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「お絵描き文化」の特異な発達を遂げた国、日本。「人は何のために絵を描くのか」、「人はなぜ描くことが好きに/嫌いになるのか」、「絵を描くとはどういうことなのか」――。さまざまな形で「絵を描く人々」と関わってきた著者が改めて見つめ直す、私たちと「お絵描き」の原点。
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絵を描く人々 第9回 絵が描けるといい仕事

絵を描くのが好きでずっと趣味で続けている人がいる一方、それを仕事に生かしたいという人も少なくない。13歳のハローワーク公式サイトを見ると、絵が好きな人に向いた仕事がたくさん紹介されている。
まず、画家やマンガ家やイラストレーター、絵本作家、アニメーター、グラフィックデザイナー、絵付け師といった、絵を描くことが中心となっている仕事。裾野も広いが、上のほうには腕っこきがひしめきあっていて狭き門。職業として生計を立てていける人は、志望者全体のわずかである。
仕事の過程でデッサンやクロッキーやスケッチ力が必要なものとして、彫刻家や人形作家、造形関係の仕事がある。私は彫刻を学んでいた頃、二次元で表現できない人に三次元は作れないという言葉をよく聞かされた。どんなものであれ「形」を扱う人にとって、頭に思い描いているイメージをまず紙にわかりやすくアウトプットする力は必要だ。

絵は描かないが絵的な感覚、センスを必要とされる仕事としては、書道家や装丁家、キュレーターやギャラリスト。
書は文字であると同時に、白い平面に黒い描線のクロッキー、あるいはデザインと捉えることもできる。そこでの構図やバランスは、絵に通じるものがあるだろう。装丁家は本の内容、想定読者などを考慮した上での仕事となるから、単独で表現する書道家よりコラボレーションする人に近くなる。
キュレーターやギャラリストは絵を見極め選ぶ側であって描くことはないが、全然描けないよりは少しは描けたほうがいいという話を聞いたことがある。描くという体験が具体的にどういうものなのかを、ある程度知っていたほうがいいと言うべきか。そうすれば、画家とのコミュニケーションも取りやすくなるからだ。

一番のボリュームゾーンは、さまざまな分野のデザイナー、webクリエイター、アートディレクターといった職業だ。特にデザイナーはどんな分野でも、ある程度のデッサン、スケッチ能力が求められていて、デザイン専門学校でもそうした授業がある。インテリアデザインでもプロダクトデザインでも、仕事はパソコンで行なうとしても、実際に手で形を描ける人と描けない人とでは、出来も早さも全然違うらしい。
◯◯デザイナー、クリエイター、ディレクターと呼ばれる人たちの中には、絵描きじゃ食っていけないからこっち方面に来たという人が時々いる。元々画家志望だった映画監督・黒澤明の、絵コンテの上手さは有名だ。

さて、「13歳のハローワーク」には載っていないが、絵が描けるといい仕事の一つとして、美容師がある。最近ではヘア&メイキャップアーティストなどと呼ばれることが多い職種だ。その人たち向けのデッサンの講師を、友人の美容師に頼まれてやっていたことがあるので、エピソードを紹介したい。
人の髪や顔をいじるのにデッサン力など必要あるの?と思う人も多いだろうが、実は絵が描けるのと描けないのとでは、美容師としての格が違ってくるらしい。
例えば、お客さんのしたいヘアスタイルが雑誌などになかったり、何かアドバイスを求められたりした場合、その場でさらさらっと描いて「こんなのはいかがでしょうか?」とお見せできると、さすがプロ!ということになる。
またヘアショーのアイデアなどを出す場合も、自分の頭の中にあるイメージを絵で描いて見せられないと、プロとして恥ずかしい。つまり美容師も、デザイン画を描くファッションデザイナーのように、ヘアデザイナー的な側面を持っているということだ。

ヘアスタイルは言うまでもなく「立体」である。正面から見たらカッコいいけど横から見たら変、では困る。あらゆる方向から見て、どうカッコよく美しく仕上げるか。その感覚養成のためには、実際に人の頭部を見て描くことが必要、頭部と髪の毛との関係性を描いてみて再認識することが必要、というわけだ。
美容専門学校でもそういう授業がないことはないが、常に専門の最新テクを研究中の美容師さんの卵にとっては、デッサンよりもウェーブの巧みな作り方とか、新しいヘアカラーの知識といったことのほうがどうしても先決になる。その上でもっと勉強したい人が、ヘアデッサンを受講する。

2時間の授業だが、まず頭ってのは丸い立体である、その表面から髪の毛が生えている、そういう頭を首が支えている、目鼻口はほぼ左右対称である......という現実認識を促すところから始まる。
なぜそんな当たり前のことを言うのか? 毎日人の頭を触っている美容師なら、いや普通の人なら常識以前のこととしてわかっていよう。そう思われるのだが、それがわかっていないのだ。絵を描かせてみると、それはすぐ知れる。
斜め向きの顔というのが、どうしても描けない人。横顔描くと、目が古代エジプトの壁画のようになる人。頭皮にぺったり張り付いたような髪の毛を描く人。逆に空中から髪が生えてるようになる人。首がこけしみたいに細くなる人。ヘアより顔が異常に個性的になる人。左右の眉毛の高さが違う顔しか描けない人。
まあ最初はそんなのが当たり前。対象を自然な感じに描けるのは、観察と訓練の賜物でしかないのだ。

