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「お絵描き文化」の特異な発達を遂げた国、日本。「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」――。さまざまな形で「絵を描く人々」と関わってきた著者が改めて見つめ直す、私たちと「お絵描き」の原点。
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絵を描く人々 第8回 ヘタウマの功罪

3年ほど前、yahoo!知恵袋に、こんな投稿があった。
"私はイラストレーターをめざしている者なのですが、いわゆる〝へたうま〟と呼ばれるジャンルのイラストを、どうしても理解ができません。世の中にはびこるこの〝へたうま〟のイラスト達が認められているのを見ると、本当に本当に腹が立ちです。
私は美大に通って、毎日毎日デッサンをしました。どうしてかというと、いわゆる〝へたうま〟ジャンルが憎いからです。デッサンの基本もなっていないフニャフニャしたイラストを見ると、本当に腹が立ちます。私は基本のデッサンが描ける人間じゃないと、イラストを描く資格なんてないと思うからです。
〝へた〟なのが、どうして認められてしまうのでしょうか。
友人などに問いたところ、「いわゆる 味 だ」とか言ってましたが、「〝へた〟なものに 味 なんてあるわけがない。正当化しているだけだ。」と思ってしまいました。
〝へたうま〟が認められる世の中は、デッサンの基本もクソもないですよね。
私の努力はなんなのでしょうか。わざと〝へた〟なイラストを描いていけばいいのでしょうか。もうやる気が削がれました。どなたかアドバイスくれませんか。。"
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110127775


大層立腹していらっしゃる。ここまでではないが、昔、ヘタウマが登場して注目を集め始めた頃に覚えた違和感を思い出した。1980年前後のこと。私は一浪の末に芸大に入り、美大予備校の講師のバイトをしていた。王道のウマウマ路線一直線。
ヘタウマイラストは、サブカル周辺から出てきた。むしろサブカル=ヘタウマくらいの勢いだった。『ガロ』、『ビックリハウス』、『宝島』、『MUSIC MAGAZINE』......。愛読していたそれらの雑誌で私は、湯村輝彦や河村要助やみうらじゅんや安西水丸や蛭子能収やしりあがり寿や根本敬や渡辺和博やスージー甘金のイラスト、マンガに出会った。
なんか、キタナイ。それが第一印象である。なんでこんな絵がいいの? 完全にデッサン狂ってるじゃん。わざとにしても、もっとカッコいい崩し方があろうに......

私が当時好きだった絵はイラスト、マンガ含めて、和田誠、長新太、大橋歩、ひさうちみちお、佐伯俊男、佐々木マキ、高野文子、大友克洋など。ヘタウマ系とだいぶカラーが違うのがおわかり頂けるだろうか。
唯一この中では、長新太が絵面としてはヘタウマに近いように見えるが、実質はそういうカテゴリを凌駕した地点に単独で立っている天才である。ヘタウマは原色系が多く、ケバケバしいのが受けつけなかった。

当時ヘタウマでデビューしたイラストレーターの多くは、美大出身だった。つまり、基本的なデッサン力をわざわざ放棄してああいう絵を描いていたのだ。美大出ではない蛭子能収だって、元はグラフィックデザイナー志望。つまりみんな絵はそこそこ描ける。なのに、なぜ?
高度なデッサン力を体得した後で、そこから大きく脱して成功したもっとも有名な画家はピカソである。ピカソの半抽象画を前に「デッサンが狂ってる」「色がケバケバしい」などと評する人は素人と見なされる。たとえ心の中でそう思っても、「すごく上手く描けるのに、あえてその技術を手放し、新しいことに大胆に挑戦したのだ。コレを初めてやったということが偉いのだ」ということで納得する。
当たり前と言われていること、皆がやっていることをその通りに上手くやっても、何の意味もないのがクリエイティヴな世界。ではヘタウマはどうだったのだろうか。

1970年代、イラスト界で勢いがあったのはスーパーリアリズム。写真を元に写真を超えたリアリズムを追求した60年代から70年代にかけてのアートの潮流で、やがてイラスト界を席巻。「えっ、これ描いたの?」という素朴な驚きを誘うため、今でも人気のあるスタイルだ。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった西武パルコ文化を彩っていたのも、売れっ子イラストレーター・山口はるみの、エアブラシで描かれたリアルで華やかでカッコいい欧米美女の姿だった。当然、イラストやデザイン関係の雑誌にも、その手の超絶技巧な絵がたくさん載っていた。皆がそれを目指していた。
そこにヘタウマである。当たり前と言われていること、皆がやっていることをその通りに上手くやっても、何の意味もない。ヘタウマの登場は、そういう宣言だったのだ。

