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New Style Heian Erotical Mandara [Ake no kaze fuku]
人の形をしてはいるが、常の人のなりではない。化生(けしょう)か、あるいは魔性か――。今昔物語を題材にとり、人の世から外れた者たちの凄絶な闘いを描く空前の平安エロティカル曼荼羅。話題作「口中の獄」と接続する、妖と美が渦巻く異端の世界とは。作家・上諏訪純と絵師・常春のカップリングでお届けする待望のアブノーマル・ノベル第4弾!!やがて外では風が吹き始めたらしい。ひゅうひゅうとすすり泣くような悲しげな音が切れ切れに届いてきた。真済は続けた。
「その姿で、俺はお后さまのもとへ飛んでいった。すると魔性のなせるわざなのか、お后さまはなんと『お待ち申し上げておりました』と、醜い体を抱いて下さるではないか。それから俺は昼となく夜となく訪れては、お后さまと睦み合った。まわりの者は顔色を失っていたが、俺が恐ろしいのだろう、扇の陰でひそひそと囁き交わしながら、遠巻きに眉をひそめるばかりだった」
そよごはふと、何か胸に引っかかるものを感じた。遠い昔、そんな話を、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「それから、どうなったのですか?」
絵馬が身を乗り出して続きを求めた。
「まぁ、夢のような時間っていうのは大抵あっという間に終わるもんさ。ある日、俺は俺よりえらい坊さんに調伏されてしなびた坊主に戻っちまったんだ。それでもう、護衛の厳しいお后さまのところへ行くことはできなくなった。行けたとしてもお后さまを惑わすことはできやしなかっただろう」
真済は自嘲するように唇をわずかに歪ませた。頬の赤みはそのままで、目も相変わらず潤んでいたが、話し終わると、全体からうっすら熱が引いたように見えた。
「それきり、もう会えなかったのか?」
と尋ねたのは朱猿だ。大筋は理解できたのだろう、自分のことでもないのに何だかしゅんとしていた。
「あぁ、それきりだ」
真済が頷くと、あたりはしんと静かになった。嘘に違いないと斜に構えていたものの、三人とも、真済の話の巧みさに引き込まれてしまった感があった。
暗くなった雰囲気を打ち破るかのように、突然、当の真済がからからと陽気に笑い出した。
「何だ何だ、しょぼくれるんじゃねぇよ。俺はなぁ、お前たちのような前途ある若者に、化物に変化するぐらい情熱的になれって檄を飛ばしたかっただけなんだよ」
真済は笑いながら何度も朱猿の肩を叩いた。慣れとは怖いもので、真済にはもう朱猿が化物には見えないらしい。
「何だったら俺と絵馬は、今日は外で火を焚いて寝るから、お前らはここでさっきの続きを......」
言い終わらないうちに、そよごの投げた空の椀が真済の顎に命中した。
絵馬と外に出るという真済を皆で止めて、四人はやっと床に就いた。妙に神経が高ぶって、そよごはなかなか寝つけなかった。うとうとしてもすぐに目が冴えてしまい、何度も寝返りをうった。
「眠れないの?」
朱猿を挟んで向こう側にいる絵馬が気づいて、ひそめた声をかけてきた。
「大丈夫」
「寒いんでしょう。朱猿をあげるわ。私はもう温まったから」
絵馬は真ん中に眠っていた朱猿をそっと押して寄越した。二人は最近、体温の高い朱猿に抱きついて眠るようになった。何も知らない者が見れば、二人の娘を攫ってきた化物が乱倫の果てに寝入ってしまった光景と捉えたかもしれないが、実は暖をとるかわりに抱え込まれているだけである。絵馬は真済も加わるように薦めたが、本人と、そしてそよごが嫌がった。
「ありがとう」
べつに寒いわけではなかったが、断わるのも悪い気がして、朱猿の懐に潜り込んだ。いびきがうるさかったが、呼吸を合わせているとだんだん眠気が押し寄せてきた。熱いぐらいの体温が心地よい。寒くなどないと思っていたが、実際は体が冷えていたのかもしれなかった。
突如、頭の中にある記憶が閃いた。
――そうだ、どこで聞いたか思い出した!
