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The ABLIFE July 2014
不遇の現代から起死回生を目指して「転生」した過去の世界で、妙齢のヒロインが彷徨う狂おしき被虐の地獄。裁き、牢獄、囚奴、拷問――希望と絶望の狭間で迸る、鮮烈な官能の美とは。読者作家・御牢番役と絵師・市原綾彦のペアで贈る待望の長編SMマニア小説。
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【1】転生への嚆矢

茹だるような真夏の日差しに炙られた、鄙びたボロアパートの一角......。

二十六歳になる専業主婦の村上ユキは、四畳半の部屋の中で擦り切れた畳の上に座し、長年替えられることもなく、セピア調に変色して剥がれかけている壁紙で覆われたボロ壁に背中を付けて天井を見上げていた。

ああ、暑い......。

外は摂氏三十五度を超えるような猛暑なのに、彼女の座す部屋にはエアコンはおろか、扇風機の一台もない。旦那は定職につかず、かろうじて日雇いの仕事をしながら博打に明け暮れる駄目な男。しかも彼は酷いDV性格だった。

嫉妬深く、虚栄心も強いため、妻が外で働くことを許さない。もともと体が弱かったこともあり、彼女はこの暑い部屋で細々と内職をする以外になかった。

生活は困窮を極めている。冷暖房機器を揃えることなど不可能であった。

外に出るのは、少しでもエアコンの恩恵にあずかるために公立の施設へ行く時だけ......三度の食事にさえ支障をきたしている彼女には、デパートやコンビ二へ行ったところで買える商品がない。

ボロボロの財布を開けて眺めると、十円玉が五枚と一円玉が三枚......。

「たったこれだけか。これじゃアイス一つも買えないな」

彼女は、溜め息をつきながら、着古したヨレヨレの襟元のシャツを脱ぎ捨てた。シャツの下はブラジャーも着けていない。

汗にまみれた豊満な乳房が剥き出しになる。下は煤けた無地のスカート一枚。それも裾は擦り切れて糸がほつれていた。

ユキが外へ出られない理由がもう一つある。着ていく服がないのだ。

なけなしの金をギャンブルへつぎ込んでしまう夫のために、彼女は自分の服を質に出していた。上着から靴下に至るまで、金になりそうなものは次々に売った。

先日、亡き母親の形見だった絹の仕立てを涙ながらに質へ出し、彼女はついに売りにする物がなくなった。

ユキに残されているのは、今着ている汗を吸ったベタベタの上着にスカート一枚......。それもフリーマーケットで無料に手に入れたボロ着だった。

ブラやショーツすらない。脱ぎたての生下着をその筋の中古の下着屋に持って行くと金になる......と図書館のインターネットで知り、穿いていたものまで脱いで、袋に無造作に詰め込んで売りに行った。

「うホッ......! これはまた生活の臭いがプンプンする一品じゃないですか。このパンティの股間のシミといい、変態の男なら飛びつきますよ」

店員が下卑た笑みを浮かべつつ、「奥さんも奇麗な方なのに大変ですね」と舐め回すような目で見てきた時のイヤな気分を思い出す。

だから......今のユキはスカートの下に何も着けていなかった。

「どうせ、外へ行かなきゃいけない用事もない......暑いから涼しくていいわ」

彼女は自嘲しながらサウナのような部屋の真ん中に座り、スカートの奥に手を突っ込んで股座に触れた。

下着を穿かぬ指の先には、汗と垢で湿った陰部の秘孔がある。

彼女はジワジワと手を動かし、自慰を始めた。

テレビやラジオなどもなく、家具調度は空になった古い箪笥とぺっちゃんこになった煎餅布団にタオルケット。後は蚤の市で手に入れた丸机しかない。

もはや彼女の唯一の楽しみは、自分の汗にまみれた身体を弄ぶことだけだった。

「アッ......う、フウン......!」

指を動かしていると、秘所の無花果の実がたちまち濡れてくるのが分かる。クチュクチュと淫汁の鳴る音が官能の欲を引き出し、ユキを色情に支配された牝獣へと変えていく。

「アアッ、ウン......ウウ......ン!」

暑さのために窓を開ききっているが、声が外へ漏れるのも今のユキには気にならない。彼女は、頭の先から足の爪先まで汗だくになりながら、自分の急所を激しく責めて悶え呻く。

