注目の大型官能小説連載 毎週月曜日更新!
New Style Heian Erotical Mandara [Ake no kaze fuku]
人の形をしてはいるが、常の人のなりではない。化生(けしょう)か、あるいは魔性か――。今昔物語を題材にとり、人の世から外れた者たちの凄絶な闘いを描く空前の平安エロティカル曼荼羅。話題作「口中の獄」と接続する、妖と美が渦巻く異端の世界とは。作家・上諏訪純と絵師・常春のカップリングでお届けする待望のアブノーマル・ノベル第4弾!!そよごはひとり、不安を感じていた。
――あぁ、助けたりなんかするんじゃなかった。
行き倒れだと焦って、つい後先考えずに真済を助けてしまい、あまりにもわかりやすすぎる特徴を備えた罪人たる自分たちの姿を不用意に晒してしまったことを、彼女は今さらながら後悔していた。自分の良心が呪わしい。
しかも絵馬は自分が翡翠を産む傀儡女であることを、彼女自身の口から話してしまったのだという。翡翠を産むたび奪われていた嘆きを十分すぎるほど知っていたそよごは、その供養を願ったと言われればつい責められなくなってしまったが、状況は間違いなくさらに悪くなった。化物と化物を操る傀儡女と翡翠を産む傀儡女の組み合わせが、他にいようはずがない。
国々を旅して回っていたという真済は、京で起こったことには疎いのであろう、それとなくかまを掛けてみたが、巨躯の化物と傀儡女が仲間の傀儡女三人を殺し、一人を誘拐したという事件については、まるで知らないようだった。だが、今は知らなかったとしても、これから知る可能性は十分にある。
――口止めするしか......ないか?
そう考えて、そよごは思わず身を震わせた。罪のない人を手に掛けるような発想をしてしまったことが恐ろしかった。
しかしとにかく、早く何とかしないと本当に手遅れになってしまうかもしれない。粗食生活を続けていた真済は基礎体力があるのか回復がおそろしく早く、また絵馬の献身的な看護もあって、もういつここを出ていってもおかしくはない状態にまでなっていた。
が......日が経つにつれて、意外なことが起こった。そよごは真済へ淡い信頼感のようなものを抱き始めた。そよごは仏法も信じていなければ、それを掲げる僧侶も信じていない。口では偉そうなことをしゃあしゃあとぬかしながら、裏では金儲けに走ったり、稚児に身勝手な欲望をぶつけたり、信仰する経典が違うからと口汚く罵り合ったり、市井の人々よりもよほど悪どくて、たちが悪い。所詮、人の弱みにつけこんだ詐欺師みたいな連中だとしか思っていなかった。
真済はそんな僧侶像とはかけ離れていた。欲にまみれているという点は変わらないのかもしれないが、それを隠そうとしない。ある時は、そよごたちが肉を食っている横で、「うまそうだなぁ」と今にも涎を垂らさんばかりにしていた。「そんなに食べたいなら、食べればいいじゃない」とそよごが串を差し出してやると、彼は「いやいや、でも仏道に肉食は禁物だし......」などとぶつぶつ言いながら散々逡巡した挙句、「でも、ちょっとだけ」と一口だけ食べて、「うまい、うまい」と涙まで流した。
そよごや絵馬をぼんやり見つめながら、「あぁ、やっぱり女はいいよなぁ」などとしみじみ呟くこともある。二人ともこれには焼いた肉を渡すように応じることはできなかったが、真済があまりにもあっけらかんとしているせいか、嫌な気分にはならなかった。殺生からは遠ざからねばならないはずなのに、朱猿の狩の様子を見たがり、絵馬が危険だと止めるのも聞かずについていってしまったこともあった。
「まるで子供みたいな人ねぇ。朱猿といい勝負かもしれないわ」
絵馬は溜息をつきながら苦笑いした。
その通り、真済はまさに、子供が好奇心を傷つけられずに、体だけ大きく育ってしまったような男だった。しかしそれでいて、長い年月風雨に晒されながら歩き、経を唱え続けてきた徳のなせるわざなのか、どこか犯しがたい威厳をも兼ね備えていた。
