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New Style Heian Erotical Mandara \x87V
人の世と鬼の国が交差する接点で、性と生とを切り刻み弄ぶ禁忌に酔い痴れるエロティシズムとエクスタシー――。今昔物語を題材にとり、深き闇の中で紡がれる妖と美の競演を描くニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅。期待の作家・上諏訪純と絵師・常春のカップリングで贈る会心のアブノーマル・ノベル第3弾!!しかし幸せというのは、長くは続かないものと相場が決まっております。
野分さまのお姿は、少なくとも見た目の上では今までとお変わりなかったので、いつもお傍に侍らせている女童を除いては、体の一部を男と化されたことに気づく者はありませんでした。 ちなみにその女童は、野分さまから新たに生えたものがもともとは私の持ち物だったと知ると、野分さまと褥をともにするのをしばらくはひどく嫌がったそうでございます。まぁ、それはさておき。
「俺は今は女の衣を着て女のように髪を伸ばし、女のように過ごしているが、そう遠くないうちにここを出て、男として生きていくつもりでいる。しかしそのためには、どうしても乗り越えておかなければいけないことがある」
ある日の治療の際に……と申しましても、そのときにはすでにご病状はすっかり軽くなっておられたのですが、野分さまはこれ以上ないぐらいに神妙なお顔を私に突きつけられました。私は張りつめたうつくしさにたじろぎつつも、何をお考えなのかとお尋ね申し上げました。
「袴垂だ。あいつを俺自身の手で殺しておかなければ、俺はこの先ずっと、女として味わった恐れと怯えを抱えつつ生きていかなければならないような気がする。それでは体だけが変わったところで意味がない」
野分さまは嫌悪感をそのままお声にされて、吐き捨てられました。
お気持ちは私にもよくわかりました。しかし、いくら復讐したいと仰っても、袴垂は百戦錬磨の盗賊です。対して野分さまは、男になられたとはいっても男の身体的特徴を備えられたというだけで、実戦経験などまるで持っていらっしゃらない箱入りです。勝負する前から勝敗は決まっております。私はお止めする意味を込めて、沈黙だけをお返しいたしました。
すると野分さまは、
「お前が考えていることはわかっている。俺が勝てるわけはないと言いたいのだろう」
と自嘲気味に笑い出されました。まったくその通りでございますから、それをお伝えするためにまたさらに黙り込んでおりますと、野分さまはいきなり私の胸ぐらを掴まれて、
「だから、俺の体をもっと強い、獣のような体に変えてくれ」
と、眼球をえぐり抜きそうな勢いで、私の顔を覗き込まれました。
そのときの私がどれだけ、少し前の己の軽率な行ないを呪ったかは、いくら話しても伝わるものではありますまい。私が野分さまのご厚情をいただいたことは、一晩きりではありませんでした。その後は、あの女童とほとんど同等か、それ以上のものとして扱っていただいたのですが、一度枕辺で問われるままに、美福門の前で百鬼夜行に遭い、蟇継と名乗る大蛙の医師から人体を思うままに工作するわざを教えられたとお話ししてしまったことがあったのです。もちろん、獣と人間をつなぎ合わせたことも併せて明かさざるを得ませんでした。野分さまはそのわざについて仰ったのでした。
「虎の牙、牡牛の角、鷹の嘴……何でもいい。何とかならんか」
「しかし……そのようなことをいたしたら、この先、常の人として生きていかれますまい」
「復讐を成就させたら、また元の体に戻してくれればいいだけの話ではないか。作ることはできても、戻すことはかなわぬとでも?」
私は今度は違う意味で黙り込んでしまいました。作り変えてもまた元の体に戻せばいいというのは、たしかにご尤(もっと)もな言い分でした。しかし私は、それをしたことがなかったのです。理屈から考えればできないはずはないのですが、万が一できなかった場合、野分さまがどんな運命をお辿りになるか考えると、とてもすぐに首を縦に振る気にはなれませんでした。
