第八回文学フリマ サークルカタログ
■文学フリマとは
さる2009年5月10日に文学フリマが開催された。第1回が2002年11月、毎年1回開催で既に8回目である(特別版を入れると合計10回目となる)。
文学フリマは自作の本の即売会で、名前のとおり売るものが文学に限られている。改めて「文学」というと固そうだが、自分が文学だと思うならば、詩、小説、評論、エッセイ集のどれでもいいし、本格的に印刷した本でも、ステープラーで留めただけのコピー紙でも売っていい。もともと「文学は売れない」という問題提起から始まったイベントなので、文学を売るということに自覚的なら特に厳格な規定はないようだ。出展者側も来場者側も年齢層は10代から50代まで幅広く、男女比では男性が多め。場所は青山ブックセンター、秋葉原庁舎ときて、今回は大田区産業プラザPiOという広めの会場に移った。ほぼ毎回通っているが、見渡す限りホールデン・コールフィールドみたいとかなんとか言われてご機嫌になるようなタイプが集っている。
いきなり話がそれるが、この5日前にコミティアというオリジナル漫画の即売会が東京ビッグサイトであったのだけども、寝過ごしたせいで気になったものはほとんど売切れてしまっていた。その反省から文学フリマは前日寝ずに向かい、開場と同時に入場したものの、2周ほどしたあと眠くなり1時間程度で早々に帰宅してしまった(もともと体調も悪かった)。そのため帰ってから改めてパンフレットを見ると「買えばよかった」と後悔するようなものがチラホラあった。どんなイベントも100%満足したことがない。
■規模の優位性
さて文学フリマも歴史を重ねてきたことで、他のイベントにはない独自の存在感を発してきている。どこまで意図しているのか分からないが、出展サークル数が300ほどという規模は絶妙である。これは比較すると分かる。すべておおよその数だが、日本最大の即売会である「コミックマーケット」の3日間で3万5000、コミックシティの1日で14000というのを別格として、先の「コミティア」は1日で3000。東方オンリー即売会「博麗神社例大祭」も1日で3000。模型やフィギュア中心の「ワンダーフェスティバル」は1800。絵画や美術などアートの祭典こと「GEISAI」は1日で800、音楽オンリーの「M3」は450。などなど。
これらと並べると文学フリマはかなり小規模に見える。しかし現状はかなりバランスがいいと思う。なぜならすべての本の中身を見る(not 読む)ことが可能な数だからだ。文学フリマには見本誌コーナーが設置されている。ここに300冊あるとして、1冊30秒かけたら2時間半。1冊15秒なら1時間15分。それくらいならやろうと思えば目を通せそうではないだろうか。「15秒見ただけで良い悪いを判断可能か」と問われれば「NO」だけども、「15秒見て買うか買わないかを決められるか」なら「YES」である。テレビCMと同じようなものだ。
イベントというものは、大規模になるにつれすべてに目を通すことは不可能になり、ついつい見知った有名な出展者の方に目がいってしまいがちである。こうなると無名な出展者には相対的に人が集まらない。自主制作でしかできない「誰に届くか分からない端っこのもの」が目に入りにくくなってしまうのでは、場としていまいち面白くない。その点、今の文学フリマはメジャー/マイナーの差はまだ小さい。メジャーなものを買った後に、さて他に何かないかな、というのが容易である。この点だけとっても、文学フリマは現在形で面白い場だと言っていいだろう。