彼はときどき、皆から離れて一人でひっそりと、空や木々やその木漏れ日や、白くしぶく清流や、周囲の山のはるか彼方といったものを、静かな、何か懐かしいものに迫るようなまなざしで見つめていることがあったが、そういうときは特に、山の男神が彼の体を借りて顕現したかのようで、どこか話しかけづらい雰囲気があった。
そよごはそんなとき、真済であったら、自分たちがなぜ罪を犯さねばならなくなったかをきちんと話しさえすれば、受け止め、理解するまではいかなくとも、無情に検非違使庁に密告するようなことはないのではとも感じるのだった。
朱猿を連れて川に水を汲みにきていたそよごは、周囲が刻一刻と暗くなっていくのに焦っていた。流れてしまった桶を拾いにいくのに思ったより時間がかかったのだ。あたりの木々が、薄墨をひと刷毛ずつ塗られていくかのように黒くかすんでいく。夜の山はそよごには想像もつかない世界だ。朱猿がいるから心配はないかもしれないが、それでもわざわざ余計な危険を冒したくはなかった。
しかし、朱猿がこの期に及んで面倒なことを言い出した。
「なぁそよご、抜いてくれ」
「はぁ? 今? ここで? もう帰らなきゃいけないんだから、後でね」
そよごはすげなく切って捨てようとした。だが、
「やだー! 今がいい! ここがいい! だっておれ、ずっとがまんしてたんだよー!」
朱猿がそよごにわがままをぶつけるのは珍しい。たしかに朱猿はこの数日、よく我慢していた。晩秋から冬に備えて燻しておく獣肉を捕るために、そよごは昼となく夜となく、朱猿にひたすら山野を駆けさせた。その狩が、今日何となく落ち着いたのである。朱猿にしてみれば、満を持して、といったところだったのであろう。
「うーん......」
自分が命令した手前、そんなふうに食い下がられると何だか哀れにもなったし、絵馬と真済のところに戻ったら、機会を逸してしまうかもしれない。
「しょうがないなぁ。じゃあそこに寝転んで」
そよごに言われると、朱猿は嬉々として川べりに仰向けになった。水辺の地面は冷えているはずだが、気にならないらしい。赤い髪が草の上にばらけて浮き上がり、そこだけ火がついたように見えた。
男根はすでに大きくそそり立っていて、邪魔そうに衣を持ち上げていた。裾を開いてみると、それは朱猿の内面の幼さを裏切って、凶暴な威容でそよごを睨みつけている。鈴口から滴る透明な液体で全体をぬめらせていると、
「ん......あ、はぁ......っ」
朱猿は歯を食いしばったり深い呼吸を繰り返したりしつつ、快楽の淵に飛び込む準備を始めた。
「ほら、早く出しちゃいなさい」
これが客であれば、宥めたりすかしたり、焦らしたりして、なかなか楽にはさせてやらないのだが、朱猿にはそんな手練手管を弄する意味がない。
「そ、そよご」
朱猿が腰をびくんびくんと震わせながら、荒い息で尋ねてきた。
「絵馬も真済さまもいないから、こえを出してもいい? そのほうがきもちいいんだ」
普段は他の二人が寝静まった後にこっそり行なうことが多いから、そよごは声を出すのをこらえるよう言いつけている。絵馬に見つけられてからは、さらに神経質になった。
「今だけよ。みんながいるときはダメだからね」
「わかってる」
朱猿は体をのけぞらせ、暮色の空に顎を突き上げると、雄たけびのような喘ぎ声をあげ始めた。
「あぁっ、あがぁ~っ!!」
知らずに聞いたら身のすくむような声だった。その声は猛々しい弾丸となって、朱猿の頭上近くにあった木でひっそりと休んでいた鳥たちを打った。鳥たちはばたばたと慌しい羽音を従え、数羽まとめて飛び去っていった。
と、その動きとは逆に、どすんと大きな音を立てて、根元に落ちてきたものがある。真済であった。
「いたたたた......」
「真済さま!?」
そよごは驚いて握っていた手に力を込めた。
「わ、そよご、出るっ!!」
朱猿が眉間にしわを寄せた。
「えっ!? 朱猿、ちょっと待て!!」