が、野分さまは一度こうと仰られたらそう簡単に引かれるような方ではありません。私は、それでは一度変えた体を戻すということが果たして可能なのか試してみたいから、それまでお待ちいただけるようお願い申し上げました。
十日の猶予が与えられました。私は羅城門に通って、またも死んでいたり死にかけていたりする人間や獣や異形と向き合う夜を過ごしました。結果から申しますと、無事に元に戻すことができたのは半分程度でした。残りの半分は元々の体の一部分を改めて縫いつけ直してもすぐに腐って取れてしまったり、前に植えつけたものが骨までつながっていたりで、どうにもなりませんでした。中には私が無理をしたせいで、命を落としてしまったものもありました。
「どうだった、首尾は」
返答のお約束をした日、野分さまは私の離れまでわざわざおいでになって尋ねられました。言うまでもなく、私はこの時点でお断わりするべきでした。元に戻せる確率が半々などという危うい橋を渡っていいはずがなかったのです。しかし私は、弱い人間でした。野分さまの期待に漲ったまなざしを受けるうちに、もしもお断わりしたら彼女は私に失望し、今、掛けていただいているお情けも薄らいでしまうかもしれないと恐ろしくなりました。私はずいぶん迷ったものの、最終的には、危険とわかっていながら頷いてしまいました。
まだ何も手に入れていないとき、私は野分さまのためなら己の性も命も投げ打つ所存で、彼女のためにだけ崇高でいられるならば見返りなどいらないと、祈るがごとく思っていました。しかし一度野分さまの焔をはらんだお体に触れ、熱のこもったお心をいただくと、私は下卑てしまいました。それらを手放す、あるいは奪われるのを、死んで地獄に突き落とされるよりもはるかに耐えきれないことと感じるようになりました。私は野分さまへの思慕に惑った盲人となり果てていました。瞼の裏の暗闇の中には、私が胸のうちの願いをそっと明かしたときに、「そうか」と不敵に笑われた野分さまのお顔だけが、私をどこにいざなおうとするものか、おぼろげに、しかしどうあっても消えずに映っていました。
お屋敷の中で施術するわけにはまいりませんから、私と野分さまは、羅城門の楼上にしばらく居を移すことにいたしました。野分さまは行く先を女童にもお知らせせず、お父上とお母上にしばらく行方を晦ませるが心配は無用との旨の手紙を置かれて、私たちは月のない夜に紛れました。朽ちかけた羅城門で、死骸と腐臭と汚泥の中に佇まれる姫君は、一寸見る限りではいたましい以外の何ものでもございませんでしたが、当の野分さまには嘆きなど欠片もなく、その実はむしろ今までよりも希望に満ち、活き活きとしていらっしゃったほどでした。
手始めに私は、健やかな若竹のような野分さまの手足を根元からもいで、宋の商人から買い取った虎の手先、足先に替えさせていただきました。虎は毛皮を剥がされて殺されるところでしたから、存外安く手に入れることができました。その傷口が落ち着くや否や、野分さまは半人半獣のお姿で、かつてご自身が捕えられていた、しかし検非違使たちにはその場所を明かさずにいた袴垂の隠れ家に単身で乗り込まれ、部下たちの幾人かを裂き殺されました。
が、さすがに袴垂は豪の者で、一筋縄ではいかなかったようでした。野分さまと互角以上に戦った上、面は乙女のままの野分さまに卑猥な言葉を浴びせかけたらしいのです。野分さまは悔し泣きに泣かれながらお戻りになると、私に頭部も換えろと詰め寄られました。
「できるだけ醜い動物がいい。狒々(ひひ)か猩々(しょうじょう)を持ってこい」
他の部分はさておき、折角のおうつくしいお顔まで変えてしまわれることには、ごく個人的な不快感も沸き起こりましたが、もはや「毒を食らわば皿まで」でございます。今さら改めてご不興を買ったのではたまったものではありません。私は市に出入りする毛皮商人を通して、腕のいい猟師に生きた大猿を一匹用意させると、その頭部と野分さまの頭部、それから脳を、慎重に挿(す)げ替えました。さらに命じられるままに、背後を狙われたときのために、尾に大蛇を一匹縫い込みました。胴体だけ娘の体というのは逆に滑稽ですから、そこは狸の毛皮で覆いました。こうして一体の立派な化物が出来上がると、野分さまは此度こそ雪辱をと、勇み足で再び袴垂のもとへ向かってゆかれました。