私は雑誌『話の特集』に連載されていた山田宏一のエッセイ「映画の夢・夢の女」の、山口はるみのイラストを見るのを、毎月楽しみにしていた。それは絵の全部をスーパーリアリズムできっちり仕上げるのではなく、部分的にクロッキーの線を残したとても洒落たものだった。そのエレガントで確かな描線を見て、「やっぱり芸大の油画出身だなぁ」と思ったものだ。
だから、同じく芸大や多摩美や日大芸術学部出身者の中から、真逆のヘタウマ系が登場したのはよくわかる。彼らにとって山口はるみは王道を行く優等生。同じジャンルの中で潮目が変わる時、新しいものは必ず反・優等生から生まれてくる。
優等生・山口はるみの視線は一貫して、「美しいもの」「完璧なもの」に注がれていた。ヘタウマ系は逆だ。仮に美女を描いても、猥雑さや親しみやすさが出る。花を描いても、そこらに転がっている安っぽい造花のようになる。
山口はるみの体現する現代の消費生活が華やかでよそゆきの顔をしていたのに対し、ヘタウマには「普段の顔」感があった。どちらも、バブルに向かって勢いづいていた広告業界の潤沢な資本をバックに広がっていった表現だったが、ヘタウマは、言葉の真の意味でポップだった。

さらに、スーパーリアリズムはその目的と手法上、モチーフや構図などで差をつけても表面的な印象が似てくるのに対して、ヘタウマはバラバラだった。
代表的なイラストレーターの絵を思い浮かべると、湯村輝彦はバタ臭く派手、河村要助はカッキリ直線的でみうらじゅんはふにゃふにゃしており、根本敬はゴチャゴチャギトギト、安西水丸はあっさり味、しりあがり寿は前衛的。
そう言えば、上手いデッサンはどれも似てくる。個性的で尚かつ上手い、というところまで行くのは容易ではない。それに比べ、下手なデッサンのほうがずっとバラエティが出る。良くも悪くもその人の素が現われてくるのだ。
しかも、ヘタウマイラストレーターは、一旦はそこそこウマく描けるところまで行ってから、あえてヘタに舵を切っているのだから、個々の素をスタイルにまで昇華しているとも言える。普通に上手い人より、ずっとレベルの高いことをやっていたことになる。

さてヘタウマが流行り始めた頃、アートのほうではニューペインティング現象なるものが起っていた。
ニューペインティングとは、コンセプチュアルで難解で売れないアートばかりになった70年代後半、アメリカの大手ギャラリーが若い画家を焚きつけて起こしたとされる、激しい筆さばきの具象絵画の潮流。子どもの絵を想起させるような画風のバスキアなどスターを生み、日本に輸入され「現象」となり、横尾忠則が「画家宣言」したくらいの影響力を及ぼした。
1980年、パルコ主催の日本グラフィック展において、芸大出身の日比野克彦がダンボールにラフにペインティングした"小学生"風の作品で大賞を獲得。この第一回日グラにはスーパーリアリズム系の作品もかなり出ていたが、軍配はヘタウマに上がったのである。

当然のことながらそうした現象は、美大の卒業制作展にも如実に現われた。ニューペインティング風、ヘタウマイラスト風が増え、当初は超アカデミック路線の先生たちの眉をひそめさせたという話をいくつも耳にした。アートとイラストの中間くらいの領域に、若い絵描き(クリエイターという言葉が初めて使われるようになった)が大量に発生したのである。
90年代、バブルは弾け広告業界も冷え込み、ヘタウマイラストはポップとしての役割を終えた。その後のイラスト分野でめきめき目立ってくるのは、アニメ絵である。今、ヘタウマのテイストは飽和状態になったゆるキャラの中に生きている。
そして美大生たちは、ウマさへと素直に向かう従来の傾向を再び強めている。彼らの大先輩である会田誠も村上隆も福田美蘭も山口晃も、鍛えたデッサン力をそのまま生かして成功している。

2015年10月30日にNHK・Eテレで放映された、「ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ」の第5回『ヘタウマって何だ』では、以下のような整理がされていた(記憶で書いているので言葉遣いは正確ではないが、概ねこういう内容だったと思う)。
1.ウマウマ‥‥技術的に高く、心に訴える作品
2.ウマヘタ‥‥技術的には高いが、心に訴えない作品
3.ヘタウマ‥‥技術的には低いが、心に訴える作品
4.ヘタヘタ‥‥技術的に低く、心にも訴えない作品

