イラストレーション・シリーズ「レイヤー百景2.0」第8話/夏コミ地獄変・前編

Monthly Illustration series by inumoto

月一更新イラストレーション・シリーズ「レイヤー百景2.0」

二次元と三次元とコスプレとレイヤーの境界を行きつ戻りつしながら筆を動かす多元的イラストレーション・シリーズ。絵師・inumotoさんが描き、綴る、物語の中でコスプレを考察していくユニークな連作です。

第8話夏コミ地獄変・前編
　
茹だるような暑さ。いつものコスプレ仲間たちはこの暑さの中よもやエアコンが付いていないなどとは想像もしなかった山田高菜の住む六畳一間のアパートに集まったことを激しく後悔していた。得意料理である炒飯をご馳走すると言い出した高菜を全力で制止したところで高菜以外の全員は力尽き彼女だけが元気に喋り続けている。

「みんな夏コミ（夏コミとは毎年夏と冬に開催される日本最大の同人コミック即売会のことである）には参加するよね？」
「うん、まあ」

皆この祭典には当然気合を入れて臨むわけだが今はこのうんざりするような状況のため、口々に気のない返事をした。

高菜はそんなことは意に介さず続ける。

「よかった。サークルチケット（サークルチケットとは自主制作コミックの頒布を行なうサークルが事前に登録し入場するためのチケットである。コスプレするだけなら必要ない）は取ってあるから」
「サークルチケット？」

皆の疑問を祥子が代弁する。

「サークル参加する気なの？何か売るものあるの？」

高菜は自信満々に答える。

「そう！これから漫画を描くのよ！」
「は？」

一同は状況が飲み込めない。

「実はそのために集まってもらったのよ！！」
「おっとそろそろバイトの時間だ......」

そそくさと逃げようとする寅子をすかさず引き留める高菜。

「寅子ちゃん今日は休みだって言ってたでしょ！！」
「うう、あたし漫画なんて描いたことないけど......」

「私も......」と最早この暑さに耐えられそうもないみどり。

「......」

不自然に黙っている祥子を見てすかさず察する高菜。

「あるんだね祥子ちゃん！！」
「う、まあ......一応」
「ではチーフアシスタント（漫画家を手伝うアシスタントのリーダー）に任命します！」
「はあ。それで、漫画はどれくらいできてるの？」
「ネーム（コマ割りやセリフなどが描かれたラフ）は出来てるよ！」
「......見せてみ」

祥子が目を通す。

それは女子コスプレイヤーたちのとりとめのない日常を描いた所謂きらら系（芳文社が発行する「まんがタイムきらら」に代表されるかわいい女の子たちのゆるふわな日常に萌えることを目的とした漫画の総称）の4コマ漫画であった。

「案外悪くないわね」「うん。絵もかわいいし」「オチがねーじゃん」
「ふふふ、寅子ちゃんもそのうちわかってくるよ。萌えというものが」
「それじゃあ始めようか！」「やれやれ......わかったよ」

諦めムードの一同。

「と、その前に！」

高菜がまたなにかおかしなことを言い出すのではないかと一同うんざりした目で彼女を見る。

「気分を盛り上げるために漫画家のコスプレをしましょう！」
「......は？」

一同キョトンとする。

勢いよく押入れを開け放ち様々な衣装を取り出す高菜。

「祥子ちゃんはこれ！オトナな女流漫画家風！」

上品なブラウスにセミロングのスカート、そこに漫画家らしいシックな色合いのベレー帽を合わせる。お洒落な丸眼鏡もポイントが高い。

「緑ちゃんはレトロでかわいい系の少女漫画家風！」

フリルをふんだんにあしらった淡いピンクのドレスが夢見がちな少女の世界観を演出する。

「寅子ちゃんはサブカル漫画家風かなー」

サイケな柄のシャツがパンキッシュな金髪と相性がいい。ボトムスは暗いトーンでタイトに。現代アートに精通する一癖ありそうな美大生風だ。

寅子がもっともな疑問を口にする。

「これってコスプレか......？」
「いいのよ。漫画家になり切れれば」
「高菜はどうすんだ？」
「わたしはこれ！」

雑なプリントのTシャツに高校時代のジャージの上下。機能だけを追求したヘアバンドにおよそお洒落感のない眼鏡。

「どう？完全に締め切りに追われる漫画家でしょう！？」
「おおーー」

一同謎の納得。

「なんだか楽しくなってきたぞ！？」「私も！」「先生！何から始めましょうか！？」
「それじゃあまず未経験のふたりには原稿用紙に枠線を引いて貰いましょうか！」
「はい！」
「祥子君は経験者なのでもうネームを元に描いちゃってください！」
「マジですか！わかりました！」
「がんばるぞー！！目指せ壁サー！！（壁サーとは長大な待機列が予想されるサークルが壁際の広いスペースに配置されることに由来する人気サークルの代名詞である）」

こうして暑さでおかしくなった彼女たちの夜は更けていったのである。