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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。お風呂上がりに洗面台の前に立ち、自分の胸を丹念に観察する。それが私のここ最近の日課だ。
数年前までは「乳首がでかくてヤダなあ」とか「もうちょっと大きければ、せめてCカップくらいあればいいのに!」なんて可愛らしいことも少しは思っていたけれど、40代半ばにもなるとそんな乙女な感想はわいてこない。
頭の中にあるのは「変なしこりがあったらどうしよう」ってことだけだ。昨年、北斗晶がテレビで乳がんを告白したあたりから、気になって仕方がなくなってしまった。
左右の形が著しく違っていないか。どこかおかしな予兆はないか。祈るような気持ちでハリのなくなった乳房をぐりぐりと触りながら確認し、昨日と変わらないとわかるとホッと胸をなでおろす。
バカみたいだと思うが仕方ない。そもそも私は、病気に関しては"超"がつくくらいの心配症なのだ。
特に、ガンとか脳溢血みたいに、昨日まで笑っていたはずの人が急に死の淵に立たされる病気が、怖くて怖くてたまらない。
もともと臆病者なせいもあるが、一番の原因はたぶん父親が脳溢血をやっているせいだと思う。私が高校一年の冬に倒れた父は、意識こそしっかりしているものの、話すことも食べることも自分で排泄することもできないまま、今も病院のベッドの上にいる。
それに加えて40代に入った頃から、大事な人が急に目の前からいなくなってしまうことが何度も続いた。
散歩の途中で倒れて、そのまま帰ってこなかった義父。
一緒に花見をした1週間後に急死したゲイ友達のFちゃん。
まだ30代なのにクモ膜下出血に倒れ、意識が戻らぬまま今も闘い続けている女友達。
「病は気からっていうよ。気にしすぎだって......」
まだかかってもいない病気を恐れる私を見て夫は言う。でも「まさか!」と思うことが平気で起こるのが人生だ。
もちろん、心配していれば病気にならないってわけじゃない。でも、心配症の私は何かしていないと、いても立ってもいられない。自分がそうならない保証はどこにもないのだ。
去年の年末、脳ドックを受けたのも、そんな気持ちが膨らんできたからだ。
酒もタバコも横綱級だった父親に比べれば私なんてまだまだ健康なはず......そう思っていたのに、検査後に医師から告げられたのは「脳動脈瘤の疑いあり。要再検査」という結果だった。脳動脈瘤というのは、文字通り脳の血管にできた"こぶ"のことで、それが破裂すると父と同じクモ膜下出血になってしまう。
ショックだった。診断書を持つ指がブルブル震え、文字通り目の前が真っ暗になった。
今私が死んだら、残された夫や老母はどうなるんだろう? いや、即死ならまだいいけれど一人で生きていけないような障害が残ってしまったら......? 「お酒もやめるし運動もします! だから助けて!」いるかわからない神様に祈った。
結局「まだ瘤があると決まったわけじゃないし、もしあったとしても今日明日どうなるというような大きさじゃないから大丈夫」と言われてホッと胸をなでおろしたのだけれど、自分は本当に脳の病気を恐れているんだなと再認識させられた出来事だった。
こういう面倒な性分の人間には、神様がちゃんと「忘れっぽい」ってオプションをつけておいてくれるらしい。あんなに一生懸命祈ったくせに、ずうずうしくも私は2週間もしたら前と同じように家に引きこもり、退屈まぎれにお酒を飲むようになってしまった。
でも、あのときの恐怖は消え去ったわけじゃなく、今も何かの拍子にときどきフッと顔を出す。
例えば、なんとなくつけていたテレビで『世にも奇妙な物語』の新作を目にしたとき。
それは、竹内結子演じるどこかの医務局の研究員が、ある日残業中に突然誰かに頭を殴られ、真っ暗な箱の中に押し込められるというストーリーだった。外部に連絡をとろうと孤軍奮闘するも結局うまくいかず彼女は脱出を諦めるのだが、実はそれはクモ膜下出血患者が朦朧とする頭で見た幻だったというオチだ。
普通の人が観たら「うまくできた物語だなあ」としか思わないだろう。でも私はそれを見た途端、暗い箱の中でもがく父親や女友達の姿が浮かび、あまりの恐怖に叫びだしそうになった。気がついたら声をだして泣いていた。
もしくは、偏頭痛でふと目が覚めてしまった深夜。
更年期の症状だとわかってはいるのだけれど、クモ膜下出血の予兆じゃないかと思い始めると不安で不安でたまらなくなる。SNSに長い愚痴をつらつらと書き連ねたり、寝ている夫を叩き起こしてわーわー泣いたりしたくなる。でもその衝動をじっとこらえる。
「明日になれば、明るくなれば大丈夫。」
そう心の中で繰り返していると、窓の外がだんだん白んできて朝が来る。私は悪夢から醒めたような気持ちになって、心の底からホッとする。笑ってしまうような話だが、ここのところ、そんな夜がよくある。
10代、20代の頃いくつかあったコンプレックスは年をとるごとに少しずつなくなってきた。でも、この恐怖だけはどうしても消えてくれない。むしろ年を追うごとにひどくなっているような気さえする。
どうしてこんなに心配症なんだろう。こんなんじゃ100まで生きるどころか、ストレスで早死になんてことにもなりかねない......。
少しでも恐怖が和らげばと、最近、更年期対策も兼ねた温泉通いを始めた。暇をみては数駅先のラドン温泉まで自転車を走らせ、お湯に浸かっている。平日の昼間から湯船で井戸端会議に励む老婆たちは、腰は曲がっていても私なんかよりずっと元気に見える。
もっともっと年をとれば、いつかこのトラウマが消えるだろうか。ガンも脳溢血も怖くなくなるんだろうか。
そうであればいいなと思っている。
文=遠藤遊佐
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16.01.30更新 |
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