先ほどの真済の話だ。
――――あれは確か、まだお母さんが生きていたとき、市で会ったおばあさんから聞いたんだった。
端緒を掴まれた記憶は、とたんに鮮明な映像をそよごの脳裏に広げてみせた。
......昔語りの婆ちゃんが来たぞー!
市で働く親を持つ子供の中でも大将格の少年が、市のあちこちでばらばらに遊んでいる子供たちに声をかけて回っている。子供たちは普段、親が働いている間は、店の隅や空き地になっている所で好き勝手に遊んでいた。そよごももちろん例に漏れなかった。
......本当か? ......早く行こう、行こう! 子供たちが歓声をあげて駆け出していく。
「昔語りの婆ちゃん」というのは、京の外に住む烏帽子折(えぼしおり)が洛中に商売をしに来るときに、時々連れてくる彼の老母であった。家にこもりがちな老母に京の華やかな空気を吸わせたいと月に一、二度伴ってくるのだが、そうは言ってもあちこちの家や屋敷を巡って商いをするのに足腰の悪い老人を連れていくわけにはいかないから、仕事がある程度片付くまで、彼はいつも老母を市の片隅で待たせていた。
老婆と子供たちはいつしか親しくなった。というのも、老婆は昔話や物語を語って聞かせる上手だったのである。何でも昔はあるやんごとなき姫君に仕え、乞われるままに様々な物語を読み聞かせていたそうだ。
「昔むかし、時の帝のお后さまで、明子(あきらけいこ)さまとおっしゃる、世に類なくおうつくしいお方がいらっしゃった」
「昔語りの婆ちゃん」は、期待に頬を紅潮させる子供たちを前に語りだした。
「ぬしらも桜で名高い染殿の名ぐらいは聞いたことがあるじゃろ。その染殿を内裏の外のお住まいとされていたから、当時の世の人は明子さまを染殿のお后さまと呼ばしゃった。
お后さまは日ごろからお体が弱かったのじゃが、あるとき特に病が重くかかったというて、祈祷のために高徳の僧をお招きになった」
それから後の話は、真済が語ったものとほぼ同じだった。后にかなわぬ恋心を抱いた僧は、やがて化物と化した。そして魔性を以って日夜后と情を交わし合った......。
まさか真済がその僧だったとでもいうのだろうか。だがそよごは、すぐにそんな考えをばかげたものとして打ち消した。
――――そんなはずはないわ。だって染殿のお后さまが生きていたのは二百年以上も昔だって聞いた......。
きっと酔っ払った勢いで、どこかで聞いた昔話を自分のことのように語ったのだろう。まったく、適当なことを言って。でも、「昔語りの婆ちゃん」ぐらいは上手い語り口だったなぁと、真済の口調を反芻しながら、そよごはいつしか眠りに落ちていった。
「大変! そよご、起きて!」
朱猿のぬくもりに包まれて夢の世界をゆるゆると楽しんでいたそよごは、絵馬に肩を揺さぶられて目を覚ました。
「何よ、もう」
鳥の声が聞こえるから夜は明けているようだが、岩窟の入り口からはまだ朝の光も差し込んではいない。
「真済さまがいなくなってしまったの!」
耳元で甲高い声できんきん喚かれたら眠気も飛んでいく。そよごはしぶしぶ半身を起こした。朱猿はずぶとく目を覚まさない。何か危機を察知したときには即座に飛び起きるが、そうでなければ大抵は朝まですやすやと眠っている。
「いない? 朝の散歩にでも出かけたんでしょ。二日酔いなんじゃないの?」
「違うの、そういうことじゃなくて!」
絵馬はそよごに一枚の紙を突きつけた。
「何、これ?」
受け取って見ると、達筆な手跡(て)で、何かつらつらと書かれている。
「真済さまの置手紙よ」
「置手紙?」
