2013年(平成25年)9月9日、濡木痴夢男(ご本名:飯田豊一)さんがお亡くなりになりました。緊縛の第一人者として多くの愛好家を慰撫され、藤見郁、青山三枝吉、飯田豊吉など複数の筆名を持つ作家として多方面で活躍された濡木痴夢男さんは、編集者として、また絵師として、様々な仕方で永くSМ文化を牽引してこられた方でした。
WEBスナイパーでは、「あぶらいふ」欄にて「濡木痴夢男の猥褻快楽遺書」を連載し、縄を通して知る人の性の奥深さと持つべき畏怖を伝えて下さいました。雑誌「S&Mスナイパー」の頃から数えると(当時は同欄にて「濡木緊縛日記」を連載)、およそ10年間、ご執筆を頂きました。
「私たちの心構えとして、一人の人間を、パターンとして見、理解してはいけないのです。SMマニアの性情が、どんなに似ていようと、全く同じに見えようと、類型化してみてはいけないのです」
初めて長くお話を伺った際、SМ雑誌編集者としてこのようにご鞭撻を頂いたことは、忘れません。個人的な感慨になりますが、私にとってこの10年が濡木先生に教えて頂いたことを噛みしめる10年であったことは間違いなく、感謝の念に堪えないのと同時に、今後もまた考え続けることになるのだと、改めて身が引き締まる思いでおります。
濡木先生、お世話になりました。まだまだ教えて頂きたいことがたくさんあり、残念ですが、安らかにご永眠されますようお祈り致します。
尚、葬儀はご近親の方々にて9月12日に滞りなく済まされたとのことです。また故人の遺志により、当訃報及び過去の膨大な仕事に関する窓口は「風俗資料館」になったとの由。以下に公式サイトのリンク先を示させていただきます。
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濡木痴夢男のおしゃべり芝居
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「私たちの心構えとして、一人の人間を、パターンとして見、理解してはいけないのです。SMマニアの性情が、どんなに似ていようと、全く同じに見えようと、類型化してみてはいけないのです」
初めて長くお話を伺った際、SМ雑誌編集者としてこのようにご鞭撻を頂いたことは、忘れません。個人的な感慨になりますが、私にとってこの10年が濡木先生に教えて頂いたことを噛みしめる10年であったことは間違いなく、感謝の念に堪えないのと同時に、今後もまた考え続けることになるのだと、改めて身が引き締まる思いでおります。
濡木先生、お世話になりました。まだまだ教えて頂きたいことがたくさんあり、残念ですが、安らかにご永眠されますようお祈り致します。
尚、葬儀はご近親の方々にて9月12日に滞りなく済まされたとのことです。また故人の遺志により、当訃報及び過去の膨大な仕事に関する窓口は「風俗資料館」になったとの由。以下に公式サイトのリンク先を示させていただきます。
WEBスナイパー編集部 井上文
濡木痴夢男の猥褻快楽遺書
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緊縛美研究会『濡木痴夢男の秘蔵緊縛コレクション"悲願"』
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13.10.04更新 |
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