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New Style Heian Erotical Mandara [Ake no kaze fuku]
人の形をしてはいるが、常の人のなりではない。化生(けしょう)か、あるいは魔性か――。今昔物語を題材にとり、人の世から外れた者たちの凄絶な闘いを描く空前の平安エロティカル曼荼羅。話題作「口中の獄」と接続する、妖と美が渦巻く異端の世界とは。作家・上諏訪純と絵師・常春のカップリングでお届けする待望のアブノーマル・ノベル第4弾!!放免に武器で脅されながら三人が着いたのは、獄舎の裏庭だった。
昼すぎの日差しは高く、太陽はあたり一面に金色の紗のように降り注いでいる。建物の影が落ちているあたりはさすがに寒々しかったが、日向には穏やかな秋の空気が清々しく流れていた。澄んだ空には、そろそろ時期の過ぎつつある蜻蛉が二匹、三匹、秋を堪能し疲れたような羽で飛び交っていた。
明兼はそんな風景の中に、烏帽子から出た後れ毛を風になびかせながら立った。その向こうには、矛、太刀、槍、棍棒......いかめしい獲物を持った猛者が、十人ほどずらりと並んでいる。重たげな鉄の刃が、爽やかな陽光を無粋な黒光りで突き上げていた。
明兼は三人を連れてきた放免に目配せをした。放免はいきなり絵馬を後ろから羽交い絞めにすると、喉元に短刀を突きつけた。
「きゃあっ!」
「何すんのよ!」
そよごが放免に食ってかかると、
「まぁ、言うなれば人質だな」
明兼が答えた。
「今からその化物に、ここにいる選りすぐりの放免どもと戦ってもらう。そいつの実力を知りたいのだ」
「実力? そんなもん知ってどうすんのよ。それに、だったら絵馬は関係ないでしょう。放しなさいよ!」
明兼は聞く耳を持たなかった。続いて、もう一人の放免に朱猿の枷をはずさせた。
「おかしな真似をしたら、この娘の命はないぞ」
そよごが言い聞かせるまでもなく、朱猿にもその意味はわかったらしい。朱猿は不服そうに明兼を睨みつけながらも、暴れだそうとはしなかった。大人しいまま一歩前に出た朱猿を、屈強な男たちが取り囲んだ。
「そよご、おれ、どうしたらいい? こいつら、殺してもいいのか?」
殺気を漲らせながらもそよごに尋ねる朱猿を見て、「ほぅ」と明兼が感嘆の息をついた。
「この化物がお前の意のままに動くというのは、どうやらまことらしいな」
「だとしたら、何なのよ」
「こう命令しろ。今から二十数える間に、こいつらの武器を奪ってみろ、と」
「何を考えているのかわからないけど、朱猿はそんな器用なことはできないわ。死ぬわよ、この人たち」
「それならそれでも構わん。日頃の鍛錬不足だ」
そよごは忌々しげに舌打ちした。
「そよご......」
朱猿が振り向いてそよごを覗き込む。こうなったら、明兼の言う通りにするしかなさそうだ。
「朱猿、こいつらが持っているものを全部叩っ壊しなさい。できれば殺さずに」
「できればでいいのか」
「できればでいいわ」
「わかった。じゃ、そよごはさがってろ」
二十も数えるまでもなかった。一斉に踊りかかった放免たちは、明兼が瞬きの数回もしないうちに次々地に叩き伏せられた。まがまがしい凶器は小枝のようにあっけなく折られ、あるいは地面に突き刺さり、あるいは建物の屋根よりも高く飛んでいった。できれば、の言葉の前に四肢を裂かれた放免の腕やら脚やら腸やらが、明兼の足元にも投げつけられた。そよごも絵馬も思わず目を背けた。
「......何ということだ。想像以上だな」
目前に展開される光景に、明兼は目を見開いたまま、みじろぎもできなかった。
「朱猿、もういいわ!」
そよごの声に、朱猿の暴虐がぴたりと止まった。隙ができたが、生き残った放免はもう誰も攻撃を仕掛けようとはしなかった。ほぼ全員がそうしたくてもできない傷を負わされていた。
「お、お前らの沙汰を申し渡す......」
明兼はしばらく呆然としていたが、やがて震えを押し殺しつつ、役人としての言葉を口にした。
「臨時の処置ではあるが、放免に加わってもらう」
