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New Style Heian Erotical Mandara [Ake no kaze fuku]
人の形をしてはいるが、常の人のなりではない。化生(けしょう)か、あるいは魔性か――。今昔物語を題材にとり、人の世から外れた者たちの凄絶な闘いを描く空前の平安エロティカル曼荼羅。話題作「口中の獄」と接続する、妖と美が渦巻く異端の世界とは。作家・上諏訪純と絵師・常春のカップリングでお届けする待望のアブノーマル・ノベル第4弾!!火のはぜる音が聞こえる。
瞼の裏に赤みが差す。そばで火が焚かれているらしい。誰かいるのか確かめたかったが、咄嗟には首も動かなければ目も開かなかった。そよごはそれで、あぁ、自分は死にかけていたのだっけ、と思い出した。
感触と匂いから、土の上に横たわっているようだとわかった。死んでまでも土の上か。どうせなら綿のたっぷり入った掻巻(※1)にでも包まれたかった。これでは死ぬ前よりひどい。今までは安くて古いとはいっても、衾(ふすま ※2)の中で眠ることができた。極楽に行きたかったとは言わないが、死んでまでもこんな不快さを味わわなくてはいけないなんて報われない。
うぅと唸った瞬間に、目が覚めた。
瞼が重い。それでもきちんと動くことを確認するかのように無理をして何度か瞬きをすると、視界が次第に鮮明になっていった。
鼻のすぐ先に、赤く燃え盛る二つのどんぐりのようなものがある。
――目玉?
と認識した途端に、喉が詰まった。悲鳴をあげようとしたものの腹に力が入らなかった。
「ば、ばけもの......」
絶え絶えにそう搾り出すので精一杯だった。
化物は髪も赤かった。異様に長い脚を折り畳んで座り、こちらをじっと覗きこんでいる。その横には、ただ土を掘って、枯れ木を投げ込んだだけの単純な焚火。赤という色みのせいで、化物と焚火とは一体のように見えた。
脇腹に重い痛みが差して、熱いものがじわっと滲んだ。そよごは反射的にそこに触れようとしたが、
「うごくな」
ぴしゃりと言われ、動きを止めた。
――喋った。
「いじくると、たくさん血がでる」
しかし、子供のように舌足らずで、片言ではあった。
「............助けてくれたの?」
どうやら危害を加えてくる様子はないようだ。それでも怯えを捨てきれないまま、そよごはおずおずと尋ねた。だが化物は答えず黙って立ち上がると、奥に広がる暗い森に入ってしまった。
そよごは山中の、少し開けた場所に寝かされていた。あの化物が運んできてくれたのだろうか。傷口には衣の上から適当にではあるが、布のようなものが巻かれていた。そういえばさっきから薬草のような匂いも漂っている。
空には一面、星が輝いていた。十三夜あたりとおぼしき月が、西か東かわからないが天頂からわずかに傾いている。
数分も経たない後、先ほどの化物が巨大な毛むくじゃらのものを肩に抱え、悠々と戻ってきた。血を流しながらまだひくひくとわずかに筋を動かしているそれは、猪の成獣だった。白々と光る牙が鋭く月を指している。
「..................!」
化物は焚火の脇に座ると、そよごが仰天しているのに気がつかないのか気にしないのか、事もなげにまだ生きていた猪の首をひねった。信じられない怪力だった。猪は苦しげに呻きかけたが、すべてが声にはならないうちに絶命した。
化物の爪が猫のそれのように伸び、猪の腹を切り裂いて内臓を無造作に掻き出した。一片に食いつきつつ、焚火にぽいぽいと投げ入れる。最後は胴体をやはり素手でいくつかに裂いて、同様に火に放った。
食べるつもりなのだろうが、やり方がおそろしく大雑把だ。血も抜いていない肉は真っ黒な煙を上げ始めた。生物の体毛が焦げ血が蒸発する、吐き気をもよおさせるような匂いがあたりに広がる。
あっけにとられていると、化物は火の中に手を突っ込んで内臓のひとかたまりを掴み出した。
「食え」
押しつけられた血塗れの内臓はまだわずかに動いていた。そよごは震えながら首を横に振った。
「きらいなのか」
嫌いだとか好きだとかいう問題ではない。幸い、無理強いはされなかった。
