掌編変態小説 パンティ三兄弟秘話 第四回 作=生地仁染多(きじにしみた) 一枚の生地から作られた三枚のパンティがそれぞれに辿った、いじましくも一生懸命な日々。 スナイパーアーカイブ、数回にわたって当時の記事をご紹介します。 |
●大量の愛液●
彼女は下着集めの趣味があり、彼女の手元には私の仲間が多数いたのにもかかわらず、私一人を数多く(週三〜四回)使用したのでした。その分仲間のパンティよりも傷みも激しく、当然穿かれている時の臭気汚れも仲間より多く味わわなければなりませんでした。
パンティの使命として、穿かれるということには、その女性に愛されているのだから、喜びもあるのですが、やはりその匂いと汚れを常に吸い取らなければならない労働ですから、週に三〜四回のお務めは、辛いものがありました。私には他の仲間よりも休息の時間が無かったのです。
。一度はこんなこともありました。彼女は常に私を穿いていたかったので、私を脱いで洗濯をした後、夜干しをして朝までに私を乾かし翌朝には私を穿くのでした。ある日、夜干しをしてあったベランダに男が忍び込んで来て私を盗もうとしたのです。危うく私はその男に盗まれるところを間一髪、彼女に発見してもらい難を逃れました。
もしあの時にその男に盗まれていたら想像するだけでゾッとするではありませんか。その男の顔に被られたり、もしや穿かれたりしたら生きた心地では無かったでしょう。そうした変態男の手に渡らなかっただけでも倖いでした。下着は下着、パンテイはパンティ、あくまでも世の女性に穿かれる為に生まれて来た私共なのです。否応無くその女性(主人)の股間、臀部へと密着させられるのが常なのです。そして汚れを吸い取ることが使命であり運命なのです。
せめてもの救いはその女性(主人)が美人か不美人かの違いで、当然美人にこしたことはありませんが、私のご主人様は美人でしたのでその点では救われました。ところが、彼女には大変に悪い癖があったのです。その為に私は、三年間他の仲間よりも、二人の弟達よりも悲惨な目に遭ってきたのです。
彼女は夜な夜な自分自身を指で慰めるのでした。結婚、セックスといったことには関心無く、男性と付き合いもしない彼女だったのですが、やはりこは女、ましてや四十歳という脂の乗り切った肉体です。何もせずにはいられないのは当然のことでしょう。自らを慰めるオナニーくらいは当たり前のことでしょう。それはそれでよいのてすが、難儀しましたのは、そのオナニーのやり方なのです。
普通、男でもでもオナニーをする時には下着を脱ぎます。もしくは下着の中に手指を入れて性器を刺激するものです。が、彼女はそうではなかったのです。私(パンティ)の上から指を使ってのオナニーをするのです。その為に私の顔は彼女の愛液によってグショグショにされるのでした。それでもそこまではまだよいのですが、問題はその後のことなのです。
自らを指で慰め充分に満足した後、彼女はグシュグシュになった私を履き替えもせず、ましてや拭こうともせずに濡れたままの股間に私を穿いたまま、疲れのせいかそれとも面倒なのかそのまま眠ってしまうのです。愛液というものにはほとんど匂いはありませんが、乾くとカリカリになっているのです。それでも彼女はそんな私を脱いで他のパンティと穿き替えもしないで丸一日中穿き続けるのでした。
さらにこんなことも有りました。ある日彼女はカゼをひいたらしく入浴を三日間控えたのでした入浴を控えたのは、風邪にとってはよいのでしょうが、なんとその三日間、私を穿き替えもせずに使用したのです。これには私も本当に参りました。いくらおりものの量の少ない体質の彼女であったにしろ、丸三日間も穿き通されてはたまったものではありませんでした。
愛液で汚れる時とはちがい、無臭という訳にはゆきません。汗と尿と分泌物等の排液の入り混じった強烈な汚臭に、私は三日間噎せかえっておりました。分泌物というものは、女陰から排出されて来たばかりの時点ではほとんど無臭に近いものなのですが、空気に触れ時間が経つにつれてその臭みを増してくるのです。
さらに彼女の股間の体温で蒸らされ醗酵して独特の臭気を発するのです。それ等のことが有って彼女が不精だということを思い知らされました。その後も彼女の不精のせいで二日〜三日間と穿き続けられたことも多々ありました。その都度激臭にひとしお苦しみました。そうして二人の弟同様に、私もヨレヨレになって遂には捨てられたのでした。
それでも私達兄弟三人は、今充実感でいっぽいです。パンティとしてその使命を果たしたことに、三兄弟を代表しまして、三年間愛して(使用して)くれたご主人様にお礼を言いたいと思います またいつの日か、新たな生地としてこの世に生を受けて来られる日がありましたら、今度は貴女様のもとへ、その股間へと参りたいと念じております。さようなら。
(おわり)
著者紹介 生地仁染多(きじにしみた)=年齢、性別、職業等、すべて不明の投稿者。パンティへの情熱、そしてマゾヒスティックな感性が窺える紛れもない力作としてすぐさま掲載されたが、以後、生地仁氏から新たな作品が送られてくることはなかった。ユーモアを滲ませつつ、パンティの悲哀を描ききったこの作品は、15年が経った今でも時折読者からの問い合わせがあり、与えた印象の深さを物語っている。 |
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