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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。1カ月に2回、長野にある実家に帰る。
基本的には2泊3日。平日の朝、家人を会社に送り出し急いで掃除をしてから部屋を出る。
実家がある町には新幹線なんて便利なものは通っていないので、新宿西口から高速バスで4時間以上かかってしまう。でも、慣れてしまえばなんてことはない。ウトウトするかスマホでもいじくっていればあっという間だ。
高速バスの窓から外を眺めていると、ぎゅうぎゅうにひしめきあっていた高層ビルがどんどんまばらになり、背の低い住宅ばかりになって、やがて田んぼや山が現われる。それを見ると、田舎者の私は忙しい都会の日常から逃れられた気がして少しホッとする。
長野に住んでいる頃はこれとは逆で、月に2回ほど東京に遊びに来ていた。半ニートの実家暮らしは気楽だけれど刺激が足りないし、四六時中家族と顔を突き合わせているとストレスもたまるからだ。
もう15年くらい、こんなふうに実家と東京を行き来してバランスをとる生活を送っている。
どっちつかずのコウモリみたいだな、と思う。
ほとんどの大人は楽しい都会で暮らすために高い家賃を払ったり、退屈でも地道な田舎暮らしを選んで一生懸命生活してるのに、私は四十路にもなって腰が据わらない。ふわふわと美味しいところをとろうとしてるみたいで、ちょっと気が引けてしまう。
でも月に2回、私は実家に帰ることに決めている。
高速バスの停留所に着くと、いつも70歳過ぎの老母が軽自動車で迎えに来てくれている。
特に用事がない限り、そのまま二人で近くのスーパーへ行き夕飯の買い物をする。献立を立てて、料理を作り、晩酌をしながらできるだけゆっくりご飯を食べる。それ以外に、実家ですることなんてほとんどないからだ。
夕食を食べながらの話題も決まっていて、大抵はそのとき見ていたテレビの話かご近所さんの噂話、あと腰が痛いとか白髪が増えたとかいう愚痴が少々。翌日も翌々日もやることはほとんど同じ。よく飽きないと思うのだが、それでも老母は2週間に一度の娘の帰りをじっと待っている。
老母を一言で表現するとしたら「よく喋る小さいおばあさん」といったところだろうか。
4年前、祖母が亡くなってから一人暮らしをするようになった。最初は少し心配したけれど、いざとなったら女は強い。趣味で俳句を始めたり、近所の奥さんとパッチワークをしたり、年金を貯めて旅行に行ったり、なかなか楽しくやっているようだ。
母とスーパーを歩いていると、ときどき母の友達らしき御婦人に「あら、娘さんとお買い物? 頻繁に帰ってきてくれていいわねえ」なんて声をかけられる。「ほんと、ありがたいと思ってるのよ」と母親が言う。私は食材がいっぱい入ったカートを押しながら、いい娘さんぶって知らないおばさんにサービススマイルで会釈する。
どこから見ても仲のいい母娘である。
でも、実を言うとこんなふうに気楽に過ごせるようになったのは、ここ数年くらいのことだ。
30代半ばの頃は、よく喧嘩をした。
老母は明るい人間だが、基本的に常識的で堅い性格である。いい年になっても結婚せず、エロライターなんて仕事をしながらふわふわと実家と東京を行き来する私のことが心配で見ていられなかったのだろう。最初のうちはお見合い話を持ってくるくらいだったのだが、結婚願望がないとわかると毎日のように「将来どうするの」と尋ねるようになってきた。
私は彼女の暗い声を聞くのが嫌でたまらず、しまいにはいつも激しい言い争いになった。泣きながら「あんたのことが心配で眠れない」という老母に、泣きながら「このままじゃマズいことは私が一番わかってる!」と言い返す私。
老母はついに精神安定剤と睡眠薬を常用するようになった。
そんな姿を見れば私だって落ち込む。いわば負の連鎖だ。こんなふうに感情をコントロールできない老母の姿を見るのは初めてで、どうしていいかわからなかった。
よしながふみの『愛すべき娘たち』という漫画に、こんな一文がある。
――母というのは要するに、一人の不完全な女のことなのだ。
よしながふみは天才だと思う。「母親」というものをこんなにも正しく言い現わした言葉を、私は他に知らない。
母親というと「聖なるもの」というイメージがあるけれど、セックスをして子供を産んだからといって女が聖母マリアに変身するわけじゃない。弱くて、いびつで、少し勝手な「女」のままだ。頭ではわかっていたはずのことを、老人になりかけた母の涙を見て改めて思い知らされた。
腫れものに触るようなギスギスした関係が何年か続いたものの、ある時を境に母親はぱったり将来の話をしなくなった。憑き物が落ちたというのもあるだろうが、たぶん一番の原因は祖母の体が弱り始めたせいだろう。
お嬢様育ちでプライドの高い祖母は、デイサービスや入院を嫌がり、家での介護を強く希望した。一人でトイレにも行けない彼女を自宅介護することになったら私が結婚して家を出るなんてことは不可能で、私と母は自然とチームを組まざるをえなくなった。
喧嘩をしなくなった代わりに、母は介護でほとんど家を出られなくなってしまった。私も印刷屋のバイトとライターの仕事と介護が重なって、なんとなくイライラしがちになっていく。出口の見えない閉塞感。月に2回、東京に行くことだけが気晴らしだった。
東京に部屋を借りることを考え始めたのは、その頃だ。
もちろん逃げ場が欲しいという気持ちもあったけれど、それだけじゃない。東京にライター仕事のできる環境があれば効率よく稼げて、拘束時間の長いアルバイトをやめられる。つまり、時間の融通がきくようになる。
ワンルームを借りるお金はなかったから、今の夫が引っ越すという話を聞き、一部屋シェアさせてくれるよう話をとりつけた。
それを伝えたときのことは、よく覚えている。
「男友達の家に部屋を借りようと思う」と言う私に、老母はきっぱりと「そんな相手がいるのなら、東京へ引っ越しなさい」と言った。
「いや、それは無理だよ。お母さんの自由がまったくなくなっちゃうし......」
「おばあちゃんはこれからどんどん動けなくなる。私一人でもなんとかできる今のうちに、あんたは逃げなさい」
「でも......」
「お願いだから行ってちょうだい。私に後悔させないで!」
聖母マリアじゃないけれど、この女性はやっぱり私の母親なんだと思った。身長145センチしかない小さな婆さんのくせに、ちょっとかっこよかった。
私は、若干の後ろめたさを抱えたまま東京へ行くことになった。そしてそのとき、月に2回は実家に帰ることを心に決めた。
結局祖母は私が家を離れて半年ほどで亡くなり、老母は一人暮らしの気楽なおばあちゃんになった。「介護もなくなったし、もう無理して帰ってこなくていいよ」と言う。
正直、70歳を過ぎた老母の「あそこの調子が悪い、ここが痛い」なんて話を聞くと、自分の行く末を見せつけられるようでちょっと落ち込む。面倒なときも、仕事のAVサンプルを鞄に入れてバスに乗らなきゃならないこともある。
でもそんなときは「私に後悔させないで」そうきっぱり言い放った老母の顔を思い出すのだ。
コウモリ娘はやっぱり今月も月2回、高速バスで実家へ舞い戻る。
母の心意気ってやつを見せてくれた老母と、自分を裏切らないために。
文=遠藤遊佐
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15.03.14更新 |
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