そこには、今まで世話になった礼から始まり、「これ以上いたら、あまりの居心地のよさにここから離れられなくなりそうだから、出て行くことを決心した。話して止められたら、心の弱い自分は揺らいでしまいそうだから黙って出て行くが、修行中の器量の狭い身と思って、どうか許してほしい」という旨のことが、飄々とした旅法師には似合わぬ丁寧な文体で書かれていた。真済の床を見ると、寝藁や生活のちょっとした調度品などもきれいに整えられて、やはりもう戻ってくる気配は感じ取れなかった。
「追ったほうがいいかしら。今からならまだ追いつけるかもしれない」
「やめなよ」
そよごは止めた。
「追ってどうするの? 止められたってきっと迷惑だわ」
言いながらもそよごは立ち上がって、岩窟の入り口から外を覗いた。口では突き放したが、内心ではまだその辺りをぐずぐずしていてくれたらいいと思った。だが、あたりには朝霧が濃くたちこめているばかりで、それを透かして動くものは何も見当たらなかった。
真済とは何だかんだで半月以上一緒に生活していたことになる。騒がしい、何かと面倒な坊主だと頭にくることもあったが、近くにいると何だか陽気になれた。今日からはまた三人での生活に戻るのだ。何だか、無性に寂しくなった。
「またどこかで会えるといいわね」
振り向くと、絵馬は袖で涙をぬぐっていた。
「会えるわよ、きっと」
そよごはそっと絵馬の肩に手を置いた。
その日から、一段と身に染みる寒さを仕込んだ北風が吹き始めた。雲の払われた空は高かったものの、その碧(あお)を駆けきらめく陽光が木々に降りかかって落ちる影は薄く弱々しく、もう冬はそこまで訪れているのだということを二人に実感させた。
そよごは真済が消えたむなしさを一旦脇に置いて、冬を迎える準備を仕上げようとした。
「これだけあれば、何とか冬を越せそうね」
今まで少しずつ貯蔵庫に詰め込んできた木の実や、見よう見まねで燻した肉や、たっぷりの塩に漬けた魚や、旅人との物々交換で手に入れたさまざまな穀物や、薪といったものを整理し、数や量を確認して、そよごはほっとため息をついた。貯蔵庫とはいっても、朱猿に岩窟のすぐ横に穴を掘らせ、岩で固めさせたばかりの、ごく簡単なものだ。
「ほかに何か足りていないものはあるかしら?」
「さぁ......冬が始まってみないとわからないわよねぇ」
指示されるまま動いていた絵馬は、完璧を期さねばと気合を入れるそよごとは対照的に、どこまでもおっとりしていた。これから始まる冬ごもりを楽しみにしているような色さえある。
「何言ってるの。生きるか死ぬかの問題になるかもしれないのよ」
「でも、いざとなったら朱猿が何とかしてくれるんじゃない? 今までだって、ずっと一人で冬を越してきたんでしょう」
「冬眠でも始めたらどうすんのよ」
ここまで来るともう腹が立つというよりは、呑気さが羨ましくなる。
その朱猿は、今日は朝からほとんど使いものにならなくなっていた。彼は真済が出て行ったと聞くと、ふてくされたように岩窟に引きこもってしまった。
――――無事に春を迎えられてもう少し自由に動けるようになったら、今度は朱猿を置いていく算段を考えなくちゃいけないんだわ。
たった半月過ごしただけの真済がいなくなっただけでこんなことになるのなら、自分や絵馬が消えたら朱猿はどうなるだろう。また、そうするからには、もう朱猿にはできるだけ頼らないほうがいいだろうとも思えた。
それからわずか三日後のことである。
「な、何するんだよ!」
そよごの悲鳴が麓の小道に響いた。
もう物は足りているとはいえ、念のためできるだけいろんなものを貯めておこうと麓に下りたそよごと絵馬は、通りすがりを話しかけた侍風の男二人にいきなり腕を掴み上げられた。
暴れたが、逞しい筋骨の相手はびくともしない。そうしているうちに、あたりの薄(すすき)や木の陰からも、ものものしい武器を提げた男たちが続々と姿を現わした。
先頭に立った者は、鮮烈な赤い狩衣(かりぎぬ)に、白い杖を手にしている。
――――検非違使だ......!
