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ニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅4
New Style Heian Erotical Mandara [Ake no kaze fuku]
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【21】闘いが終わるとき

その日も狐たちは朱猿の鼻に火の匂いを嗅ぎつけられて、群盗の現場を探り当てられた。

「なぁ、こいつら、何でこんなに必死なのかな」

逃げる狐の襟がみをつかまえてぶん殴りながら、真済は今さらながら、理解に苦しむ胸の内を口にした。

「何が、何でなんだ?」

朱猿が、打ち掛かってきた狐の薙刀をひょいと抱え、その体を薙刀ごと燃える屋敷に投げつける。

「だって、お前にもうずいぶん仲間が殺されているわけだろう。俺が加わった時から比べたって、明らかに数は減っている。盗賊稼業なんぞ危険に晒されてまでやることじゃあるめぇ。一旦身を潜めて時を待つなり、いっそ引き上げるなりしたほうが、利口じゃねぇか」
「......たしかにそうだ」
「それが最近は以前より頻繁に現われている。それに、金持ちでもねぇ、普通の家まで狙ってよ」

言う通り、二人が今奮闘しているこの屋敷も、ごくごく小規模な新興商人のものであった。

「どうしても今、しておかなければいけない理由でもあるのかね」

そんな疑問を口にしても、刃を振り上げた狐たちが答えてくれるわけもない。二人は何とも腑に落ちない気分を抱えながらも、襲いかかってくる狐たちを斬り倒し、逃げる狐たちにとどめを刺した。余力があれば生き残った家人を突き壊した築地から逃がそうともし、火を消し止めようともした。助けられた家人たちは朱猿と真済の姿を見て失神してしまう者もいたが、多くはぽかんとしたまま、促されるままに外に転(まろ)び出ていった。

こん、こん、けーん、と、また狐の鳴き声がどこからか聞こえ、風の強い晴れ渡った夜空にするすると吸い込まれていった。

「お、今日はこれで仕舞いにするのかね」

爪の先に滴る血を腕を振って払うと、真済は鳴き声の出所を探るように、空を見上げた。

「今日じゃなくて、もう全部しまいにしてくれないかな」
「そりゃあ俺じゃなくて狐どもに言ってやんな」

しかし、その疲弊した呟きの底に横たわっていた小さな期待は、すぐに呆気なくうち崩された。

いつもは弓から放たれた矢のように迅速に逃げていく狐たちが、今日はその場にじっと立ったままでいた。中には気味の悪いうすら笑いの声を面の下から漏らしている者もいる。

「朱猿、気をつけろ。様子がおかしい」

二人はお互い背中を守り合うようにして、再度、身構えた。

狐たちがざわめいた。にわかに奥の黒煙が大きく揺らぎ、そこから吐き出されるようにして人影が現われた。若狐と瑠璃の面の狐だった。

朱猿も真済も、その姿を見るなり眉をひそめた。そこにいたのは二匹だけではなかった。瑠璃の狐に抱えられるようにして、もうひとつ、小柄な影がよろめいていた。

稲妻のような嫌な予感に貫かれた二人は、次の刹那、それが当たっていたことを否応なしに突きつけられた。

第三の人物の顔が炎に照らし上げられたのと同時に、朱猿は思わず駆け出そうとした。瑠璃の狐が後ろ手に捻り上げていたのは、ここにいるはずのない、そよごだった。

「そよごっ!」

が、朱猿の足は一歩も進むことなく、すぐに地面に打ちつけられたように止まってしまった。朱猿を制するように、瑠璃の狐の太刀の鋭い切っ先が、そよごの喉元に押しつけられた。

「ごめんなさいね、本当はこんなこと、したくなかったのだけど。......私が何を言いたいか、わかるわね?」

若狐が水干の男姿でもそれとわかるような淑やかな足どりで一歩前に出た。舞手にも通じるたおやかな歩みにもかかわらず、そこにいる者を後ずさらせてしまうような、妖しい迫力があった。

「まずは赤髪鬼、貴方から。紺青鬼、貴方は赤髪鬼の次よ」

悲鳴や罵声が炎が起こす風に煽られる血なまぐさい場所にはあまりにも不似合いな、翌朝には後朝(きぬぎぬ)の文でも開いていそうな白魚の指が、朱猿と真済を順に差す。若狐の背後の建物には、いつの間にいたものか弓矢を構えた狐面たちがざっと十人ほど、屋根に乗って鏃(やじり)を朱猿にまっすぐに向けていた。

