月一更新
the toriatamachan season2
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実――。女子のリアルを見つめるコラム、シーズン2は「お金」にまつわるアレコレです。
我が家にはお小遣いという制度がありませんでしたが、お年玉でのやりくりを困難に思ったことはなく、お金には困っていませんでした。思えば、職業体験や、実家の酒屋でのレジ打ちなど、労働好きな子どもだったのです。
高校の合格発表を確認したあと、帰りがけに立ち寄ったコンビニの求人を見て、すぐに面接を受けました。「高校生大歓迎」と書いてあったからです。
時給は850円で、給料は月末締めの手渡し。単調なレジ打ちと短時間の接客。コンビニでのアルバイトは好きでした。しかし私は給料のことをすっかり忘れていて、初任給を受け取ったのは、給料日から10日も過ぎた日でした。封筒の中には札が1枚と小銭が少し入っていました。働けばお金がもらえることは理解していましたが、自分の時間に金額がつくことと、年始以外の収入はやはり衝撃でした。
お父さんから「初任給は何に使うんだ」と聞かれたことと、お母さんが初任給で祖父母に買ったプレゼントの写真を見せられたのは覚えていますが、自分が初任給で何を買ったのかは忘れてしまいました。少しでも両親に恩は返したのでしょうか......。
天職だと思っていたコンビニですが、接客に精を出しすぎたせいか、1年ほど経った頃に本社のほうから声がかかり、派遣社員として営業職に引き抜かれました。時給はコンビニの倍を優に超えていましたが、積極性が大いに欠けていたため、あっという間にストレス性の胃腸炎になり辞めてしまいました。思えばこの時から私の胃腸はずっと弱いままです。
せっかくなので他業種で働こうと思いましたが、高校生を雇ってくれる会社は、想像よりもずっと少なく、コンビニを除くと飲食店しか残りませんでした。
同級生にはアパレル関係のアルバイトをしている子もいましたが、この頃に地下アイドルの活動を始めてしまったため、出勤時間が拘束されがちな職種に就くことはできませんでした。
仕方がないので、いくつかの適当な飲食店でアルバイトをしていると、楽屋なんかで「地下アイドルのほうが稼げるのに、アルバイト辞めないの?」と、よく言われました。その通りだったのですが、活動が多忙を極めるほど、私は以下のようなアルバイトにしがみつきました。
まず繁華街にある安いカラオケ屋さん。その頃にブラック企業という単語がもっと流行っていれば、まぎれもなくブラック企業でした。八つ当たりがてら社員から怒鳴られる朝礼があるので、15分早く出勤します。
常に人手不足だったので、繁忙期にはシフトをすべて会社に任せると、給料が数万円上乗せされる制度があり、任せると本当に容赦なく連日、長時間働かされるのでした。アルバイトの人たちはいつも顔面蒼白で、社員はいつも怒鳴っていました。私はマイペースなので、仕事はどう考えても遅かったのですが、接客を丁寧にする人がいなかったため、するすると昇給して、陰で「高給取り」と呼ばれていました。もちろん悪口です。
冷暖房の利きが弱いせいか、夏場はドリンクバーのジュースを室内で掛け合うギャルとギャル男が多発し、あくる日、乾いた糖分と群がる虫を掃除した後にバックヤードに戻ると、いつもの調子で怒鳴っていた社員が、アルバイトの男の子の足を蹴って骨折させてしまったのを見て、私の心も折れました。
その後も、バーやメイド喫茶、お好み焼き屋などで働いていましたが、水商売系は癖の強い人が多く人間関係が複雑で、普通の飲食店で働けば私の癖が強いせいで除籍されたりしました。
それでも途切れることなくアルバイト先を渡り歩いていた時、ふとテレビの仕事が舞い込み、ちょこっと映ったら帰りがけに万札を渡されました。万札を握った瞬間、胸がずんと重たくなるのを感じました。うすうす気がついていたのですが、そういう性格なのです。辛い思いをしてお金を稼ぐのがよくて、精神的に負荷のない仕事で稼ぐと、プラスマイナスをゼロにするかのように、気持ちが辛くなるのです。どうしてなのか、自分にもわからないのです。
そういえばこの頃、預金残高の3桁以下が端数になると嫌で、いつも手数料まで計算して、じゃらじゃらと小銭を引き出していました。これもまた、自分にもよくわかりません。
いまのところ最後のアルバイトは小さなビストロです。求人の張り紙に筆ペンで「根暗でも大丈夫です」と書かれていました。大学2年生のことです。
私はそこで、ワインの基礎知識と、お客様に合わせた接客と、食事の質と値段の関係を知りました。勉強も兼ねて外食にお金をかけるようになり、食事とサービスの価格を覚えていきました。この頃に築いた食事とサービスに対する相場は、私の価値観の中心になっています。
後期には地下アイドルとしての仕事が過密化し、ひと月まるまる休ませてもらうこともありましたが、店を辞めようとはしませんでした。卒業が近づいてくると、時々、店長が「社員になるか」と声をかけてくれました。
結局、私が社員になることはなく、過密化したスケジュールに押されるがまま、卒業を迎える前に小さなビストロを後にすることになりました。あの時、就職せずに大学から除籍となった日よりも、ずっと大きな決断をしたように感じます。
アルバイトは、地下アイドルの自分と、プライベートの自分のバランスを保つ重要な時間でした。私は単調に働くことが好きで、地下アイドルを生業にし始めたいまでも、ふとコンビニ店員に戻りたくなり、その時の気持ちにやはり収入は関係ないのです。
文=姫乃たま
関連記事
15.05.23更新 |
WEBスナイパー
>
とりあたまちゃん
| |
| |