新連載
the toriatamachan season3
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実――。女子のリアルを見つめるコラム、シーズン3は「わたしのすきなこと」にまつわるアレコレです。
行き詰まった時は新宿のファストフード店に行く。普段は縁のない人達がいて、世界は広いんだなと思えるから。
この下北沢のスープカレー屋は、熱狂的な常連客が多いので、サイケな店内の雰囲気も相まって、本当に"何かのスパイス"が入っているんじゃないかと噂されている。そんなわけないけど、食べていると、そんなこともある気がしてくる。私はそこに音楽家の男性といた。酒も煙草もドラッグもやらないけど、カレーだけは中毒のように食べる人。
彼は「酔っ払った時に楽しくなるってことは、楽しくなれる機能は備わってるってことでしょう。そしたら、素面の時でもそういう気持ちまで持って行けるように訓練できないのかなあ」と、提案していた。長く生き過ぎたなと思うのは、たとえばそういうこと。
小さい頃はよくトリップした。
ぐるぐるまわって、酩酊状態になる初歩的な方法から、道の途中で「ここは知らないところだ」と思い込んで、妙な浮遊感に興奮する方法まで。いとも簡単だった。中でも私を夢中にしたのは、知らない家の窓を見ることで、明かりが灯っていると、自分とは縁のない生活の存在にうっとりとした。父親の双眼鏡は、私が人の家の窓を観察するためのものになった。たいていは何も見えなかったけど、それでも構わなかった。私は変わらずにうっとりして、空に浮かぶ月を見ては満足げに息を吸った。
まだ長く生きていなかった私は、どこから来て、どうして私は私で、そしてどこへ行くんだろうという、根源的且つ純粋な疑問を、律儀にまだ抱えていた。そしてなぜか、自分は自分のまま大人にならず、いつかほかの誰かになると信じていた。幼稚園で足の速いりさちゃんや、頭の良いちあきちゃんになるのだと信じていた。まっすぐに。小さかった私は、私が私である確証をまだ持っていなかったので、すぐにでも他の誰かになれる気がしていて、行ったことがない場所に居る気にもなれた。現実感を失っていく遊びに、ひとりで夢中になっていた。
贅沢な遊びだと思う。
結局、私はどれだけ心が浮遊しても、自分が誰かわからなくなっても、この両親の娘であり、弟の姉であることだけは確かだった。だから安心して現実感を失えた。
大きくなって、あまりトリップすることはなくなった。酒を飲んで酩酊したり、眠りすぎて呆けたりするだけ。それはすごく現実的な遊びだ。それでもまだ、知らない道を延々と歩いていると、時々ナチュラルハイが訪れて、あの頃の遊びに没頭することができる。そういう時の私は、気持ちの良い浮遊感を損なわないように、慎重に知らない道を選んで歩き続ける。
知らない道で、私は誰でもなくなって、途端に知らない人の生活が愛おしくなる。あらんかぎり外車を詰め込んだお屋敷も、乱雑に洗濯物が干されたボロアパートも、人通りのない路地裏の無防備な窓も、平等に愛おしい。知らない人がいて、縁のない生活がある。私はそのどの人生も取って代わって歩める気がする。そのことに、ときめく。
しかし、トリップはきちんと終わる。家が近づいてくると徐々に平常心に戻り、玄関を開けると流れ込んでくる現実感に浮遊感は溶けていく。
私は私で、どこから来て、どこへ行くのかを考えても、もう足元をすくわれるような気持ちにはならない。いつまでもそんなに、律儀でもピュアでもいられないからだ。それには少し長く生きすぎている。でも現実的な理由で疲れた時、知らない道や、新宿のファストフード店で、私は私でなくなる。とても自覚的な方法で。
それでも玄関の先には、料理を作る母親と、ギターを弾く父親と、昼寝から覚めない弟がいる。22歳、私にはまだ帰る場所がある。
文=姫乃たま
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16.02.28更新 |
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