野分さまは、今度はそれなりの成果を上げられたようでした。虎の膂力と爪、猿の牙、蛇の毒をそれぞれ用いて袴垂を叩きのめし、亡きものにする寸前まで追い詰めたそうにございます。しかしすんでのところで逃げられ、命までは奪えなかったとのことでした。
猿の面で歯ぎしりをされながらさらなる改造を求められる野分さまを、私はついにお止めしました。野分さまの体はすでにほとんど原型が残っておりません。これ以上手を加えたら元に戻すことがきわめて困難になるだろうと、何体もの異形に触れてきた医師の本能が訴えていました。
「とどめを刺せなかったとはいえ、袴垂は貴方さまの前に命からがら逃げるという醜態を晒したのでございましょう。与えられたのと同等とまではいかないまでも、それなりの屈辱はお返しになったはず。それでよいではございませんか」
野分さまは最初は渋っておられましたが、私が言葉を尽くして説得すると、少しずつではありますが納得して下さいました。いえ、今まで何もかも命じる通りにやってきた私が初めて頑と異を唱えたものですから、何か嫌な予感を覚えられたのかもしれません。
野分さまのご了承を得ると、私はすぐに元のお体にお戻しするべく施術を始めました。が……もうおわかりでしょう。野分さまは、以前のお姿を取り戻されることはなかったのです。
野分さまのお体は、どこもかしこも縫いつけ直した途端に萎びていきました。体が獣のもので定着を始めていたのでしょう。せめて首だけでも、と挿げ直した頭も、眼も口も開かず、死人のごとき相貌を風のない湖面のようにたたえたままでした。
私は焦りと恐怖から、気が狂ったようになりました。機能しなくなった目や口に植えつけるべく、自分の片眼をくり抜き、舌も切りました。腕と脚は施術に必要ですからさすがに切り落とせませんでしたが、必要となれば躊躇はしないつもりでした。そこには男性器を捧げたときのような甘い感傷はもはやありませんでした。行動からどんな意味をも受け取る余裕のないままに肉体を次々と欠落させて、私は、本当の人間の残り滓になっていきました。
朝が来て夜が訪れ、また朝が来るということが何回か繰り返されました。正確に何度だったのかは、よく覚えておりません。その間私はほとんど眠らず、食べず、ひたすら野分さまのお体に刃物を入れ、針を刺し、糸で縫い続けました。うつくしくあられたお体は、血と切り跡と縫い跡とで徐々に古びた雑巾のようになっていきました。野分さまは痛みに耐えきれなくなられたのか、施術のお体に対する負担が大きかったためか、こんこんと眠られるようにずっと気を失っておられました。
そのうちにどの部分が野分さまのもので、どの部分が私のもので、どの部分が獣のものだったのかよくわからなくなってきました。しかし、私の手は頭から離れて独自に答えを求めようとするかのごとく、勝手に動いていました。お顔だけはまだそのままの麗しさを保っておられたことがせめてもの救いでしたが、それが失われるのも時間の問題でした。
そんなことが続いたある夜更けのことです。よくわかりませんが、真夜中というよりは明け方に近かったのではないかと思います。ほとんど前につんのめりそうになりそうな体勢で、野分さまの左腕の付け根の骨を削っていたときの出来事でした。
「まぁ、まぁ、お待ち」
しわがれた女の声が背後で響き、私ははっとして振り向きました。夜の羅城門にやって来て涼しげな口を利く者が普通の人間ではないということぐらいは、呆けてしまった頭でもわかりました。
そこにはあの骨だけの猫、にゃあの前が立っていました。以前と同じく榊の枝を手にしています。背後に角の生えた人型の影がそびえ立っているところも変わりありませんでした。影はやはり全体が墨で塗りつぶされたようになっていて、顔かたちの判別はできませんでした。
(続く)
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11.12.01更新 |
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