他にも、あまり大きなイベントは気が引けるという人にとっても、これくらいの小規模なイベントなら気軽に足を運べそう、参加できそう、という向きもある。公式パンフに掲載されたアンケート結果によれば、こうした即売会に来るのは文学フリマが初めて/文学フリマ以外行ったことがない、という人がそれなりにいるようだ。即売会という新しい体験の入口の役割を担ってきている感がある。ただ、地理の魅力は、蒲田よりも以前までの秋葉原の方が、(秋葉原での)買い物ついでに立ち寄れる偶然性があってよかったと思う(もちろん秋葉原の時は参加者が増えすぎて満足に歩く余裕すらなくなっており、仕方がないのだった)。
■購入したものなど
前置きはこれくらいにしておく。写真を撮らなかったので会場の様子を十分に伝えることができないが、以前より通路も広く、ゆったりとした気分で回れた。どのような本が売られているのかを、順不同で一部紹介する。ただし評論ばかりである(小説をチェックする前にどうしても眠くなり帰ってしまったため)。?円になっているものは値段を忘れたもの。他にも購入しているが省略した。
『5M』vol.02
『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』シリーズで知られる入間人間のインタビューを巻頭に据えたライトノベル特集。2009年新人賞受賞作品全レビューなど手間が掛かっており、内容も面白い。ただ「作家の値打ち@ライトノベル」と題した点数表は、採点者の好みや性格が分からない読者にとってあまり役に立たない。「個人的には」と言われても、というものである。0点と100点(もしくは50点)の判断の規準となる作品を各々先に示してもらいたかったと思う。その他、『うみねこのなく頃に』『けいおん!』『少女マテリアル』などを引き合いに出した論考があり、オタク寄りの現代文化を別の観点から捉える、というスタンスであるようだ。
『Twitter本』
Twitterのユーザが集まり、Twitterのような本を作ろうと企画されたらしい一冊。次々と話題が流れていくサービスなので次々と話題が流れる本かと思ったが、編纂者は「たくさんの話題に興味を持つことができる」とポジティブに捉えているようで、さまざまな人達が雑多なテキストを脈絡なく書く様子はなるほどコンセプトと一致している。この本のおかげで「痛ンブラー」という何の役にも立たない単語を知り、非常に有意義な気持ちになった。永田希「ヴィジュアル系とは何か(序論)」はヴィジュアル系と呼ばれる音楽ジャンルに、『テヅカ・イズ・デッド』の「キャラ/キャラクター」の概念を持ち込んで解読していくもので、一番興味深かった。
『漫画をめくる冒険』下巻
昨年、上巻がきっかけとなって『ユリイカ』誌で漫画特集が組まれたほど話題になったものの完結版。四方田犬彦『漫画言論』(1994年)や『別冊宝島EX マンガの読み方』(1995年)などの漫画表現論をきっかけとした一連の流れの最先端でありつつ、漫画以外のメディア全般に応用できる視点の引き方が特徴。当り前のようなことを当り前のように書くことが、どれだけ当り前でないかが認識できる。夏目房之介との対談や、さやわかによる解説なども収録。
『アラザル』vol.2
佐々木敦主宰「批評家養成ギブス」の生徒達が集まった批評同人誌。Vol.1は正直物足りなかったが、今回は劇的な進歩が見られた。複雑系数学の研究職という経歴を持つ小説家・円城塔へのインタビューや、批評家としての大谷能生の経歴を追うインタビューもあるが、フランス文学からじゃがたらまで幅広く批評の軸を取る陣野俊史に、ケータイ小説やヒップホップの歌詞の翻訳について聞くインタビューが良い。評論では杉森大輔「おととことばのあわいに」がデメトリオ・ストラトスを強調しすぎているのが気になった。パティ・ウォーターズやアネット・ピーコックらの発狂系、ホアン・ラ・バルバラやタミアのような現代音楽系の流れを踏まえないまま声の拡張について語っているように読める。
『エロ本のモノクロページ』
エロ本にかつて存在した情報ページの感覚を再現、ということだと思われるタイトルが郷愁を誘う。肩肘張らないテキストの軽さが良い。ゲスト寄稿は安田理央、ビーバップ・みのる。