夫とはもう三年近くもセックスをしていない。交流があるとすれば殴る蹴るの暴行を受けることだけだった。夜逃げも考えたが、そんなことをすれば地の果てまで追ってきて殺されるかもしれないと考えると、怖くて実行できない。

彼女は、このボロアパートで奴隷のように生きている。独りになれる時間に自慰をするのは、ユキの唯一の楽しみであった。

「あっ、アアン......い、イクっ」

ラビアがたっぷりとした蜜汁で濡れそぼち、一層大きな音を奏でる。彼女は汗粒の滴る頬を畳に擦りつけながら、激しく悶絶し、スカートから突き出た両脚を開いて、それまで以上に激しく指を突き入れた。

「アウウッ......!」

電撃のような恍惚と悦楽が彼女の脳天を突きぬける。ユキは昇天したまま、暫時くすんだ畳の上で荒い息を吐き続け、やがて部屋の熱気と満足感に包まれて目を閉じた。

疲れの中、ドロドロと混濁した意識が、みすぼらしい姿を晒してうずくまる彼女を深い眠りに誘った。


ユキが目を覚ました時、日はすでに傾いていた。相変わらず、暑い。このまま熱帯夜になりそうだ。

ユキは畳から身を起こし、首筋に溜まった汗を手の甲で拭った。

「いったい何度あるんだろう......」

テレビがないので天気予報を見ることもできない。そのために、以前は傘を持たずに外出して、よくにわか雨に遭った。全身ずぶ濡れのまま、肌にベッタリ張り付いたシャツから透けるノーブラの乳房をどうにか隠し、裸足のままこのボロアパートに駆け込んだ。

そのうちに彼女は雲の動きや色を見て、雨が降るかを判断できるようになった。

夫は早朝から外に出たままだ。このまま夜七時まで帰ってこなければ、今日は帰ってこない。そんな日が三、四日続くのはざらにあることだった。

何もない朽ちた部屋の中で、下着も付けず着たきり雀のまま、独りで過ごす毎日。DV夫がいないのは平和でいいが、溜まっていく鬱屈をどうすることもできないのも事実だった。

「ああ、痒い......。ちくしょう、水道まで止められては髪も洗えないよ」

水道料金の滞納が続き、三日前から水道が止められていた。バルブを閉めに来た市の職員に哀願したが、滞納常習者となっていたユキに彼らは冷たかった。

「水道代が払えるなら、直ぐにでも開けますよ」

何も言いかえせない自分が辛かったし、情けなくなる。

ユキは七時まで待って起き上がると、汗臭いシャツを着て、履き潰して底に穴の開きそうな汚れたゴム草履を履く。この草履も二年前ゴミ置き場に捨ててあったのを拾ってきた。彼女の唯一の履物だった。

彼女はこのボロ草履で一年中生活してきた。最初は擦り切れた靴下を履いていたが、我慢するうちに真冬でも素足で平気になり、雪の降る中でも裸足に草履で外へ出るほどになった。

「あの人......雪なのに裸足だよ」
「あんなペラペラの薄着で大丈夫なの......?」
「たぶんホームレスの女なんだよ」

人とすれ違うたびにそんな囁きを耳にする。最初のうちは顔が真っ赤になるほど羞恥を覚え、心が押し潰されそうだったが、今では何とも思わない。

公園に着くと水道の蛇口を捻り、髪の毛を洗う。化粧品も買えないので吹き出物だらけの強張った顔を無造作に濯ぐ。

濡れた髪から滴り落ちる水もそのままに、公園のベンチへ座り何をすることもなく虚空を見つめている自分は、この世から隔絶された存在だと思わずにはいられなかった。

そんなユキの眼に、電柱に張られた一枚のチラシが映った。

......未体験の貴女を探しに行きませんか――?