真済が叫んだ。朱猿の矛先は、真済のほうを指し示していた。真済はぶつけた頭をさする手を止め、手のひらを朱猿に向けて、来たるべき危機を防ごうと必死になった。
だが、数日間我慢を強いられていた朱猿の狂奔はとどまるすべを知らなかった。白濁液は見事な弧を描いて、坊主頭を直撃した。
藍色に沈んだ川の流れで坊主頭を洗う真済の姿は、本人は必死なのかもしれないが、端からは滑稽なものにしか見えなかった。だが、そよごは無邪気にそれを笑うことはできなかった。
「......あんなところで何してたんですか」
「いやぁ......」
袖で頭を拭き拭き、待っていたそよごたちのもとに戻った真済は、冷たい視線を受けると苦笑いでごまかそうとした。
「いやぁ、じゃないですよ。ちゃんと答えて下さい」
そよごは詰問の口調を緩めない。見られたくはないところを見られてしまった恥ずかしさもあって、自然、きつくなった。
「前から気になってたんだよ」
並んで歩き出した真済は、叱られてすねた子供のように口を尖らせて、渋々話し始めた。
「お前ら、よく二人だけでどっか行くだろ? 何やってるのかなって」
「..................」
「俺はさ、お前らはデキているに違いないと思ったんだ。そしたら余計、聞くに聞けなくなって。だけど、実際のところを知りたくてさ」
「それで私たちが水を汲みに行くのに先回りして、何かないかと待ち伏せしていたと」
「うん、まぁ。で、ドンピシャだったってわけだ」
あたりには虫の音がうるさいほど響き渡っている。そよごはその音に染みこませるような深い溜息をついた。
「でもさぁ、余計なお世話かもしれんが......」真済はどんぐり眼を無遠慮に二人に向けた。
「お前ら、あれでいいのか?」
「は?」
そよごには真済の言わんとするところがわからなかった。朱猿のほうは抱えた桶いっぱいに入っている水をこぼさないように歩くことに集中していて、はなから聞いていない。
「いや、何というか......入れなくていいのか?」
そよごと真済は揃って黙り込んだ。虫の音が耳の奥ではじけそうなほど大きく膨らんだような気がした。
「ば、ばかなこと言わないで下さいっ!!」
そよごは真済の頬めがけて飛んでいきそうになった手をかろうじて止めた。
「だって、ああいうことをするぐらいだから、そういう仲なんだろ?」
「そんなわけないじゃないですか!」
背すじに悪寒すら感じたそよごは何とか誤解を解こうと言葉を探したが、これぞというものが出てこなかった。本当のことを洗いざらい話せばいちばん早いのだろうが、難しい会話にも慣れつつある朱猿を前にしては避けたかった。
「なんだ、朱猿のことが好きなんじゃないのか」
「好きとか嫌いとかそういう......」
「朱猿はそよごが好きだよなぁ」
桶を睨みながら半歩後ろをついてくる朱猿に、真済は笑いかけた。
「んっ? あ、うん、おれ、そよごすきだよ」
朱猿は気がついて顔を上げた。
「好きだから、ああいうことをしてもらうんだろ?」
「うん」
朱猿は頷いたが、おそらく深い意味はわかってはいないだろう。そよごは「好きだからしてもらうんじゃなくて、してもらえるから好きなのよ」と訂正しようとしたが、止めた。
三人が岩窟に着いたときには、十三夜の月が東の空を煌々と照らしていた。青白い水のような月光は澄んだ空気の粒子を縫って地上を照らし、枝々からあたりに流れ落ちている。もしも京にいれば、この美しい夜を愛でる妙なる笛の音がどこからか聞こえてきたことだろう。
「あら、みんな一緒だったのね」
絵馬は夕餉(ゆうげ)の支度を終えていた。すでに起こされている火の横には、あとは焼くだけになった魚が、木の葉に載せられ並べられている。真済のための茹で栗なども用意されていた。
「絵馬、この間、酒を貰っただろう。あれ、ちょこっとだけでいいから、飲ませてくれねぇかな」
岩窟に入るなり真済は、奥に置かれていた酒壺に近づいていった。麓の道で声を掛けた商人が持っていたもので、冬に冷えた体を温めるのにいいかもしれないと、熊の肝と引き換えに貰ったものだった。
