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the toriatamachan season3
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実――。女子のリアルを見つめるコラム、シーズン3は「わたしのすきなこと」にまつわるアレコレです。待合のソファは混雑している。明らかに体調の悪そうな人はいなくて、ひとりで本を読んでいたり、家族で話していたりする。病院での家族の会話って、手持ち無沙汰で、軽くて、すぐに溶けてしまう。受付は、カウンター越しに患者と話す看護師と、その後ろでカルテを持って早歩きする看護師達でせわしない。ひとつひとつの会話や足音が波のようにまとまって、病院の中を漂っていた。
私は、赤子が生まれるのを待っている。以前、私の書籍を担当してくれた編集者の女性は、黒いおかっぱの可愛らしい人で、私と年齢も変わらないのだけど、いま、この病院のどこかで赤子を産んでいる。それで私はさっきから、その赤子が生まれるのを待っている。
さらに人が増えた待合で立ち尽くしたまま、ソファに座れていない親子連れなんかを見ていたら、彼女が生まれたばかりの赤子を抱えて、小走りでやって来た。そして、私がお祝いの言葉をかけるよりも先に、「うちまで連れてきてもらってもいい?」と言い残して、裸の赤子と、小さなトートバッグを預けたまま、出産費用を払いに、受付付近の人混みの中へ消えていった。
赤子の体が濡れていたので、カーテンで簡単に仕切られた薄暗い授乳室に入って、ウェットティッシュで全身を拭いた。私はなぜか、あまり良くない猫の持ち方みたいに、うつ伏せになった赤子の腹を片手で抱えて、猫背から、ふくらはぎ、足の裏まで拭いていった。赤子の体はすこしずつ乾いて、同時に少しずつ背も伸びているようだった。背面を拭き上げて、正面を拭こうとした時には、赤子は4歳くらいの男の子になっていて、片手では支えきれず、すでに暗い授乳室にひとり立っていた。トートバッグに入っていた服を着せて、手を繋いで待合に出た。
おでこに手を当てて、明るいところで顔を見ると、男の子の瞳には白目がなかった。真っ黒だった。そういえば、生まれたばかりの赤子には視力がなく、何も見えていない時の瞳が最も黒々として澄んでいると聞いたことがある。この子も生まれたばかりだから、当然なのかもしれない。私はそう思って、手を繋いだまま甘えたように首を傾げた男の子の、真っ黒な瞳を見ていた。
しかし私は困っていた。今日はすぐに恋人とデートの約束があるのだ。彼女は本当に戻ってこないようだったので、仕方なく男の子と手を繋いで病院の外へ出た。陽が当たった男の子は、小学生くらいになっていて、少年らしく凜と潤んだ瞳をしていた。きちんと白目もある。私は考えなしに先ほど生まれたばかりの少年と手を繋いで、デートの待ち合わせ場所へ向かった。
30ほど年上の恋人は美食家の変態で、頭が良すぎて生きるのに苦労している。そしてシャコタンにした、とても大きくて派手な車に乗っている。付き合い始めは、車の趣味だけが彼からかけ離れているようで意外に思ったけれど、いまは私もこの車を気に入っている。
助手席のドアを開けると、運転席のドアを開けた恋人が、「その子は誰なの?」と好奇心を抑えきれずに笑った。振り返ると、少年は魅力的な青年になっていたので、私は困惑してしまった。説明ができないまま、車越しにもう一度、恋人と見つめ合った。後ろで青年も愉快そうに微笑んでいる。
頭の中で言い訳を考える。この青年は赤子なのだ。見た目が青年でも、ひとりで立っていても、中身は本当にさっき生まれたばかりの赤子なのだ。早く母親のところに送り届けよう。その前に恋人に事情を説明しなければ。
デートに知らない若い男を連れてきた私のことを、恋人になんと説明すれば良いのだろう。
そう思いながら私は目を覚ました。
寝酒の量を間違えると、妙な夢を見る。お世話になった編集者の女性が、もうすぐ出産するのは現実のことだ。そして、彼女と少ししか年が変わらない私も、充分に子供を産んでおかしくない年齢になっている。
もう恋人に言い訳する必要はないのに、まだ混乱している私は、ベッドの中で伸びをしてから目をつぶり、なんとなく、弟に耳たぶを触られた時のことを思い出した。
まだ母親と弟と三人で眠っていた頃、しばしば弟に耳たぶを触られて目が覚めた。母親は異様に耳たぶの柔らかい人で、弟は眠る時によく彼女の耳たぶを触っていたのだけど、時々間違えて私の耳たぶを触ってしまうことがあって、母のものでないと眠りが浅くなるのか、目を開いて私の顔を認識した途端にがっかりした表情になるのだった。
弟はよく女の子に間違えられるような、可愛い男の子だった。
弟のことを考えるといつでも、申し訳なさが混じった、ふくよかな気持ちになる。
ひどく内向的な子供だった私にとって、弟は数少ない友人のような存在でもあった。しかし、弟は社交的な子供だったので、私の存在が、しばしば本物の友人達との時間を疎外していただろうと思う。反対に私は、弟とふたりきりだと大胆になる節があって、ほんの近所までと頼まれたお遣いなのに、弟を引き連れて知らない土地を随分と遠くまで行ってしまい、ふたりでひどく怒られたこともある(厳格な祖母に抱きしめられて、本当に心配をかけたのだとやっと反省した)。そういう時の弟は、たいてい私を信じて心細いだろうに我慢強く付いてきた。申し訳なさが混じった、ふくよかな気持ちは、こうした思い出の延長にある。
ベッドを抜けて、キッチンで紅茶を淹れていると、向かいの部屋から大きな男の人が出てきたので驚いた。大学が春休み中の弟だ。ここのところ、私は弟を見る度に驚く。今日は夢の続きかと思った。成人して、酒を飲み、バイクに乗って、就活の話をする弟に、私は何度でも驚く。春休みの大学生と同じような生活をしているフリーランスの私を見ると「就職しなきゃ」と思うのだそうだ。小心者のくせに行動ばかり大胆な姉のせいで、随分としっかり者になってしまった。知らない土地で我慢強く付いてきた弟の面影も、なくはない気がする。
同時に自分だって子どもを産んでもおかしくない年齢であることに驚く。夢の中の青年を思い出す。魅力的だけど恋人にはならなかったあの青年。母は弟のことを、私への最大のプレゼントだと言う。
文=姫乃たま
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