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【2】不幸せな姫君

野分さまはご寝所に運び込まれ、お父上、お母上が枕元に駆けつけられてからもひどく怯えておられましたが、うわごととして呟かれる中から事の次第を推測いたしますに、今回の誘拐は皆が噂した通り、盗賊の首領が野分さまの美貌に惹かれ、強いて愛人にするために行なったもののようでした。首領は最初の数日こそ野分さまをいたわったものの、あきらめたり靡いたりする様子が一向ないのに腹を立て、ついには力ずくでお体を蹂躙したらしいのです。それだけではありません。さらには、恋をすげなくはねのけたことを後悔させようと、手下たちにも玩具(おもちゃ)にさせ、それを嗤いながら見物していたということでした。

監禁された野分さまはあっという間に痩せ衰えていかれました。それでもまだ未練のあった盗賊は、しばらくはそのまま傍に留め置きましたが、何とかしないと早晩命を落とすだろうと手下たちに説得され、お屋敷に戻したのでした。

盗賊の首領の名は、「はかまだれ」ということでした。野分さまが直面されたご不幸については、私とお父上、お母上、それから野分さま付きの女童のほかは誰も知ることはありませんでしたが、その名だけはすぐに検非違使に伝えられました。検非違使たちは俄然色めきたちました。以前から京を騒がせている袴垂 (はかまだれ)の一味に違いないというのです。彼らは野分さまをお探ししたときよりもたくさんの放免を放って、さらに広い範囲の探索を始めました。

野分さまはそれから、お母上と女童と幾人かの女房のほかは、お父上も私も必要以上にはお近づけにならなくなりました。お一人になると急に震えだされ、お心を乱されることもあったそうで、女童が常にお傍に侍っていたようでした。それでも、もともとの性質がお強い方でいらっしゃいましたから、そんな中でも少しずつ食欲を取り戻されて、夏の盛りを過ぎた頃には、お顔に以前のような赤みをわずかながらも滲ませていらっしゃいました。

ある夕方のことでした。蜩の声が夕立のような中で、私は褥に仰向けになられた野分さまの腕をおとりして、脈をお測りいたしておりました。脈の早さによって、夜にお飲みいただく薬湯の調合を変えなければいけないのです。

部屋の外には大きな橡(くぬぎ)の木が一本、濃緑に茂った葉で西日を受け止めて、ときおりゆるく吹きつける風に金色をさざめかせておりました。この橡はつい先日、とある山から運ばれ、植えられたものでした。たとえ御簾を下ろし、几帳を立てても、庭から部屋の中が見えるのはいやだと野分さまが仰ったので、庭全体の調和を乱すものではあったけれども、お父上が手配なさったのです。

若々しい枝で夕日を抱くように伸び、爽やかに葉を茂らせたこの木のために部屋は薄暗く、野分さまの手首はその中に煙るように白く浮かび上がっていました。このか細い手首も、野分さまご自身のおうつくしさと同じように何だかこの世の枠組から少し外れてしまっているようで、私はそれを夢や幻の一種のように感じました。しかし、彼女自身そうとご自覚なさらぬままにそんな幻を無防備に振り撒かれ、無遠慮な目に晒されたことが今回の悲劇につながったのかと思うと、それはうつくしいと同時に、痛ましい幻でもありました。

ふいに野分さまが、女童の名をお呼びになりました。私の後ろに控えていた女童が返事をすると、野分さまは、

「お前、あれを持ってきてくれないか」

と、女童に仰いました。

「あれとは何でございましょう」

女童が首を傾げると、

「俺が名を言えば、お前のほうが顔を赤くするあれだ」

と、仰います。私には何のことやらさっぱりでしたが、女童はそれだけですぐにわかったようでした。

「このようなところで、あの、どうして……医師さまがお帰りになった後でも……」

女童は野分さまのご推察どおり、すぐに顔を真っ赤にして、哀れなぐらいうろたえましたが、

「いや、今でなくては困るのだ。医師さまに相談したいことがある」

と、きっぱり命じられるとさすがに逆らうわけにはいかないのか、そそくさと部屋を出ていきました。医師さまに相談などという言が何の前ぶれもなく飛び出して、

「何のことでございますか」

私は尋ねましたが、野分さまはじっと口元を引き締められたまま、こちらの胸をざわつかせるような眼をなさり、天井を睨みつけていらっしゃるばかりでした。

ほどなくして女童が戻ってまいりました。鮮やかな朱に染めた絹に包んだものを、胸元に大事そうに抱えています。

「落とさなかったか」
「落とすわけございませんでしょう。もし誰かに見つかったら……」

女童が怒ったように頬を膨らませると、野分さまはわずかに笑い声をおあげになりました。私はずいぶん久しぶりに笑ったお顔を拝見したような気がして、少しだけ心が軽くなりましたが、野分さまはまたすぐに真顔へ戻られました。