『F』4号
特集は「ゼロ年代の小説」で、表紙に並ぶ岡田利規、伊坂幸太郎、米澤穂信、長嶋有、西尾維新、舞城王太郎、桜庭一樹などを論じた文化研究誌。評論とジャンル10選のカップリングになっている。まだ読んでいない小説について書かれていたので途中で読むのを止めてしまった。
『POST』vol.1
前出『F』の関係らしい。「90年代を、総括する」というキャッチコピーに惹かれて購入した。批評・小説・マンガ・音楽については「90年代を知るためのXX10選」というアイテム10選が掲載されており、編纂者の好みが分かって良い。ちょうど90年代についての原稿を書いていたので資料の一つにしようと思う。ただ、90年代の小説について論じた中で、『別冊文藝 90年代J文学マップ』について「お笑い芸人までマッピングされている(山田花子もJ文学なのだ)」とあるが、普通に考えれば自殺した漫画家の山田花子のような気がするのだがどうだろう。
『無重力』vol.1
向井千恵インタビューに興味を惹かれて買ったが、それよりも収録されていた「楳図かずお「漂流教室」論」が異様な光を放っていた。漂流教室について書かれているのは全体の1/4程度で、あとはベトナムに住んでる兄の家族が日本にやってきた個人的な体験の話が書かれており、思わずタイトルを読み返してしまった。やったもの勝ちのような原稿であった。
『少女と少年と大人のための漫画読本2008-2009』
『このマンガがすごい!』『このマンガを読め!』といった漫画ガイド本とは別の視座を取り、沢山の人が2008年を中心に面白かった漫画を紹介しあう漫画ガイド本。自分も寄稿しているので詳細は略す。
『東大批評』創刊号
「筑波批評」という筑波大学の生徒による評論誌があるが、それと同様に東大生による評論同人誌。冒頭の「批評の〈場〉としての雑誌について」から始まる前半パートは、行為としての批評ではなく、場(マップ/コミュニティ)としての批評について注力しており、宇野常寛の影響力を改めて感じた。『カラマーゾフの兄弟』論からの後半が良い。しかし一番コンテンツとして面白いのは東大の石田英敬学環長インタビューだと思う。さすが先生というか、良いことを言っている。
『Critique As "Readymade"』
クレメント・グリーンバーグの評論をゼロ年代文化に応用した評論が2つ掲載された無料冊子。カワムラケンの評論にある「現象としてのゼロアカはさておき、結局のところゼロアカが生み出して来た個々の作品はクズではないのか?」という問いかけに非常に興味を惹かれたものの、昨今のニコニコ動画批評に見られる「“個々の作品”という状況設定の無効化」と「作家性の受動的な在り方」をゼロアカに応用したもので、作品の価値そのものを無効化、つまり最初の問いかけ自体を無効化するアクロバティックな論の進め方だった。
『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!徹底解析』
今回買った中で一番よかったのはこの冊子。2007年に放映されたアニメ「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」について、作品概論、物語紹介、人物解説などで語りつくした一冊。著者が一番推したい部分は「登場人物の小鳥桃葉が作品の黒幕である」という説にあると思うが、それよりもそこに至るまでの言葉の尽くし方が、昨今見られないほど愛情のある文章だった。対象について語る際に必ずしも愛情は必要ではないし、邪魔になることさえあると思うが、これはいい方向に作用している。久しぶりに作品と向き合ったテキストを読めて満足度が高い。誰もが「もう終わった」と思っている時間の経った作品について、未だ終わっていない人の言葉に興味がわかないだろうか?