見出しも何もない。ただこの文言に加えて携帯電話の番号と「芦田」という苗字らしきものが書かれている。

何を勧誘しているのだろう。職種も書かれていないので何を募集しているのか分からない。報酬や金額に関する記述もなかった。

だが、ユキはこの広告に惹かれて、目を細めた。未体験の貴女......という言葉が彼女を魅了したのだ。

今の自分はボロ屑のように夫に酷使されて何もかも吸い取られた、残り滓同然の女だ。そんな自分に「未体験の自分」を探すことができるなら――。

ユキはフラフラと立ち上がると、公衆電話へ足を運んだ。財布からなけなしの十円玉を取り出すと、硬貨の投入口に三枚入れて、チラシにある携帯番号のダイヤルボタンを押した。

「......はい」

低い男の声がユキの鼓膜を刺激した。

「あ、あの......公園のチラシを見て――」

ユキは少しの緊張とともに、受話器の向こうの男に状況を伝えた。少しの間を置いて男の返答があった。

「ああ、そうですか。じゃあ興味があるということですね?」
「はい......」

声の主、おそらく芦田という人物は言葉を続けた。

「電話だと難しいので、よろしければ直接会って話したいんだが、今から逢うことは可能ですか?」

夫は帰ってこないし、どうせ独りでいてもすることはない。ユキは十円玉をさらに二枚、投入口に追加した。

「でも......あたし、今酷い格好で......」
「ああ、容姿なんて関係ないですよ。僕の話に付き合っていただくだけなので、時間もそんなにかかりませんし」

一般常識で推し量るならば、胡散臭い話だった。しかし、夫以外の異性と久しぶりに言葉を交わしたユキは、心の昂ぶりを覚えるのと共に、もう少し話を聞いてもいいと思った。

「......あたしの居る場所は、信楽公園です」
「ああ、其処なら車で行けば十五分ほどです。これから向かいますよ」

待ち合わせの約束をしたユキは、再びベンチへ腰掛けながら待つうちに、やはり電話をしたことを後悔し始めていた。

帰るなら今だ......先ほどから頭の中のもう一人の自分がそう言っている。でも、彼女は未知の自分を探す、別の言葉で言うなら虫けらのような現実の自分から逃避させてくれそうなチラシの文言に、どうしようもなく心が傾いていた。

やっぱり待ってみよう......。

ユキはそのままベンチに座り、草履の先から突き出している、土埃で煤けた素足の指先をじっと見つめた。どれくらい時間が経ったのか、不意に彼女の足の前に男物の革靴が飛び込んできた。

「......電話したのは貴女ですか?」

見上げたユキの眼前に、すばらしく美麗な老紳士が立っていた。漫画から飛び出してきた、富豪家に仕える執事のような出で立ちで、スーツにも皺一つない。

「あ、は、はい......あたしです」

ユキは思わずベンチから尻を浮かして立ち上がると、マッチ売りの少女のようなみすぼらしい自分の姿と彼の姿を比べ、赤面して声を詰まらせた。

「待たせてすまない、僕が芦田です。なるほど、これはまた魅力的な格好だね」

芦田は目を細めて、彼女の濡れた髪の毛や、粗末な着衣を見つめながら言った。

「さあ、それでは早速行きましょう」
「え、行くとは何処へ......?」

彼は自分の家へユキを招待したいと言った。

「なに、煮て焼いて食おうなんて思いません。でも、僕の話すことは実際に家で実物を見ながらのほうが理解しやすいからね」

実物......なんだろう。何かされるのかしら――。

表情に怯えの色を見せたユキを見ながら、芦田は彼女の肩に自分の手を置いて言った。

「貴女は、あのチラシを見て電話をしたのでしょう? もう一人の自分を探す旅は、直ぐ其処にあります」

彼女の躊躇は短かった。どうせ元のアパートに戻ったところで、食べるものすらないのだから......。

ユキは芦田の駆る車に乗った。座席で芦田からアイマスクを渡される。

「すまないが、これで両目を覆ってください。道筋が分かるのは後々お互いに不利益になるかもしれない。むろん、嫌なら構わないがね」
「分かりました」

言われたことに従うのには慣れている。夫から散々暴行を受けてきた身だから......。ユキはアイマスクで両目を隠し、深夜、静かに車で搬送された。

これが、彼女の稀有な旅路の始まりであった......。


ユキが連れて行かれた先は、洋画のセットに出てくるような小奇麗な部屋だった。小さなシャンデリアの下の机の上には、なにやら外国の言葉で書かれた書類が置かれている。

「ここが僕の部屋だよ。さあ、座って」

ユキは紳士然とした芦田に誘われ、柔らかなソファに腰を掛けた。座り心地は最高で、彼女の尻がもう離れたくないと言っているのが分かる。

「さて、それじゃ少し僕の話をしよう。僕は芦田といい、セラピストをしている」
「セラ......ピストですか」

話を聞くと、芦田が専門にしているのは前世療法を専門とした治療だそうだ。前世療法とは催眠療法の一種であり、患者の記憶を本人の出産以前まで誘導し、心的外傷等を取り除くと言われている。

