出したアルバムになるんですね。
ば 「FUNK」と「PUNK」と「FANS」を組み合わせた造語。「S」が無理やり感ある(笑)。
編 いろいろ突っ込みどころは満載なんですが。
ば この時期、ヒットするまでは造語がちょっと多いんですよね。
編 非常に多いですよ。
ぱ 「T-MUE-NEEDS」とかね。
編 そしてこの「Come on Let's Dance」の12インチで「This is the FANKS DYNA-MIX」という言葉が提示されたということです。これを先行シングルとしたアルバムが『GORILLA』。ゴリラの強さと優しさを表わした......みたいなことが提示されてですね。
ば あ、そんなコンセプトがあったんだ(笑)。木根さんも、サングラスを外してみたりとか、迷走期に入りますよね。
編 ジャケットには迷走が見受けられます(笑)。このアルバムの印象はいかがですか。
ば うーん、一曲目は好きですけどね。
編 「GIVE YOU A BEAT」。Welcome to the FANKSだ!
ば なんだろう、メロディとアレンジがまだ合ってない時期という感じ。メロディはポップなんだけど、後ろがごちゃごちゃしすぎている印象。ブラスがことあるごとに鳴っててアレンジがうるさい、みたいな。もっとシンプルにしていったほうがいいんじゃないか、という反省につながるアルバムじゃないでしょうか。
編 「NERVOUS」「PASSENGER」あたりかな。
ば (曲目見てる)あ、「GIRL」は静かで良い曲ですよね。当時ウツ(宇都宮隆)がとても気に入っていたという曲じゃなかったですか?
編 おっしゃる通りで、大変気に入っていたという事です。小室さんと神沢礼江さんのタッグによる楽曲。今回のビデオには入ってませんが。
ば 「Confession -告白-」もそうでしたっけ?
編 あれは西門加里さん。あとはアルバム最後の「SAD EMOTION」が神沢さんですね。映画はこのあと〈FANKS the LIVE 01〉からと思われる「GET WILD」がかかります。「GET WILD」についてはばるぼらさんも語ることがたくさんあると思うんですが。
ば もう色んな所で語りすぎたからここではいいです(笑)。でも結局、「GET WILD」だけじゃないんだけど、TM NETWORKを知るキッカケが大体タイアップだったんですよね、個人的には。アニメ『CITY HUNTER』の「GET WILD」、劇場アニメ『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』の「BEYOND THE TIME」、あと『ぼくらの七日間戦争』の「SEVEN DAYS WAR」。この辺の曲が耳に入って好きになったんですよ。だから「FANKS」とかそういう造語とは全然関係なく、テレビで流れてるか否かだったんですよね。
編 なるほど、面白いですね。
ば やっぱり売れるにはまずテレビ、という時代だった。
編 そうですよね。実はこの「GET WILD」の前にアルバム『Self Control』がリリースされているんですが、今回の映画の中では「Self Control」がちょこっとしか出てきません。
ば ふむふむ。何の曲のところでしたっけ?
編 これが出てくるのは『CAROL』のところですね。
ば よく覚えてますね!
編 はい(笑)。それはまたちょっといい話なので後々しましょう。
ば お、なんですかその引きは(笑)? それで「GET WILD」は......。
編 「GET WILD」はというと、冒頭のイントロ部分で...ゲッワというサンプリングがひとつの定番のようになっていますね。
ば サンプラーを手に入れると、一度はやってしまうあの連チャン押し(笑)。
編 そうですね。小室さんは今でもやってます (笑)。
ば 長らくインスト・バージョンがリリースされてなかったんですが、『ORIGINAL SINGLE BACK TRACKS 1984-1999』でやっと「GET WILD」のインストが収録され、非常に良かったです。「後ろでこんなにギターが鳴ってたんだ!」みたいな発見がありました。
編 オリジナルの「GET WILD」はレコーディングも松本さんのギターですよね。
■小室哲哉さんと小室みつ子さん
編 そして「Come On Let's Dance」と「GET WILD」を楽しんだところで、「FOOL ON THE PLANET」が来ます。
ば 「FOOL ON THE PLANET」は『Self Control』に収録。
編 これはなんとキネバラです。キネバラというのは木根尚登さんの作曲するバラードをキネバラと言ってですね、ライヴでコーナーを設けられるのが定番になってます。この曲は歌詞が小室みつ子さんで、『Self Control』から小室みつ子さんがかなり入ってきます。といっても名義違いでして、これまでも作詞を担当されている西門加里さんが小室さんなんですよね。
ば そうそう。
編 なので、小室みつ子名義でリリースされるのが『Self Control』から。
ば 同じ名字の小室哲哉と血縁関係があると思われると面倒くさい、という理由でした、たしか。
編 そんな理由で別名で書いてらっしゃたんですが(笑)。
ば で、『Self Control』辺りでそろそろいいかなっていう......。でも紛らわしい(笑)。
編 ということで小室みつ子さんの作詞がとても素敵な曲ですよね、「FOOL ON THE PLANET」。とあるマニアの方が分析した結果によると、これも〈FANKS the LIVE 01〉からだと思われるということですね。ばるぼらさんは『Self Control』というアルバムに思い入れはありますか?