しかしあくまでヘアデッサンなので、あまり時間をかけずに効率よく描かねばならない。何時間も対象を見つめ、描いたり消したりしている暇はない。立体的にするために、ちょこちょこ細かい陰影などつけている暇もない。なので、プロポーションやバランスの取り方の要領、効率的な顔の描き方の要領、線の強弱で髪の感じを出す要領などを教えていく。とにかく要領やコツ優先である。
美容師になりたての若い受講生の皆さんは大変熱心で、こちらが説明している間も、スケッチブックの片隅にメモを取る手が休まらない。私の音声を全部書き留めているのではないか?という真剣さ。そして、全部吸収して元をとってやるぞという貪欲さ。少ない給料の中から受講代を払っているのだから、当然だ。
3枚、4枚描くうちに、だいたいみんなコツをつかんでしまった。

中年のベテラン美容師さんが受講したこともある。大変熱心なのにも拘わらず、吸収具合は若者の5分の1くらいであった。
それも致し方ないとは思う。歳をとれば頭も固まり、何遍同じことを指摘されても、思うようには手が動かない。だから描いても描いてもそれは、なかなか普通の人間に見えてこない。本人もそれをわかっていて頑張るのだが、ますますヘンテコリンな絵に。
それで途中から指導方針を変え、何でもいいからいいところを見つけて、褒めて褒めて褒め倒して上達させようと試みた。
が、あまりにも「いいじゃないですか!」「あら、よくなりましたね!」を連発し過ぎたせいであろうか、「先生、もっと厳しく言って下さい。遠慮しなくていいですから」と言われてしまった。褒められるより厳しくビシビシ言われて一人前になった、叩き上げの美容師さんが相手だった、と私は反省した。

デッサンなど描けなくても、町の美容師としては普通にやっていけるし、やっている人はたくさんいるだろう。しかし専門的蓄積があっても、その近隣分野については何にも知らない、手も足も出ないとわかった時、人はやはり焦るものである。職業に対するプライドが高くキャリアの長い人ほど、そう感じる。「形」を作る仕事なのに、絵を描くことに関してはまったく無関心だったなと。
美容師の例を上げたが、絵を描く行為はデザインやモノ作り以外にも、さまざまな仕事に直接、間接に関わっている。医者は解剖学でスケッチをするし、生物学者も写真だけでなく詳細なデッサンをする。新しいメニューを作りたい料理人は、皿の上のコンポジションについて絵を描いて考える。幼稚園の先生は絵が描けたほうがいいし、介護士は施設でそれ関連のリクレーションができる。

こんなふうに、探せば案外いろんなところで使えそうなお絵描き能力なのだが、小中学校の図工や美術の時間は「何の役に立つの?」と思っている子どもたちが多そうだ。
7年ほど前に、国立教育政策研究所が行なった全国調査によると、「図画工作の学習は、将来の生活や社会に出て役立つと思いますか?」という質問に、「どちらかというとそう思わない」「そう思わない」生徒が三割近くいた。この割合は、中学で「美術」に変えて聞いてみると、半数近くに上る。
「だって将来絵描きやマンガ家になるわけじゃないしなぁ」「ゲームデザイナーになりたいけど、美術の時間に好きなキャラ描かせてくれないし」「そもそも美術って何かの役に立つもんなの?」といったところだろうか。
図工や美術は情操教育的な側面を持っているので、技術の習得にはあまり重きを置かれていないし、週に1、2時間やっている程度では絵は描けるようにならないしで、勉強の合間の「休憩時間」と化している場合も多い。もったいない話だと思う。

図工や美術の時間で作品を作るのではなく、月に一回、いや二カ月に一回でいいから、アニメーターや人形作家やプロダクトデザイナーや設計士や装丁家やアートディレクターを学校に招いて、講義をしてもらったらどうかと思う。
子どもの頃に描いた絵や、仕事で描いたスケッチなどを見せてもらう。「絵を描く」ことをどんなふうに仕事につなげていったか、色彩や造形センスをどんなふうに養ってきたかを、話してもらう。そういう話を聞きたい子どもは、たくさんいると思う。
簡単な課題を出してもらい、できたものを講評してもらうのもいい。美術の先生とはまた一味違うプロの言葉は、子どもたちに響くだろう。
美術大学で、そういう出張授業の取り組みをしているところはすでにある。デザイナーやクリエイターは多忙だし、学校も行事やカリキュラムで一杯一杯のところが多そうだが、それぞれの地域で少しずつでも専門家と教育機関とのパイプが作られていくといいと思う。「今やってることは、将来何の役に立つの?社会とどうつながってるの?」という子どもの疑問に具体的に答え、視界を広くしてあげることは大人の務め。これは図工、美術に限らず、すべての科目に言えることだ。


同一モチーフを左手と右手で描いて比較するのにも飽きたので、「記憶で描いた後、観察して描く」をやってみました。愛犬タロです。3歳の柴犬オス。毎日見ているその顔が、意外と描けませんでした。最初はお稲荷さんのキツネのようになり、四苦八苦してやっと犬らしくはなりましたが、ちょっとぬいぐるみっぽいです。記憶って本当に当てにならないものですね。観察して描くほうは、対象が全然じっとしていないので写真を元にしました。まあまあ似てると思います。

絵・文=大野左紀子

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絵を描く人々
第1回 人は物心つく前に描き始める
第2回 「カッコいい」と「かわいい」、そしてエロいvs
第3回 絵が苦手になる子ども
第4回 美大受験狂想曲
第5回 人体デッサンのハードル
第6回 演出と詐術の世界にようこそ
第7回 自画像と似顔絵をめぐって
第8回 ヘタウマの功罪

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』公式サイト

大野左紀子 1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2003年まで美術作家活動を行った後、文筆活動に入る。
著書は『アーティスト症候群』、『「女」が邪魔をする』、『アート・ヒステリー』など
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17.01.07更新 | WEBスナイパー  >  絵を描く人々
大野左紀子 |