「じゃ、ちょうどいい、おまえは外を食え。おれは中のほうがすきだから。外はもっとやいたほうがうまいから、もうちょっとまて」
「中」というのは内臓、「外」というのは肉のことだろう。しばらくして化物は、今度はすっかり丸焦げになった肉を取り上げた。
見た目も匂いもひどいもので、近づけられただけで胃から何かがこみ上げてきたが、これ以上断わったらどうなるか想像できない。そよごは動かすのもつらい手を伸ばして受け取り、少しだけ食べたふりをした。
「うまいだろう」
そよごが口をつけたのを見ると、化物はうれしそうに笑った。
二カ月ほどで、そよごの傷はほとんど回復した。日常生活を送る程度ならほぼ支障はない。
日常生活とはいっても、それまでの生活とはまったく変わったものになっていたが......。
そよごは化物と一緒に暮らしていた。化物は山中の小さな岩窟に棲んでいた。そこは棲家というよりは巣穴というに相応な所で、朝日とともに起き、夜になれば土の上にそのままごろんと寝転ぶ。食事など、食事と呼べるようなものではなかった。狩ってきたものを生のままか、よくて焚き火にかざした程度でむさぼり食っていた。
狩では刃物は使わなかった。大抵は獣と正面から向かい合い、素手で骨ごとへし折ってしまう。化物はそよごにも分け前を与えてくれようとしたが、ほとんど食べられなかった。自分で拾った木の実か、そうでなければ羽をもぎ、血を抜いた小鳥をよく焼いて食すくらいが限度だった。
化物の言葉は覚束ないことも多かったが、まったく理解できないほどではなかった。
「おれは昔、じじといっしょだった。ことばはじじがおしえてくれた」
「じじってお爺さんのこと? 血のつながったお爺さん?」
「ちのつながったって何?」
「実のお爺さんというか......お父さんのお父さんか、お母さんのお父さんか」
「うーん、なにいってるのかよくわからない」
ある午後、二人は肉を焼くために熾(おこ)した焚き火を囲んで話していた。そよごが意識を取り戻した場所である。季節はいつか初夏になっていた。暑いほどの日差しの下、鳥のさえずりがあちこちから聞こえてくる。一筆でさっと刷いたような雲が空の低いところにたなびき、何かの花の匂いが風に乗ってときどき漂ってきた。
「でも、もうすこししたらもっと思いだせるかもしれない。ことば、ずっとわすれてたけど、今たくさんはなしてて、たくさん思いだしてる」
「昔って、どれぐらい昔なの?」
「たくさん昔。おれがまだでかくないとき」
化物はどうやらごく幼いころ、この山中で、何者かは知れないが老人と一緒に暮らしていたらしかった。
「その『じじ』は、どうしたの?」
「いきなりいなくなった。たくさんよんだけど、出てこなかった」
もしかしたら山中で獣に襲われたり、崖から足を滑らせたりして死んだのかもしれない。あるいは人間だったとしたら、この化物を見捨てて人里に帰っていったか。そよごはしかし、何も言わずにいた。
が、とにかく、その「じじ」とやらには感謝しないといけないようだった。
「さいしょにそよごを見たとき、うまそうだとおもった」
「えっ!」
「でも、じじがなんども言ってた。おれとはちがう体つきのにんげん......えぇと、なんだっけ......」
俺とは違う体つき、などと言い始めたらほとんどの人間を指すことになるだろうし、そもそも自分を人間だと考えていたことも意外だったが、それはさておき胸や腰のあたりに視線を感じて、そよごはすぐに察しがついた。
「女?」
「そう、おんな。おんながいたら、たくさんやさしくしてやれって」
「いいお爺さんね」
そよごは苦笑した。「じじ」はきっと化物の行く末を案じ、下心を満たす方法として教えたのだろう。が、化物はその意図を解してはいないようだった。
またべつの夕方、二人は川べりで魚を狙いながら語り合った。
化物には名前がなかった。もともとはあったらしいのだが、老人と二人だけで暮らし、「おい」や「お前」で事が足りるようになって、あまり呼ばれなくなってしまったのだという。それで、忘れた。
「そうねぇ、好きな動物はいる?」
「うーん、うーん、さるかなぁ」
「猿? なんで?」