ば あったかなあ。シングルは持っていたけど......あ、「Maria Club」入ってるのこれだったか。あれは好きだったな。
編 あと「All-Right All-Night」や「Fighting」、「Time Passed Me By」、「Spanish Blue」とか。
ば 「All-Right~」は譜割りが細かすぎてあんまり好きじゃないんだよなあ。「Here, There & Everywhere」が小室さんが中学3年生の時に作っていた曲でしたな。
編 初期の小室さんらしい曲ですよね。大好きです。
ば でもまあちょっと、「Self Control」って一曲が飛び抜けてて他の印象が弱いアルバムだなと思います、個人的に。
編 なるほど。
ば 今はアルバムを通して聴きたいとは思わない。ジャケットのスピード感のある感じとはなんだか真逆の印象なんですよね。もっさりしてる。
■TM NETWORKにとっての『CAROL』
編 そして『Self Control』というアルバムからの流れで実際の映画の方はキネバラコーナー、「FOOL ON THE PLANET」の次に『GORILLA』に入っていた「Confession -告白-」ですね。映像を観て思ったんですけど、松本さんのギターと、小室さんのシンセと、木根さんのアコギと、宇都宮さんのボーカル、というのが素直に楽しめる良いアレンジになってました(笑)。
ば (笑)人間、素直が一番ですよ。
編 キネバラは2曲目までと思いきや3曲目まで来ましたよ。「LOOKING AT YOU」。これはかなり後の『RYTHME RED』収録です。ついに木根さんは曲だけではなく声まで出てきました。
ば かなりフィーチャーされてましたね(笑)。「LOOKING AT YOU」はTMNになってからですけど、ハードロックの中でいきなりファンが混乱しないように「こんな曲も入れておこう」みたいなムードを感じました。
編 TM NETWORK史上初めての木根尚登メインボーカル作品なんですよね(笑)。みんなコーラスで声は聴いていたけどメインボーカルを録ったので、いろんな意味でびっくりでした。
ぼ アルバム通して聴いてたら「宇都宮さんにしてはちょっと声が篭ってるなあ......」と思って、長らくそう思っていたけどよくよく見たら......みたいな(笑)。
編 そうですよね(笑)。そして映画はキネバラからここでガラッと変わって、いわゆる「CAROL組曲」と呼ばれる〈CAROL〉のシアトリカルな演出が。僕、これは初見でした。
ば ワタシも初見でした。とういうのは、〈CAROL〉関連だけずっとライヴ映像はリリースされていなくて、2004年の20周年の時に初めてリリースされたんですよね。
編 そしてリリースされた内容も、当時衛生生中継で〈CAROL〉ツアーを放映したイベントで使用した映像が元となっているという事ですね。
ば そうなんですね。アニメがあったのは覚えてるんですけど。
編 はい。この『CAROL』というのはメディアミックスがかなり意図的になされていて、まずこの音楽アルバム、コンサートツアー、小説、写真集、ラジオドラマ、アニメ、そしてアニメのサウンドトラック、漫画、イメージアルバム、などなど。
ば ラジオドラマもあったんですね。
編 はい。そしてこのアルバムがTM NETWORKのアルバムの中で最も売れたアルバムになります。
ば 解散した後に小室哲哉がホスト役を務めた『TK MUSIC CLAMP』という深夜のトーク番組があって、そこでTMの3人が揃った時があって(1996年3月13日オンエア)、その時にも『CAROL』の話をしてるんです。「もうちょっとで100万枚いきそうだ」といった内容の話を。TMにはミリオン・セラーがなかったから。それで小室哲哉が『tk-trap』ってソロアルバムに『CAROL』の曲を入れたりしてるんですよ。それだけ『CAROL』というアルバムが大切で、売りたかったからだと思うんですよね。
編 なるほど。
ば TM NETWORKはいつまでたってもミリオンセラーを出せないバンドだったというのが、ずっと心に残ってたんだと思います。それで唯一届きそうな作品だという事で『CAROL』を推し続けて、超えたんですよね?