放免とは、もともとは窃盗などの軽犯罪を犯した者が、獄舎での生活を終えた後に釈放されて成るものである。罪人、奸徒の追跡や逮捕を始め、拷問、配所への押送(おうそう)などに狩り出される、 いわば下級の雑用係兼戦闘員だ。蛇の道は蛇というように、もともとが罪人なら罪人の奸心にも詳しかろうというわけだ。
しかし、まだ刑を受けていないどころか、大した取調べを受けてすらいないのに放免に加われとは、どういうことなのか。
明兼は説明した。
二月ほど前から、ある盗賊どもが京を跳梁し始めた。神出鬼没の上、凶暴を極める彼らに検非違使庁はさんざん手を焼かされている。貴族や大商人、豪族の屋形を巧みに狙い、殺し尽くした後は燃き尽くすこの連中に向けて、腕に覚えのある放免や臨時に雇った侍たちを送り出したが、どれもこれも八つ裂きにされ、紅蓮の炎の贄(にえ)とされた。
このままでは京の人々が枕を高くして眠れないばかりはなく、検非違使庁の権威も地に墜ちてしまう。そこへ舞い込んできたのが、傀儡女と侍をねじり殺した化物の居所が掴めたという報せだった。
「毒をもって毒を制したいわけね」
元の部屋に戻され、明兼の話を聞かされていたそよごは、まだ怯えている絵馬の手を握りながら苦笑した。再度枷をはめられた朱猿は、鬱陶しそうに何度も姿勢を変えている。自由に暴れ回った後だけに、前にも増して枷が窮屈に感じられるのだろう。
「そういうことだ。異例中の異例だがな」
「そんなことしていいの? 体面を気にしている癖に、罪人をすぐに釈放して放免にしたなんて知れたらまずいんじゃないの?」
「だからこれは、庁としての正式な沙汰ではない。父ではなく、私が沙汰を申しつけた理由もそこにある」
なるほど、範政がそそくさと取調べの場を去ったのは、そういう理由もあったのかもしれない。だが、だとしたら朱猿を獄舎内で戦わせたりなど、詰めが甘すぎはしないだろうか。そよごが尋ねると、明兼は、
「まぁ、役所というのはそういう所だ」
と、さらりと答えてのけた。
「で、私たちがその盗賊をとっ捕まえて、あんたたちの体面を守ったら、無罪にでもしてくれるわけ?」
そよごはにやりと笑って嫌味を投げつけてやった。が、引き出されたのは意外な返答だった。
「そうだ。見事その盗賊の首領を捕らえてみせたら、お前たちの罪は、すべて、なかったことにしてやろう」
瓢箪から駒が出た。殺人、放火、誘拐と、ひとつだけでも十分重い罪をすべて無罪にするとは。だが、そよごは喜ぶより先に眉をひそめた。
「何だか、おいしすぎる話に聞こえるんだけど」
「実際にその賊に見(まみ)えれば、そんなことは言っていられなくなるだろうよ」
「..................」
この話が「おいしい」ものにならないほどの相手なのか。そう考えると恐ろしい気もしたが、しかし、これは間違いなく脱走の機会を与えてもくれるだろう。外を自由に動き回れるのなら、たとえまわりを放免に囲まれていたとしても、朱猿の敵にはなるまい。わざわざ無罪にしてもらわずとも、逃げてしまえば無罪になったと同じだ。
「......いいわ、受けましょう」
そよごは心に浮かんだことを気取られぬように、努めて冷静に頷いた。
が、明兼はそんな目論見を見過ごせるほどお人よしでもなければ、馬鹿でもなかった。
「ならば、絵馬と申すそちらの娘には、また人質になってもらおう。しばらく私のほうで預らせてもらう」
「えっ!?」
そよごと絵馬ははっと手を握り合った。
「当たり前だろう。三人とも自由にさせて逃げられてはたまらん。その娘の身は、盗賊の首領の首級(しるし)か身柄か、その壊滅をもって引き換えてやる。おい、連れて行け」
明兼は外に控えている放免たちを呼んだ。縄や武器を持った男たちが踏み込んできて、絵馬は数秒もしないうちにそよごから引き剥がされた。
「ちょっと、やめなさいよ!」
そよごは止めようとしたが、荒っぽい放免たちに女の力でかなうものではない。朱猿も、絵馬が武器で脅されると悔しそうに棒立ちになった。
「そよご! 助けて!」
絵馬は両肩を抱えられ、部屋の外に連れ出されていった。そよごは追おうとしたが、後ろからべつの放免に腕を掴まれ、ままならなかった。