「俺は今から、この中身に関わることについて医師さまと話す。お前は外に出ていてもいい」

女童はまだ赤い顔のままちょっと考えていましたが、すぐに、「では私は失礼させていただきます」と、ぺこりとお辞儀をすると、出ていきました。

野分さまは半身を起こされると無造作に包みを解かれましたが、私はその中身を見るなり、卒倒せんばかりに驚きました。それは男性の性器の形を精巧に模した、黒光りする張形でした。普通の男性のそれより一まわりか二まわりほど大きく作られているせいもあるのか、そこにあるというだけでこちらを威嚇してくるかのようでした。

「昔、塩小路に宋人が迷い込んでいたことがあって、何か面白いものを持っているかと問うてみるとこれを出してきたのです。その場ですぐに、持っていた金をはたいて買いました。水牛の角で作られているそうです」

あくまでも淡々とした、まるで今朝召し上がったものを挙げられるような口調でした。うかがううちに、私は頬が熱くなっていくのがわかりました。そういうものがあると知らないわけではありませんでしたが、実際に目にしたのはそのときが初めてでした。

「俺はあの女童のことを好いていますが、体の交わりに支障があるため、あの子と褥を共にするときにはこれを使っているのです」

白い野菊の花びらような可憐な手で野太い張形を撫でられながら、とんでもないことをさらりと明かされる野分さまに、私はすっかり圧倒されてしまいました。相談があると仰っていましたが、果たして応えられるものか、私はその時点で早くも自信を失いました。

突然、野分さまは張形を掴む手に力を込められて、激しい瞳を向けられました。

「医師さま、俺はやはり男になりたい。男になって袴垂の一味に復讐し、それからあの女童を妻に迎えたい」
「は……」





返す言葉がありませんでした。そのようなことはわかっていたといえばわかっていたのですが、改めて突きつけられると何と答えていいものか迷いました。野分さまは続けられました。

「医師というものは皆、裂けたり切れたりした肉を針で縫い合わせる技を持っていると聞きました。医師さま、その技を使って、この張形を逆から俺の女陰にねじ込んで、縫い合わせてもらうことはできぬだろうか」

私は呆気にとられました。何という荒唐無稽な……いや、自由闊達な想像でございましょう。野分さまがどこでそのようなことをお耳にされたのかはわかりませんが、そんな技術とご自分の願望を結びつけられた野分さまの必死さが……こういっては失礼になるかもしれませんが、私にはいじらしくも感じられました。

しかし、私の、いえ、当世の医術は野分さまの想像力に追いつけるようなものではありませんでした。私は、肉を針で縫う技はたしかにあるものの、それは切られた部分を一時的に落ち着かせるための緊急の処置に過ぎないことで、野分さまにご期待いただいているような結果を出せるようなものではございませんと、正直に申し上げました。

「そうか……」

野分さまは私を頭から丸呑みにしそうなほど前のめりになられてじっと聞いておられましたが、説明が終わるとあからさまに肩を落とされて、またそっと横たわられました。そうして眠るように目を閉じられると、涙をひとすじ、静かにお流しになりました。両のこめかみのささやかな窪みに沿ったその曲線は、どんな言葉よりも深い意味を持っているように、私には見えました。

嗤われるかもしれませんが、私はそのとき不意に、できることなら自分の性別をいっそ野分さまに差し上げたいと感じました。幸いなことに、私は生まれてそれまで、自分が男であることを嫌悪したこともなければ疑問に思ったこともありませんでした。というか、それについて深く考えたこと自体ありませんでしたが、男になりたいがなれないと泣く人を前に思惟を巡らせるともなく巡らせていると、それが急に、私には必要ないもののように思えてきたのです。いえ、積極的にお譲りしたい、しなければという気持ちにさえなってきました。

私は、性別を野分さまにお捧げすることで、自分が一迅のそよ風のように無害で何も生み出さず、何も脅かさず、どんな秩序にも関与しない無性の存在になることを想像しました。そのかわりに野分さまは、ありとあらゆるものに対して有害で、ほしいものや必要なものをすべてみずから生み出され、何もかもを脅かされ、秩序という秩序を書き換えてしまわれるのでしょう。そんなことをとりとめもなく考えていると、私は自分が透明で濃密であたたかい寒天のようなものに、至福のうちに満たされていくような気がいたしました。