「ウマ」を指す「技術的に高い」とは、写実表現が巧みということだ。輪郭線一本の表現でも「写実性」を感じさせることはできるから、描き込み量の問題ではない。描かれたものが、現実に照らし合わせて正確でリアルに感じられればいい。
ならば、ヘタウマは「技術的には低い」のだろうか。私にはそうは思えない。「技術的に低レベルだから、上手く描けずにああいう絵になってしまった」などと言えば、美大出のヘタウマイラストレーターは怒るだろう。普通に描こうと思えば描けるんだと。
「ヘタウマ」は「技術的に低い」のではなく、現実に照らし合わせると描かれたものにデフォルメがされていると言えるのではないだろうか。かつてのヘタウマイラストレーターたちの絵には、対象に激しいデフォルメが施されていた。そのやり方が過激で面白過ぎて、一見ヘタに見えたのだ。

従ってヘタヘタは、元来絵が苦手でトレーニングもしていないために、期せずしてデフォルメが施されヘンテコになってしまう場合になる。
とすると、Twitterに上げた犬の絵があまりに珍妙で、逆に人気を博してしまいラインのスタンプが売れに売れている俳優の田辺誠一の絵は、どうなるのだろう。
どう見てもトレーニングしてない人のヘタヘタ感に溢れているが、その絵は非常に「心に訴える作品」として受け入れられている。イケメン俳優というギャップの意外性以上に、狙って描いてない素朴な天然さが受けている。ここまでずば抜けてヘタな味をもっている人は、かつてのヘタウマイラストレーターにもいなかったんじゃないかと思うくらいだ。

真のヘタヘタとは、実はヘタウマの亜流として出回っているイラストの中にあるのかもしれない。ヘタウマというすでに安定したポジションに胡座を掻いた、デフォルメも凡庸で色遣いに個性もない、つまらない絵。
そう、絵において決定的に重要なのは、「ウマ/ヘタ」より、「面白い/つまらない」なのだ。それを決めるのは誰かというややこしい問題は一方にあるが、見かけのウマさヘタさを超えて人の心に訴える、もっと言えば突き刺さってくるものがあるか否かが、何より大切だ。
そう考えると、ウマウマまで到達できるごく一握りの人は別として、辛いのはウマヘタな人である。なまじ苦労して技術を身につけているだけに、なんとかそれを生かそうとしてどんどんつまらなくなる。今更ヘタウマなんかに路線変更できない。かとって周囲の素人に「絵、上手いですね」なんて言われても全然嬉しくない。
日本の美大はこれまで、どれだけのウマヘタを量産してきただろうか。この連載で毎回冒頭にある私の受験生風のデッサンも、そんなウマヘタの成れの果てである。


あれ?挿絵いつもより手抜き?時間も短いし、と思った方いらっしゃいますよね。通常60分たっぷり使っている右手に、今回は「左手より短時間で描く」というハンデを課してみた次第。不器用な左手のほうは、形を辿ろうとする思いが線に出てます。それでも10分で集中力が切れました。右手はもう全然ダメです。短時間ならエイヤッという感じで描かねばならないのに、やる気が出なくて途中で投げた美大受験生のデッサンのよう。実はちょっとメンタルを削られる出来事があって、身が入らなかったのです、すみません。気分は絵に如実に現れるものだと、改めて思い知りました。

絵・文=大野左紀子

【イベント情報】
第56回静岡県芸術祭 ふじのくに芸術祭2016
大野左紀子 × 大岡淳 トークセッション
「誰でも表現者」って本当にステキなこと?
――高大接続改革と表現教育――


日時:2016年12月17日(土)13:30~15:30
場所:静岡県立美術館 講堂
※入場無料・予約不要

■問い合わせ先
静岡県文化政策課
電話:054-221-2254 FAX: 054-221-2827
■詳細
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20161207/p1
関連リンク

絵を描く人々
第1回 人は物心つく前に描き始める
第2回 「カッコいい」と「かわいい」、そしてエロいvs
第3回 絵が苦手になる子ども
第4回 美大受験狂想曲
第5回 人体デッサンのハードル
第6回 演出と詐術の世界にようこそ
第7回 自画像と似顔絵をめぐって

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』公式サイト

大野左紀子 1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2003年まで美術作家活動を行った後、文筆活動に入る。
著書は『アーティスト症候群』、『「女」が邪魔をする』、『アート・ヒステリー』など
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16.12.03更新 | WEBスナイパー  >  絵を描く人々
大野左紀子 |