「そよご、そよごぉ~っ!」
廊に響く悲しげな叫びが遠ざかっていく。
「一体どういうつもりよ!」そよごは明兼に詰め寄った。
「何度も言わせるな。あの娘の身は、盗賊の首領の首級か身柄か、その壊滅をもって引き換える」
明兼はそよごの熱気と対峙して、ただひたすら冷たく彼女を見下ろした。
極楽から地獄に叩き落とされた気分だった。
――――分が悪すぎるわよ。
もしも首尾よく盗賊をうち倒せたとしても、所詮は隠された場所で交わされた密約である、そんな約束などなかったと一蹴されたら元も子もないし、最悪、口封じのために命を狙われることもあり得る。しかし、もう、他の道は選べなくなってしまった。こうなってしまった以上、明兼を信じて検非違使庁のために働く先にしか、光明らしきものはない......。
「わかったわ。そのかわり、もしも絵馬に何かあったら......覚悟しておきなさいよ」
そよごは吐き捨てて、ぐっと奥歯を噛み締めた。
翌日、そよごと朱猿は、この事件を追う放免たちと、その放免を束ねる看督長(かどのおさ)に引き合わされた。看督長はそよごたちの追捕にやってきた人物で、放免の中にも見覚えのある顔はいた。
看督長は名を清忠といった。年は三十半ばほどだろうか。固太りのがっしりとした体つきをしていて、顔や腕のところどころについた大小様々な傷跡が、彼の歴戦を物語っていた。
「妙なことになったが、まぁしっかり働いてくれ」
清忠はそよごにとってはもう見るのも嫌な赤狩衣(あかかりぎぬ)の袖を振って、彼女の背中をポンと叩いた。周りにはお世辞にも品行がよさそうだとはいえない放免たちがずらりと並び、好奇心を隠す気のない視線を二人に注いでいた。
今回の盗賊追捕においては、放免たちは二手に分かれて、それぞれ戌の一刻(午後七時)から子の三刻(午前零時)、子の三刻から卯の四刻(午前五時)まで、松明を手に洛中を巡回することになっているという。
「巡回にあたっていない時間でも夜間は常に飛び出せる準備をしておけ。奴らはいつ現われるかわからん」
「何か手がかりはないの?」
そよごは訊いた。まったくの暗中模索では、あまりにも効率が悪すぎる。
「今まで押し入られた家の特徴とか、盗まれた物の共通点とか、見た目とか......」
「それなりの規模の屋形であれば、氏も地位も場所も関係なく襲われている。最初は唐物でも狙っているのかと思ったが、何しろ盗みが終わったらすべて焼き尽くしていくのでな、何が盗まれて何が残ったのか、ほとんど把握できておらん」
「え?」と、聞き返したくなった。胸を張って答えられたが、これはとても答えとは呼べないのではないだろうか。なりふり構わず罪人まで駆り出すほどの被害を蒙りながら、これでは何も掴めていないも同然ではないか。もしや検非違使庁や放免というのは、意外にどん臭いのだろうか。と、なると、そんな連中にあっけなく捕らえられた自分たちは......。
だが、最後にこう付け足されたのを聞くと、何か得体の知れない妖しい力が、そこには働いているような気もしてきた。
「形(なり)は、あまりにも明確なのだがな。何をふざけているつもりなのか、奴らは揃いも揃って、狐の面をつけていやがる」
「狐の面?」
ぞっとしたと同時に、ある記憶が蘇った。
あれはまだ母が生きていた頃のことだ。市の片隅で一人で遊んでいたとき、腰蓑の奥から狐の面をちらつかせた男が、雑踏の中を過ぎていくのを見た。深く被った笠で顔がよくわからなかったこともあって妙に好奇心をそそられたそよごは、その男の後をこっそりつけた。
男はある小路の小さな家に入っていった。彼女は壁に耳をつけて、中で交わされている会話に聞き耳を立てた。あの妖しげな面の持ち主はいったい誰とどんな会話を交わすのだろう。それはほんの悪戯心で、古の陰陽師か細作(密偵)にでもなったつもりだった。
が、どういう因果か、そよごは図らずして本物の細作の役目を果たすことになってしまった。壁越しに聞こえてきたのは、母がいつも行商で訪れている屋形に強盗に入る計画だったのである。
そよごは母に報せるべく、大路小路を小さなつむじ風のように駆け抜けた。
――あのお侍さんに、何かあってはいけない!