編 現在は売上枚数108万枚です。そして2014年に『CAROL DELUXE EDITION』という形で更に再発されまして、blu-specCD2でリマスタリングして、LPに収録した曲順で、CDまで分割して2枚、そしてアルバム全曲のインストゥルメンタル・ディスク。
ば なんかすごいな(笑)。これレコードが手に入らなかったんですよ、当時。
編 さらに映像ですね。〈CAROL〉ツアーの『CAROL Live』とは違う編集といいますか......。ただこれは1万円くらいの非常に高額なセットとなって再発されています。そしてまたiTunes StoreでSONYレーベルの楽曲が扱われるようになった時に、iTunesのアルバムランキングの中に『CAROL』が入っていたらしく、その時にも少し世間を賑わしていたようです。やはりTMというと、ここから入った人が非常に多い『CAROL』というアルバムですね。
ば このアルバムの印象はやっぱり「STILL LOVE HER」かな。これもやっぱりテレビタイアップ、『CITY HUNTER 2』の......。
編 EDですよね。アニメのエピソードとシンクロするように流れる演出が素晴らしかったですね。そしてこの『CAROL』は物語仕立てになっているんですが、主人公はイギリスに住んでいる女の子で、その役をパーニラさんという方が当時のライヴツアーに出演されていました。この方はスウェーデン出身ですが、ロンドンでオーディションをして日本へ連れてきたらしいんです。この人今なにしてるんだろうなって調べたらサイト(http://www.mars.dti.ne.jp/~carol21/pernilla/)が出てきまして、しかも日本語対応されている(笑)。
ば 便利ですね(笑)。
編 便利ですよー。どうですかこれ?
ば ちょっとプロフィール見せてください。
編 なんとスウェーデンでミュージカル、CDリリースに加えTVやラジオなどに幅広く活躍されているそう。スウェーデンの芸能人ということですね。
ば 良かったじゃないですか。
編 彼女のプロフィールを見ると一番最初に『CAROLツアーヒロイン役出演』と書いてありますね(笑)。
ば え、最初のキャリアが『CAROL』なの(笑)?
編 興味がある方は是非リンクを貼っておくのでご確認ください。ちょっといい話です。
ば いい話でした。
(後編に続く)
【註釈】
※1 ELECTRIC PROPHET(2都市2公演)●1984年12月5日@渋谷PARCO PARTⅢ/1984年12月27日@札幌教育文化会館●曲目:QUATRO、パノラマジック、イパネマ'84、クロコダイル・ラップ、17 to 19、タイムマシン、永遠のパスポート、RAINBOW RAINBOW、FANTASTIC VISION、1/2の助走、クリストファー、カリビアーナ・ハイ、金曜日のライオン、1974、ELECTRIC PROPHET
※2 『VISION FESTIVAL(journey to saga)』はTM NETWORK最初の映像作品。1985年5月25日発売。1万円近い価格だったため、当時買った人はよほどの大ファンだったと思われる。●曲目:THEME、1974、QUATRO、パノラマジック、RAINBOW RAINBOW、1/2の助走、金曜日のライオン、ELECTRIC PROPHET、DRAGON THE FESTIVAL、アクシデント、CHILDHOOD'S END
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ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』など。最新刊は共著の『20世紀エディトリアル・オデッセイ』。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/
15.02.07更新 |
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