「それでは、その方法で過去の私を探す......それがもう一人の自分を見つけるということですか?」
「その通りです。聡明な方ですね」

ユキは芦田が差し出した紅茶を一口啜る。こんな美味しい紅茶を飲んだのは何年ぶりだろう......極上の味と香りに彼女の口が歓喜に戦慄いていた。

前世医療なら聞いたこともあるし、治療を受けている人もいる。高いお金を払わなければいけないのでは......

ユキは心配になった。治療代を払うためのお金など、今の彼女には一銭もない。

「いいえ、その心配はありません。貴女はお金を払わなくていい。唯一つ言うことを聞いてくれれば」

やはり......そういうことか。何かしらギブ&テイクを強要されるだろうとは思っていた。

「一体......どんなことを?」

彼はそんな難しいことじゃない、と笑顔で言いながら、二粒の錠剤をテーブルの上の皿に置いた。

「......催眠療法は、様々な誘導手段によって患者を前世へと誘います。ただし、患者には体力や精神力などの影響で、中々前世へと誘導することが困難な方も居て、治療が失敗する場合も多々ある。それで、患者さんを確実かつ迅速に前世へ誘導できるように、僕が開発した誘導薬を飲んでいただきたい。それがこの治療を受ける貴女の代償です」

要は、芦田が開発したこの試験薬の被験者になれということだ。

「しかも、この薬は今の貴女の記憶を繋いだまま過去世へと誘導できる。普通、前世療法は夢の中に居るような景色の中で進行しますが、この薬によって貴女は文字通り、前世のリアルな世界をしっかり意識を持って旅することができるのです」
「この薬を飲んだ患者さんは、今までにいらっしゃるのですか?」

ユキの質問に、芦田はええ、居ます......と頷いた。

「この薬の効能は桁違いで、患者は前世への世界に飛び、其処が今ここに居る現実よりも本当だと信じてしまう。それほど効果は抜群ですが、一つ問題があってね......」

そこで彼は、書面をユキの前に差し出した。

それは誓約書だった。

「効果が素晴らしい代わりに、患者はその前世の世界が、今の真実の世界と思い込み、二度と意識を戻すことなく向こうの世界に居座り続けることがある。そうなると、貴女の身体は意識をなくしたまま何年......いいや、何十年も昏睡した状態になる可能性がある。

自我の強い人なら戻ってこられると思うが、貴女にも当然保証がない。それで、もしこの治療を受ける決心がついたら、治療薬を飲んでもこちらに責任がない旨を書いた、この誓約書にサインしてほしい。それだけでユキさん、貴女は未体験の自分を探す旅に出られるのです」

ユキは赤と白色の錠剤を手にし、見つめながら言った。

「この薬を飲むだけで治療代もタダで、今の地獄のような生活の私から暫くの間でも抜け出すことができるなら......私は、サインをします」
「そうですか......では此処へ」

芦田が差し出したペンを取り、ユキは自分の名前を書いて栂印を押した。それだけでこの治療にまつわる契約はなされたことになる。

「早速始めますか?」
「お願いします......」

ユキは深々と紳士にお辞儀をした。

彼女は隣室の暗室へ誘われ、簡単な説明を受けた。

「此処の時間で十時間を経過すると、この薬の効果が消えるはすだ。その時、貴女の意識を戻す試みをします。そこで貴女が目覚めなければ......」
「はい、私はそのまま前世世界に居続けるということですね?」

ユキは全てを了解して薬を受け取ると、口に放り込み、水で喉奥へ押し込んだ。

中央にあるベッドに身を横たえて両目を閉じると、直ぐにチカチカと眼前で幾千の星屑が光り輝き、彼女を別世界へと連れて行く。

もう一人のユキ......前世の彼女の体験が今始まろうとしていた。

(続く)

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