いかな化物の体といえども、何本もの矢に一斉に射られたら、無事ではいられまい。

「俺のことを知っているとは、お前、実は結構な年寄りだろ」

真済は苦し紛れに口を歪めて笑ってみせたが、その額は冷や汗を滲ませて強張っていた。

「朱猿、真済さま、ごめんなさい......」

腕を括り上げられたまま、そよごがうなだれた。

「ごめんなさい、こんなことになるなんて......」

足手まといだけにはなりたくなかった。だから、不安に胸が張り裂けそうになりながらも、毎日、おとなしく夜を徹して朱猿を待っていた。離れたところで無事を願うことしかできないもどかしさは直接刃を向けられるよりも追い詰められて思えたし、傷だらけの体を迎えれば、いっそ自分がかわりにその痛みに苦しみたいと願った。そんなにまでして耐え、それが実るかもしれない曙光もほの見えていたというのに、たった一回の、そして一瞬の判断の過ちがすべてを台無しにしてしまった。ずる賢く、霊妙な力を持つ狐たちが自分を狙うかもしれないとどうして考えが及ばなかったのだろう。

が、そよごはすぐに毅然と前を向いた。こうなってしまっては、もう、できることは一つしかない。そよごは己を奮い立たせて、声を張り上げた。

「お願い、二人とも私に構わず戦って。朱猿、私はもう、あんたに教えることはないわ。私のことは忘れて、自由に生きて。今のあんたなら、絶対、人の中で暮らしていけるから」

凛と抜けていく声とはうらはらに、しかし、その眼からは涙が一粒、また一粒と溢れ出して、はかなく地面に落ちていった。殺されることは、もういっそ怖くはなかった。絵馬が死に、朱猿が死地に赴く決意を固めてから、そよごもまた何がしかの覚悟はしていた。こんなことになったばかりに、あたら、人として羽ばたこうとしていた朱猿の命を散らせることになったら......そう思ううちに、悲しみと後悔と自責の念とが一緒くたになって、涙となり、こみ上げてきたのだった。

「そんなこと、できるわけないだろう!」

朱猿も泣きそうな声で叫んだ。

「俺、人の中でなんて暮らせなくてもいいよ! そよごと一緒に暮らすんじゃなきゃ意味がないんだ!」

朱猿は今にも武器を投げ捨てそうな勢いだった。実際、捨てろといわれたら、迷わず捨てていただろう。

二人のやりとりを若狐はじっと見つめていたが、ほどなくして、袖に包まれた細い腕を高く掲げた。弓弦が引き絞られた。

「朱猿、戦うのよ!」

瑠璃の狐の腕の中でそよごは暴れた。暴れながら、さらに声を振り絞って訴えた。このまま朱猿が死んでいくなんて、どうあってもあきらめきれなかった。何としてでも助けたかった。守ってやりたかった。もう孤独な思いをすることもない時を送らせてやりたかった。名を呼ばれて返事をし、呼んでくれた相手に笑いかけるということを、もっとたくさんさせてやりたかった。化物の姿かたちを持ちながら、人一倍寂しがりで甘ったれに生まれついてしまった朱猿が、それが受け止められることを十分に知らないまま死んでいくのは、朱猿という存在そのものが、この世から否定されていることになるのではないかという気がした。

最後のさいごまで、私は絶対に見捨てない。見捨てるものか......!

「朱猿! いうことを聞きなさい!!」

ふいに体がふわりと浮いた。もがいていたそよごの体が、瑠璃の狐の腕から離れたのだ。「えっ」と振り返ったそよごは、自分の腕は、瑠璃の狐の、左手にあった隙間からふとした拍子に抜けたのだとわかった。左手の隙間、それは本来なら、小指があるところだった。瑠璃の狐の左手には、小指がなかった。

しかし、そよごはそれきりもう振り向かなかった。瑠璃の狐から逃れるなり、そのまま二歩、三歩と地面を踏みしめ、蹴って、一直線にただ一人、朱猿に向かって走り出した。そよごはもう何にも迷っていなかった。その目に赤々と輝いて映っていたのは、周囲で激しく燃え上がる炎ではなく、朱猿の髪と双眸だった。