「あたまがよくて、すばしっこい」
「あんただって十分すばしっこいわよ......。まぁいいわ、じゃあ猿ね。似合ってるわ」
そよごは猿という字を頭に浮かべて、いろんな字を組み合わせてみた。
「......朱猿っていうのはどう?」
「あけざる?」
化物の名前を考えていたのだった。
「そう、あんたは目も髪も真っ赤だから。で、猿みたいに賢くてすばしっこくなりたいんでしょ?」
「あけざる」
化物は呟いて、ぽかんと空(くう)の一点を見つめた。思いも寄らないものを突きつけられて、どう対処していいのかわからないでいるようにも見える。だが、
「あけざる!」
いきなり叫ぶと、笑いながらあたりを走り出した。おもちゃや菓子を貰った子供が、喜びや嬉しさを抑えきれずに暴れて回るような姿だった。
「おれのなまえ! あけざるだ!」
そよごははっと眉を曇らせた。ほんの暇つぶしのつもりだったが、もしかしたらひどく残酷なことをしてしまったのではないか。自分はずっとここにいるつもりはない。傷が完全に回復したら山を下りて、余所者を受け入れてくれる町を探すつもりだ。「あけざる」の名を呼んでくれるものは、すぐに誰もいなくなる。
暮れやすい山の夜は二人の周囲に刻々と藍色の夕霞を忍び流した。そよごと朱猿は岩窟に戻ることにした。木陰に隠れて見えなくなってからもいつまでも響く清流のせせらぎが、背後にもの哀しかった。
「女がいたらやさしくしてやれ」という、朱猿への「じじ」の教えは間違ってはいない。実際そよごは、「やさしく」された見返りを朱猿に要求されても仕方がないという覚悟はとうにしていた。
その教えは間違っているというよりも、不完全だったというべきだろう。どうしてやさしくしなければいけないのか、やさしくした結果得られるものは何かが、具体的に伝わっていなかったのである。それが朱猿にとっての悲劇だった。
朱猿は性行為を知らなかった。それどころか己を満足させる知識すらないようだった。朱猿は数日のうち何度か、ひどいときには一日に何度も、狂ったように暴れた。脚の付け根を岩にこすりつけているところを見ると明らかに発情しているのだが、それを解消するすべがわからないのだ。
哀れではあるし、何とかしてやりたくもあるが、だからといって化物に体を投げ出すつもりにはなれない。見返りなど求められないならそれに越したことはない。そよごは朱猿が暴れ始めるとそっとそばを離れ、しばらく一人で時間を過ごすようにした。体や着物を洗うときも、おかしな覚醒をもたらさないように朱猿から隠れるようにした。
その朝も朱猿が寝覚めから暴れ出したので、急いで岩窟を後にした。落ち着くまでにどのぐらいかかるかわからないが、せっかくだから昼になる前に木の実を集めておこうと思った。獣のうろつく山をひとり歩き回るのは危険だが、最近は岩窟のごく周辺程度なら注意しながら散策できるようになっていた。
数時間後、採った木の実を焚火跡の横でより分けていると、岩窟のほうから雄叫びが聞こえてきた。そろそろ戻ろうとしていた矢先のことだ。そよごは悟られないように用心しながら岩窟に近づいた。
中をそっと覗いてみると、そこらじゅうにぶつかったのか、彼の体も岩窟の壁もところどころ血で汚れていた。今日は特に洒落になっていないようだ。祟り神には触らないでおこうと、そよごは早々に引き返そうとした。
しかし、そよごは朱猿の野性を軽んじていた。振り返ったそこには、さっきまで岩窟にいたはずの朱猿の姿があった。
風が、さぁっと吹いた。そよごは風上にいたのだった。朱猿は匂いに敏感だ。
「いやぁぁぁあ!!」
悲鳴をあげたそよごに、朱猿は容赦なく襲いかかってきた。おそらく自分が何をしているのかわかってはいないのだろう。犯されるだけで済めばいいが、このままでは殺されてもおかしくはない。
「ちょっと止まって!」
そよごは咄嗟に声をあげた。無駄かもしれないと思ったが、効き目はあった。日ごろ子供を相手にするように根気よく喋っていた経験がこんなときに活きた。
朱猿の動きが縫いつけられたかのようにぴたりと止まった。
そよごは朱猿を押し倒してのしかかった。逃げよう、いや、逃げられるという発想はなかった。股間のあたりをまさぐるとすぐに鋼鉄のように硬く直立したものに当たった。朱猿はぴくっと体をのけぞらせた。