年端もいかぬ子供でさえわかる、まごうことなき検非違使の姿かたちに、そよごは慄然と凍りついた。
「化物を操るというから、どんな妖術使いが現われるかと思っていたが......ただの小娘ではございませんか、父上」
後手に縛られたそよごたちを前に、拍子抜けしたような様子で、若い男が隣の老人に話しかけた。若い男は、年の頃にして二十代半ばといったところだろうか。紺色の狩衣が、男にしては色の白い肌に映えている。剃刀で切りつけていったような細い線で形づくられた目鼻だちは美しいといえなくもなかったが、それよりはまず酷薄そうな印象を人に与えた。
「もっとも、こちらの化物はなかなかのものですが」
と言って覗き込んだ先の朱猿は、鉄の手枷や首枷、足枷まで嵌められている。挑発的な視線を受けて、朱猿は牙を剥き出し、攻撃の態勢をとろうとした。手枷が鈍い音をたててきしむ。若者ははっと後ずさった。
「朱猿、だめよ」そよごは慌てて制した。朱猿の怪力をもってすれば枷を破壊することもできたかもしれない。だが、今暴れても、駆けつけた放免たちに切り殺されるか射抜かれるかが落ちであろう。
「明兼、無駄口を叩くでない」
静かだが凄みの滲んだ声で、老人が若者を叱った。
ここは東ノ京、近衛大路の獄舎の一角。麓の道で捕らえられたそよごと絵馬は、あの後、刃物をつきつけられるまま朱猿のところまで案内させられて、三人は揃って虜となった。絵馬は本来なら被害者として釈放されるところだったが、本人が必死にそよごたちを庇うことから仲間とみなされ、同じ牢に留め置かれた。
三人は今日、検非違使の判官、左衛門権少尉・中原範政......今、そよごたちの前にいる白髪の老人による取調べを受けるため、一時、牢を出されたのだった。判官とは、検非違使庁の実質的な責任者である。
――真済さま......。
真済の愛嬌のある顔が瞼の裏をよぎる。
ここに連れて来られるとき、放免たちから、今回の追捕は密告があって行なわれたのだと聞いた。そよごと絵馬の素性をある程度知り、なおかつ麓の道で道行く人に声を掛けることまで心得ている者は、真済しかいない。もしかしたら以前、傀儡女の客として会っていた男にそうと知らず話しかけてしまい、こちらは覚えていなかったものの向こうは覚えていた、などということもありえなくはなかろうが、一応男装をしていたのだし真済だとするほうが自然だ。
じつはもともとそよごたちのことを知っていたのか、それとも山を下りてから伝え聞いたのか。どちらにしても衝撃は大きく、そして深かった。絵馬も同じことを考えていたらしく、連行される最中も、牢に入った後も、「まさか、真済さまじゃないわよね......」と、不安げなまなざしを泳がせていた。
「おい、聞いているのか!?」
明兼と呼ばれた若者の一喝にそよごは顔を上げた。どうやら何か尋ねられていたらしい。
そよごの心がここになかったと察知した範政は、大儀そうに溜息をひとつつくと、手に開いていた紙にもう一度目を落とした。
「お前たちの罪状を読み上げたのだ。傀儡女三人と侍一人の殺害、菖蒲小路の空家への放火、傀儡女の誘拐、以上で相違ないな」
苛立っているふうはなく、淡々と業務をこなしているといった態度だった。皺(しわ)めた紙のような顔は明兼よりもさらに白く、病人のようですらある。きっと色白が遺伝する家系なのだろうと、そよごはどうでもいいことを思った。
「はい」
そよごが頷くと、
「では明兼、あとは頼んだぞ」
それだけで、範政は出て行った。何だかずいぶんあっさりした取調べだ。肩すかしを食らわされた気分だったが、もしかしたら普通は相手に認めさせるまでが骨で、自分たちのような者は珍しいのかもしれない。たしかにそよごも朱猿がいなければ、もっと頑なに否認しようとしただろう。それなりの理由があったとは言っても、流刑のなり徒刑なりが課せられるに違いないからだ。
そよごは馬鹿正直にそんなものを受けるつもりはなかった。どこかで隙を見つけ、朱猿を使って脱獄を企てるつもりでいた。判決を受け、刑が執行されるまでに、機会がまったく訪れないということはないだろう。
一人残った明兼は、尊大そうにじろりと三人を見下ろした。口を開いていたときにはいけすかない奴だと思ったが、黙ってしまうと、何を考えているのか窺い知れなくなった。不気味な奴だ、とそよごは警戒を緩められなかった。
すると明兼は、
「お前らを少し試させてもらう。外へ出るぞ。ついて来い」
と突然立ち上がった。
(続く)
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