そうして、柳の葉のような体が朱猿にふわりと重なったとき、鋭い音を立てて飛んできた幾本もの矢が、そよごの背を次々貫いた。飛び込んできたそよごを受け止めた朱猿は、彼女の瞳に宿っていた赤が、ぱっと弾け散ったのを見た。

「そよご......?」

そよごの手は、朱猿の肩を一度は掴んだはずだった。だが、それはまるで朱猿の「気のせい」だったかのように、彼女の指からは、少しずつ、しかし急速に力が抜けていった。

いったい、何が起こったというのだろう。

そのままずるずると落ちていきそうになる細い体を、朱猿はほとんど無意識のうちに支えた。狐たちのどよめきも、炎が唸る音も急に遠のいて、朱猿は、そよごの息づかいしか聞こえないこわいぐらいの静けさの中、たった一人で取り残された。何だか夢を見ているみたいな気分だった。でも、腕に流れかかるそよごの血があまりにも熱いから、一秒ごとに失われゆくそよごの息づかいがあまりにもはっきり聞こえるから、たぶん夢ではないのだろう。

あれ、おれ、また一人になっちゃったのかな......そう思ったとき、朱猿の肩にしがみついていたそよごが、その耳元に唇を寄せて、囁いた。

「朱猿......、もう、泣かないでね」


朱猿は屋根の上で、居並んでいた射手を片っ端からくびり殺していた。己のものとも聞こえぬ雄たけびが渇(かっ)と開いた口から迸り出ていたが、それももう、どこか遠くで自分とは無関係に鳴り響いているもののように感じられた。

ふと下を見ると、瑠璃の狐が若狐を連れて屋敷の外へ逃れようとしていた。朱猿は血まみれの死体をひとつ、ふたつ蹴り飛ばして屋根から飛び降りると、瑠璃の狐の前に立ちはだかった。

瑠璃の狐は咄嗟に太刀を構えたが、すでに彼の胸には朱猿の鋭い爪が深くめり込んで、貫通していた。「ぐっ......」と呻いて前のめりになりながら、瑠璃の狐は朱猿の腕を押さえつけた。致命傷どころか即死の痛撃のはずだったが、瑠璃の狐はなお退かなかった。



朱猿はそのまま腕を回転させて、今度はその胴を縦に裂こうとした。だが、そこに感じられるはずのはらわたの感触は、朱猿の腕には伝わってこなかった。

朱猿は舌打ちをして傷口を睨みつけ、ぎょっとした。はらわたをぶちまけているはずの、瑠璃の狐の体に開いた穴からは、迸る血に霞む向こうの景色が覗けた。

――こいつ、はらわたがねぇ......!

瑠璃の狐は朱猿の動揺を突いて太刀を振り下ろそうとしたが、朱猿はさらに早くもう一本の腕を横に薙ぎ払って、瑠璃の狐の首を胴から斬り飛ばした。ひと呼吸の間を置いて鮮血が土砂降りのように降り注いだ中を、瑠璃の狐の首は、まだ呆然と佇立していた真済の足元にまで転がっていった。

瑠璃の狐はしばらくは太刀を振りかぶった姿勢でいたが、やがてその構えのまま己の血のぬかるみにがくりと膝をついた。首のなくなった体が前のめりに倒れ、あたりに泥と混じった血飛沫が飛び散った。

朱猿は、今度は若狐の面の女を探した。しかし、あたりには狐の死体が積み重なっているばかりで、女の姿はどこにも見当たらない。

「ちくしょう......! どこだ! どこへ行った!」

歯ぎしりをしてあたりを彷徨する朱猿の体は、狐の返り血で髪や目だけでなく全身が真っ赤に染まって、一片の烈火が惑い狂っているようだった。その炎はそこで燃えているどんな炎よりも赤く、狂おしく、激しかった。見えるものすべてを燃やし尽くさんとばかりに猛っていた。