「じっとしていて」
朱猿は危惧していたよりもずっと素直に言うことをきいた。未知の感覚に衝撃を受けたようだ。
――うわっ、でかい......。
それは、そよごの手首よりもずっと太かった。普段はほとんど裸のような朱猿だから予測はついていたし、その巨体には似合った大きさではあったが、いざ対峙してみるとやはり面食らった。だが、ここまできてしまったらもう「やらない」わけにはいかない。屹立したものをぐっと握り込むと、数カ月前までいつもやっていたように強弱をつけてこすり始めた。
朱猿は何が起こっているのかまったくわかっていない様子だったが、押し寄せている快楽の波を感じ取っているのか、抗おうとははしなかった。
すぐに左手で触れていた陰嚢がきゅっと硬くなった。息も継がない間に、男茎の先から白濁液が放出された。
「きゃあっ!」
その威勢たるや、まるで空に喰いつこうとする龍のようだった。そよごももちろん初心(うぶ)ではない。もう数え切れないほど、この瞬間には立ち会ってきた。それでもこんなに飛んだものは見たことがなかった。
「......何なのよ、信じられない」
驚き、しかし同時に安堵も覚えて、そよごは大きな溜息をついた。とりあえず。命の危機は去ったとみていいのだろう。
だが、その顔にはすぐに、「えっ」と驚愕が広がった。そよごがまだ指を離さないうちに、朱猿のそれがふたたび硬さを取り戻し始めた。
仕方なく、もう一度同じことをした。今度は多少時間がかかったものの、迸(ほとばし)りの気勢は変わらなかった。
「本当に猿みたいね」
本物の猿が性的に強靭なのかどうかはさておき、傀儡女たちは、性欲の強さに辟易させられるような客を陰で「猿」と呼んでいた。そよごは図らずも、そういった意味でもぴったりな名前をつけたわけである。
その苦笑も消えないうちに、またしても朱猿の巨塊が熱を帯びた。
「いったいどれだけ溜めてたのよ、あんたは......」
そよごは呆然として、それから......胸の奥のほうに、ぽっと小さな火をつけられた気がした。
こうなったらもう容赦はしない。そよごの指が刃のような迫力を帯びた。
「いっそ全部抜いておきなさい!」
あまりにも甘美な呵責が始まった。十年近くの年月をかけて磨き上げられ、数えきれない程の男を生ける屍にした名刀の閃きを一身に受けた朱猿は、目に涙を浮かべながら「ごめん! ごめん!」と謝っていた。なぜ謝らないといけないのか、きっとよくわかっていなかっただろう。それでもひたすら謝った。だが、そよごの手は止まらなかったし、朱猿自身もいつしか自分から腰を押しつけてしまっていた。
「あがあぁぁぁ!! うごがぁぁぁああっ!!!」
あたりを見回せば濃緑を茂らせる枝々のあちこちで小鳥が歌い、春に生まれたばかりの若鹿は陽だまりから陽だまりを軽やかに駆け回っている。その平和な光景を、断末魔にしか聞こえない朱猿の悲鳴がつらぬいた。
......結局、何回出しただろうか。果ても知らぬと思われた地獄と極楽、紙一重の狂宴にも、とうとう終わりの時がやってきた。こすっても煙も出ない、とはこのことをいうのであろう。どんなに角度や強弱を変えて刺激してみても、朱猿も朱猿の肉根も、だらりとしたまま反応を示さなくなった。
そよごは腹の底から大きくひとつ息を吐いて、へなへなとその場につっ伏した。腕が肩からすとんと落ちそうだった。痛みを通り越して熱さすら感じる。やがて、茫然としている朱猿を置いて、そよごは立ち上がった。ふらふらと歩き始める。
「どこ行くんだ、そよご」
「川よ」
冷たい水で腕を冷やしたかったし、汗ばみ、飛び散った精があちこちかかってしまった体も洗いたい。一刻も早く。そよごは縋る朱猿の手を裾から払った。一人で山を歩きたくはなかったが、まだ日は高いし大丈夫だろう。
朱猿は追ってはこなかった。そよごは安心して着物をすべて脱ぎ、頭から水を浴びた。
(続く)
※1 掻巻:綿入りの布団
※2 衾:木綿麻などで縫われた夜具
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