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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。先週、久しぶりに弟の家に行った。
休日も会社に出なくてはならないくらい忙しい弟から、「春休みで子供たちが退屈してるから遊んでやってよ」と連絡がきたからだ。
以前このコラムにも書いた不登校気味の姪っ子は、その後少しずつ"ずうずうしさ"というものを手に入れ、なんとか学校に行けるようになってきた。さすが私の姪だとホッとしているのだが、もともとぽっちゃりしていた白い頬や手のひらが会うたびにぷくぷくと膨らんでいくのを見ると、ちょっぴり不安な気持ちもぬぐいきれない。
弟嫁に「○○ちゃん、お菓子はもうそれくらいにしなさい。ご飯食べられなくなっちゃうでしょ」と言われても止められず、ずっとモグモグやっている。弟嫁が「最近、バカみたいにお菓子ばっかり食べるようになっちゃって......」と苦笑いする。たとえ小学生であっても、女はいろいろ大変なんだなと思う。
台所のテーブルにノートをひろげ、コアラのマーチをひっきりなしに口にほうり込みながら何かやっている姪っ子ちゃん。
何してんの?と尋ねると、春休みの宿題で"新学期の目標"を書いているのだと言う。
「ふうん、目標立てなきゃいけないんだ。何て書いたの?」
「私はねえ、『休まないで学校に行く』って書いたよ。遊佐ちゃんは?」
「え、私の新学期の目標? うーん......楽しく死なない程度にやってければいいかなあ」
「死なない程度に」という言い回しが面白かったのか、きゃははと声をあげて笑う姪っ子ちゃん。でもすぐ真剣な顔に戻って言う。
「そんなんじゃダメなんだよ。がんばらないと。私は毎日学校にいけるようがんばるんだ」
果たしてそうなんだろうか、と思う。
頑張るのが上手な人もいるけれど、私はそれがあまりうまくない。全力疾走するとすぐに息切れしてしまう。子供の頃から喘息持ちで、たまに体育の時間に許容量以上のことをしてしまった日は夜中まで咳が止まらず眠れなかったものだが、人生全般においてもまあそんな感じである。気持ち的にも体力的にも、無理をすると、必ずツケがまわってくるのだ。
「努力は必ず報われる」。40代半ばの私は、高度成長期を生きてきた親の世代からそんな考え方を刷り込まれてきた。でも、この年になって「別にがんばらなくてもいいんじゃないか」と思うようになった。
「がんばる」って言葉は絶対的に"いいこと"のように思われているけれど、実は案外リスキーなものだったりするからだ。
例えば一生懸命努力をすると、人は大抵見返りを望んでしまう。
頑張ったんだから何とかなるはず。こんなに頑張ったんだからきっと認めてもらえるはず......でも、実際にはそう単純なものでもないってことは、今の時代、子供だって知っている。どんなに自分をすり減らしても、ダメなものはダメなのだ。
それに、がんばりすぎるとどうしても視野が狭くなる。
実際はリラックスして投げたボールのほうが遠くまで届くことだってあるのに、必死になっているときはそのことにさえ気づかない。
もちろん、がんばりをうまいこと結果につなげられる本田なんちゃらやイチローみたいな人もいるだろう。でも、私はそういうタイプじゃなかった。
28歳のとき、父親が病気で寝たきりになった。くも膜下出血というやつだ。
東京でのバイト生活に見切りをつけ実家に戻っていた私は、なんとか少しでも回復してくれないものかと、老母と2人で必死に看病した。それが無理だとわかったときに望んだのは、病院じゃなく自宅で介護してあげることだった。
でも、それは実現しなかった。祖母と叔母が猛反対したからだ。
「そんなのは自己満足にすぎない。最初はよくても必ず共倒れになる」というのが2人の言い分だった。老母と私は「がんばればなんとかなる」と主張したが、父親と血がつながっていて一番近い関係の祖母と叔母にそう言われたら、押し通すことはできなかった。
結局家から車で30分ほどのところにある施設に預けたのだが、今考えるとあのときがんばらなくて本当に良かったと思う。
数年もてば御の字と言われていた父親は、17年間経った今も同じ病院で寝たきりのまま生きている。もし無理を通していたら、きっと祖母たちが言ったように共倒れになっていたと思うし、今こうやってコラムを書いていることもなかっただろう。
でもその時は、がんばるのだけが正しいことで、がんばれば報われると本気で信じていた。周囲のことも先のことも、まったく見えていなかったのだ。
父親が病院で暮らすことになってから、老母と私は毎日お見舞いに行くことに決めた。アルバイトのある私は午前中、彼女は夕方、2人とも1日に2時間だけ父親の介護に時間を費やす。忙しくても面倒でも多少体調が悪くても、それだけはさぼらなかった。がんばることはできなくても、怠けないようにしようと思った。
不思議なもので、四六時中つきっきりで介護をするよりも1日に1回のお見舞いのほうが父親も我々も機嫌よくいられた。
その日課は、私が結婚して東京に来るまで13年間続いた。
だから、そんなに一生懸命がんばらなくてもいい。怠けなければいいんだよ。
姪っ子ちゃんにもそう伝えたいと思ったけれど、どう説明していいかわからない。
「まあ、最初から毎日なんて無理しなくていいんじゃない? 1週間に半分くらい行ければ」と言ったら、案の定、台所で夕飯をつくっていた弟嫁に困った顔をされてしまった。
まあ、そうだよな。ごめんなさい。
でも叔母バカな私は、私にそっくりだという姪っ子ちゃんが早く「がんばる」って言葉から解放されてほしいと思ってしまうのだ。
さて、かくいう私も、いまだ更年期続行中。体がだるくて仕事のノルマを終わらせられなかったり、頭痛で寝込んでしまう日が少しずつ増えてきた。でも、最低限の家事とストレッチだけは毎日やろうと決めて、なんとか日々を過ごしている。
そんなに躍起にがんばらなくたって、大丈夫。怠けずにボチボチやってれば、今に晴れの日もやってくるはずだ。
文=遠藤遊佐
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