走り回っていた朱猿の目の端を、座り込んでそよごを抱きかかえていた真済の姿がよぎった。朱猿ははっと我に返って駆け寄った。

「真済さま、そよご......そよごは......?」

尋ねるのが、怖いような気がした。尋ねたら、すべてが終わりになるかもしれない。それでも朱猿は尋ねずにはいられなかった。......いや、本当はもうわかっていたのだ。矢が、あんなにもたくさんの矢が、そよごの背中に突き刺さって、瞳の中の赤が散っていったときに。引き寄せた体から力が失われていくのを感じ、叱りつけたり、宥めたり、慰めたり、歓喜を囁いてくれたりした声が耳元でかすれ、消えていくのを聞いたときに朱猿には、もう全部わかってしまった。

「ねぇ真済さま、そよごは......?」

真済はがっくり俯いたまま、黙って、首を横に振った。


朝になった。朱猿は清忠に引きずられるようにして、明兼のもとに赴いた。真済は乙犬丸と、もう瞳を開かなくなったそよごと一緒に家で待った。明け方に帰ってきた乙犬丸は力なく横たわっていたそよごを見ると、近隣の家屋まで揺るがせるような大声を朝靄に轟かせて泣き縋った。

明兼は獄舎の一角で二人に面会した。獄舎には放免たちの手で、事件の現場となった屋形から運ばれた十体を軽く越える狐面の死体が並べられた。明兼はしばしの間は物も言わず、ぼんやりと、それらと朱猿を交互に眺めていた。彼はほんの半年前、いや、 一、二カ月前に比べて急激に老け込んでいた。目はくぼみ、無精髭が生え、頬や額には業に苛まれた人間に特有の、加齢によるものではない皺が罰のようにくっきりと刻まれていた。

朱猿は瑠璃色の狐の面をつけた首を片手に抱え、死体の山を間にした反対側に立っていた。向かい合った二人、朱猿も明兼も、心をどこかに置き忘れたかのようだった。

そよごの死は清忠の口から伝えられた。そこにいた三人の中で意志を強く持っていたのは清忠だけだった。しかしその彼も普段の生気をすっかり失って、今はただここにいるのも疲れたというような風情であった。清忠は、この男に対しては誰も見たこともなかったようなくらい目をして、その場を睨みつけていた。

「その首......瑠璃の面の狐が、盗賊どもの首謀者です」

朱猿にかわって、清忠が目よりもさらにくらく、低い声で言った。湿って淀んだ獄舎の空気が、清忠の声音をさらに陰気なものにした。

「盗賊どもは、その者が中心になって戦っておりました。以前、戦いに参加した放免どもも、そう申しております」

清忠は嘘を吐いているつもりはなかった。彼や放免たちの目にはそのように映っていた。若狐の存在も知っていることは知っていたが、あの見るからにか弱そうな狐面が屈強なこの狐面を操っていたとは誰も思わなかった。

「なぜ面をはずさぬのだ。顔は検(あらた)めたのか」
「どういうわけか、どんなに力を入れてみてもはずれないのです。ここにいる、ほかの狐面どもも同じです。......やはり、へんげの者だったのでありましょう」
「あぁ......そうか、へんげか」

明兼は、清忠が特に力を入れて発音した「へんげ」の名を受けてもさして驚きもせず、聞き流しているのではないかと思えるような虚ろな返事をした。以前の彼であれば、もう少しは過敏な、何かしらの反応を示していただろう。

「お約束なされた通り、翡翠は朱猿に渡します。異存はございませんな」
「あぁ......」
「そして、朱猿のお役目は、これにて免じていただけますよう」

清忠は、気の抜けきった返事しかできなくなったこの上司代理に、もはや鋭敏や怜悧を期待するのを止めた。時が経てばいずれ取り戻すこともあるかもしれないが、少なくとも今は無理だろう。

「そうだな、これでもう終わりにしよう。首領がいなくなったのなら、後はこちらで何とかできるだろう。朱猿、お前はもう自由だ。どこへなりとも行くがいい」

明兼は力なく笑おうとしたが、口の両端が不恰好に歪んだばかりで、それは、泣いているようでもあった。

(続く)

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常春 2010年より少しずつ活動開始した新米絵描きです。1988年生まれ。和モノ怪奇モノ大好物です、座右の銘は【いやらしければなんでもいいわ!】です、宜しくお願いいたします。
常春公式サイト=「我蛾」
 | 
12.12.18更新 | 小説  >  朱の風吹く
文=上諏訪純 | 絵=常春 |