その足を急かしていたのは、母の商い先が消える不安でも、世話になっている屋形が襲われる心配でもなかった。彼女はただ一心に一人の男の身を案じた。その屋形に仕える侍である。少し気弱そうではあるが、それだけにそよごのような子供にも気さくに笑いかけてくれる彼を、そよごはいつしか慕うようになっていた。
その侍は前の年の夏、突然姿を消してしまったことがあったが、三カ月ほどでひょっこり帰ってきて、また同じように仕えていた。
彼は左手の小指を失っていた。
「盗賊にずっと捕らえられていたのを、隙を見て逃げ出してきたらしい」
「小指はそのときに千切られたらしいぞ」
他の侍たちが彼の空白期間についてこんなふうに話していたのを聞いて、そよごは納得するところがあった。侍は以前と比べてどこか暗い影を帯びるようになっていた。同じように笑いかけてはくれるものの、そんなふうに子供に微笑むときでさえ、哀しみとも恨みとも分けられぬ、黒いが透き通った何かが表情の底に横たわっているのが感じられる。盗賊に捕らえられたときにひどい拷問を受けたのかもしれないと、そよごはいたましく思った。
強盗のことを母に報せると母は屋形の主人に報せ、屋形にはすばやく厳戒態勢が敷かれた。加勢の侍や放免も多くやってくると知って、そよごはやっと安心した。
しかし、翌日彼女が聞いたのは、件(くだん)の侍が、盗賊の首領を庇って屋形を去ったまま行方知れずになったということだった。
「何しろ奇怪な連中だったらしいよ。全員が全員、狐の面をつけていたそうな。いや、面だけじゃない、斬って捨てると実際に狐になったんだと。それでも皆殺し一歩手前というところまで追い詰めたんだが、とつぜん、そいつが首領を連れて逃げ出した。皆が慌てていると、しばらくして空に狐の鳴き声が飛び交い始め、それまで倒れていた狐どもがむくり、むくりと起き上がった。そうして、足を揃えてどこかへ駆け出していったんだそうだ」
庭に飛び散った血を掃き清めていた老いた下男が、その場に居合わせた侍に聞いたのだと、教えてくれた。
「大方、へんげ(※1)の者か何かだったのじゃろ。そいつも裏切ったのではなく、化かされたのだろうよ」
そよごは目の前が真っ暗になった。その闇の中を、正気を失ったあの侍が狐面の首領と駆けていく姿が、実際に見たわけでもないのにはっきりと浮かんだ。そして続いて、狐面から元の姿に戻った何匹もの狐たちが、金色の太い尾を立てながらその後を追う様も見えた。それは音に聞く百鬼夜行のように、人には決して追えない、いや、追ったとしたら地獄への道行きを真っ直ぐに示されることになるであろう、妖しく不吉な獣の疾走だった。
「狐面の盗賊って、十年ほど前も京に出没していたんじゃない?」
そよごは思い出から離れて、清忠に尋ねた。
「おぅ、知っているのか」
清忠は意外そうに目をしばたかせた。そよごは頷いたが、頷いただけで、かつて自分がその殲滅に一役買ったことがある、とは言わなかった。
「あぁ、正確には十一年前だな。狐面の匪賊が京を荒らしたことがある」
「同一犯かしら」
「さぁ、 わからんなぁ。だが、知ってるか、十一年前の奴らはへんげだったという噂があるそうじゃないか。今回の奴らは少なくとも今のところは、何も妖しげなわざは使っていない。おそらくは違う連中が噂を利用して、検非違使や民を恐れさせようとしているのだと、俺は思っているのだが」
「ふぅ......ん」
しかし、そよごはひそかに彼らが同一犯であればいいと思った。たとえどんな形であれ、十一年前のやりきれなさと向き合えるものなら向き合ってみたかった。
(続く)
※1 へんげ:化物、妖怪
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