「まぁ何ですか、いきなりお行儀の悪い」
眉を吊り上げる絵馬を背後に真済は柄杓で酒を汲み、自分で作った木の椀に注いだ。真済は手先が器用で、体調が戻ってからは、持っていた小刀を使って、「世話になった礼だ」と椀や杯や匙といったものを次々と作った。今、この岩窟には、急な来客があったとしてもすぐ対応できるほどの器が揃っている。もちろん、そんなことはありえない話ではあるが。
「大事なもんだし、たくさんはいらねぇよ。今日は何だかいい気分でなぁ、一杯だけ引っ掛けたいんだ」
文句を言われる前に先手を打ってしまえとばかりに調子よく言い訳を口にする。
やがてあたりに魚の焼けるいい匂いが漂った。最近では絵馬が魚や肉を木の葉に包んで焼くことを覚え、また旅人から塩や醤(ひしお※1)を貰ったりもして、食事は以前よりも多少豪華になっていた。秋の果物が増えたので彩りもあざやかだ。
「かぁぁ~っ、やっぱり酒はうめぇっ!」
食事もそっちのけで酒を飲み始めた真済は坊主頭のてっぺんまで真っ赤にして、愉快そうに額をぴしゃりぴしゃりと叩きだした。充血した目はうつろに潤み、早くも視点が定まらなくなっている。
「なぁ、酒はいいなぁ!」
誰にともなく大声で言って、岩窟に響くような大声で笑う。最初に酒に口をつけてから四半刻も経っていないというのに、明らかに酔っていた。
「あの......真済さま、大丈夫ですか?」
絵馬が心配そうに横から窺った。
そよごは真済の椀の中をちらりと覗いた。彼が手ずから汲んだ酒は、まだ半分も減っていなかった。どうやら真済は酒が弱いようだ。いや、弱いどころではなく、下戸と呼ぶべきだろう。酒が強くない癖に好きな輩がたまにいるが、どうやら彼はそういう類らしかった。
真済はやおら立ち上がって、そよごと朱猿の間に割って入った。どすんと座った拍子に酒がこぼれ指が濡れたが、拭こうともしない。
「お前らなぁ、もっと真剣に恋をしろ、恋を」
肩をいからせて威勢よく吼えると、ちびちびと舐めるように酒を飲んだ。
「............はぁ?」
そよごはあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。先ほどの話を蒸し返すつもりなのだろうが勘弁してほしかった。
「さっきお前らを見てなぁ、俺は昔の自分を思い出したよ。お前らよりももっと情熱的だったがなぁ......」
真済は赤く火照った頬を上げて、どこともない遠くに視線を投げかけた。「さっき何があったの?」と小声で尋ねる絵馬に、そよごは「見られたのよ、朱猿のアレを」とうんざりした様子で答えた。
「俺の懸想の相手は、聞いて驚くなよ、お后さまだったんだ」
真済は勿体ぶってみせたが、そよごも絵馬もまったく反応しなかった。こんなこぎたない僧侶が、后などと関わり合いになれるわけがない。酔っ払いが酔いに任せて適当なことを口走っているとしか思えなかった。
「あれは、ある春の夕べのことだった」
だが真済は二人の冷ややかな視線などどこ吹く風だ。
「お后さまのお住まいである祈祷を行なった俺は、風に吹き上げられた几帳の隙間から、偶然、お后さまのお姿を見てしまったのだ。お后さまは今まで見たどんな女よりも、あでやかで、美しくてな。たちまち心を奪われ、長年の修行も、仏の尊さも、一瞬にして忘れてしまった。
それから俺は、どんなに厳しく、激しい修行を重ねても、愛欲を消せなくなってしまった。そうして気がついたら......俺は鬼になっていたんだよ。肌は漆のように黒く、裂けた口の上下に牙が生え、目は爛々と燃える鬼にな」
たわごとだと適当に流そうとしながらも、そよごも絵馬も、真済の話につい耳を傾けてしまった。もう焼くもののなくなった火がパチパチと音を立ててはぜ、虫の音とともに深まる秋の夜のもの寂しさを際立たせた。
(続く)
※1 醤 :麦と大豆と塩水をまぜて数十日間置いた調味料
関連記事