やがて、野分さまのもともとのご病気が、さらに深刻なものとなりました。張形を体に埋め込んで男性化する夢が叶わないと知った悲しみもおありだったのでしょうが、それからわずか数日後に、まだ人の形にもなっていない、いくつかの小さな臓器の塊のようなものを「お産み」になったことのほうが、より衝撃が大きかったご様子です。私はお体がある程度癒えられた頃を見計らって、唐渡りの子堕ろしの煎じ薬を何度かにわたって胎内に流し込ませていただいたのですが、ある夜中、下腹部が痛いとのたうち回られた挙句、大量の出血とともにその「効果」が出たのでした。





野分さまは狼のような唸り声と、ときには遠吠えまであげられながら、お屋敷じゅうを四つんばいで走り回られては女房たちに噛みつかれるといったことを、ほとんど毎晩なさるようになりました。ですが野分さまご自身は、翌朝になるとまるきり覚えていらっしゃらないのです。お目を覚まされ、ご自分がひっかき回された部屋を見て驚かれたことも、何度もありました。私は鍼(はり)を用いたり、薬草を煎じてお飲みいただいたりといった、これまでと同じ治療を根気よく続けましたが、もはや効き目はありませんでした。お恥ずかしい話ですが、私の手には負えなくなってしまったのです。

もう私では役に立たないから、さらに優れた医師か、もしくは霊験あらたかな僧侶でも呼ばねばなるまいとお家の方々は相談されていたようですが、しかし、当の野分さまがそれをお止めになりました。あぁ、こう言ってしまっては、まるで野分さまが私を放そうとなさらなかったように聞こえてしまいますが、実際には、どんなに経験ある医師だとか有難い僧侶でも、新たに人に見(まみ)え、また恥を晒すのはいやだと仰ったのです。ならば私のような存在でもいないよりはましだろうと、私は野分さまの治療を効が少ないながらも続けさせていただくことになりました。

私はただ、おろおろと日を送りました。野分さまのご期待に応えたいと心の底から願ってはいたのですが、そのためにはどうしたらいいものやら、まるでわかりませんでした。暗中模索を繰り返しているうちに……私も少しずつ、野分さまほどではありませんが、物に煩わされるようになってきました。

ある夜のことです。その日の診察が終わり、お屋敷を出て歩いていると、美福門の前あたりで、大勢の人々が声高に騒ぎながら歩いてくるのに出会いました。

いつもの私ならば、即座にどこかに隠れたところでした。何故ならその行列は、誰一人、灯らしい灯を掲げているわけでもないのに、全体がぼんやりと青白く光っていたのです。長い行列でしたので、それはまるで発光する大蛇のようでした。ちょうど雨上がりで、まだ湿気が肌にまとわりつくようでしたから、蛇が水中を泳ぎ進んでいるようにも見えました。明らかに、常の人の行列ではありません。しかしすっかり神経が疲弊していた私は、それをふしぎらしいふしぎとも思わず、ゆるゆる、ふらふらと歩み続けました。

近づいてくると、そこに加わっている者たちの顔もおぼろげに窺えてまいりました。目鼻のある灯篭や、血がなみなみと注がれた臼、烏帽子をかぶった狒々(ひひ)、七尺はゆうに超えているであろう赤黒二体の鬼、法師姿の犬と狸……。それでも私は、彼らが「いない」か、もしくは普通の人々かのようにまっすぐに進み続けました。そして彼らの前まで来ると、脇を通り過ぎるのではなく、真ん中に分け入るような形で逆行しました。まるで列のいちばん奥に、自分を呼んでいるものがいるかのような足どりでした。行列をいきなりさかのぼり始めた闖入者を、彼らは化物の目をそれぞれ見開いて見つめました。


(続く)

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上諏訪純 フェティシズムと日本史と妖怪・人外と幻想文学をこよなく愛しすぎて、 全部足さずにはいられなくなった水瓶座・A型。 好きな歴史上の人物は世阿弥。
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常春 2010年より少しずつ活動開始した新米絵描きです。1988年生まれ。和モノ怪奇モノ大好物です、座右の銘は【いやらしければなんでもいいわ!】です、宜しくお願いいたします。
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文=上諏訪純 | 絵=常春 |

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