■非まとめ
冒頭に書いたとおり開場から一時間で帰ってしまったため、会場で何か面白いことが起きていたとしても気付かなかった可能性が高く、また見逃した面白い本があっただろうことは想像に難くない。まとめられる立場にないため、とりあえずの報告である。Twitterで連絡を取りながら歩いてる人を見かけたが、ネットとの親和性の高さはもはや即売会にとって特別なことではないのだろうと思う。QRコードを使った実験を行っているサークルもあったが、歩き回る体力がなかったため断念した。
ワタシは別に「文学フリマが今面白い!次回は会場で会おう!」というようなことを呼びかけたりはしない。実際のところ、こういった即売会の面白さは、運営側が与えてくれるものではなく、自分が発見しないといけないものだ。貴方が本当は何に興味があるのかは誰も知らないし、誰も貴方のために最適な解答を用意してはくれない。貴方を楽しませようとあの手この手で忍び込んでくる大手メジャー作品で満足なら、別にわざわざ足を運ぶ場ではない。それとは違った楽しさがあると思っている人が集まる場であって、出展者も参加者も、自ら楽しもうと思っている。必要なのはほんの少しの能動性である。
関連記事
The text for reappraising a certain editor.
ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界
【1】>>>【2】>>> 【3】>>>【4】>>> 【5】>>>【6】>>> 【7】>>>【8】>>> 【9】>>>【10】>>>【11】>>>【12】>>>【13】>>>【14】>>>【15】>>>【16】>>>【17】>>>【18】>>>【19】>>>【20】>>>【21】>>>【22】>>>【23】>>>【24】>>>【25】>>>【26】>>>【27】>>>【28】>>>【29】>>>【30】>>>【31】>>>【32】>>>【33】>>>【34】>>>【35】>>>【36】>>>【37】>>>【38】>>>【39】>>>【40】>>>【41】>>>【42】>>>【43】>>>【44】>>>【45】>>>【46】>>>【47】>>>【48】>>>【49】>>>【50】>>>【51】>>>【52】>>>【53】>>>【54】>>>【55】
■文学フリマとは
さる2009年5月10日に文学フリマが開催された。第1回が2002年11月、毎年1回開催で既に8回目である(特別版を入れると合計10回目となる)。
文学フリマは自作の本の即売会で、名前のとおり売るものが文学に限られている。改めて「文学」というと固そうだが、自分が文学だと思うならば、詩、小説、評論、エッセイ集のどれでもいいし、本格的に印刷した本でも、ステープラーで留めただけのコピー紙でも売っていい。もともと「文学は売れない」という問題提起から始まったイベントなので、文学を売るということに自覚的なら特に厳格な規定はないようだ。出展者側も来場者側も年齢層は10代から50代まで幅広く、男女比では男性が多め。場所は青山ブックセンター、秋葉原庁舎ときて、今回は大田区産業プラザPiOという広めの会場に移った。ほぼ毎回通っているが、見渡す限りホールデン・コールフィールドみたいとかなんとか言われてご機嫌になるようなタイプが集っている。
いきなり話がそれるが、この5日前にコミティアというオリジナル漫画の即売会が東京ビッグサイトであったのだけども、寝過ごしたせいで気になったものはほとんど売切れてしまっていた。その反省から文学フリマは前日寝ずに向かい、開場と同時に入場したものの、2周ほどしたあと眠くなり1時間程度で早々に帰宅してしまった(もともと体調も悪かった)。そのため帰ってから改めてパンフレットを見ると「買えばよかった」と後悔するようなものがチラホラあった。どんなイベントも100%満足したことがない。
■規模の優位性
さて文学フリマも歴史を重ねてきたことで、他のイベントにはない独自の存在感を発してきている。どこまで意図しているのか分からないが、出展サークル数が300ほどという規模は絶妙である。これは比較すると分かる。すべておおよその数だが、日本最大の即売会である「コミックマーケット」の3日間で3万5000、コミックシティの1日で14000というのを別格として、先の「コミティア」は1日で3000。東方オンリー即売会「博麗神社例大祭」も1日で3000。模型やフィギュア中心の「ワンダーフェスティバル」は1800。絵画や美術などアートの祭典こと「GEISAI」は1日で800、音楽オンリーの「M3」は450。などなど。
これらと並べると文学フリマはかなり小規模に見える。しかし現状はかなりバランスがいいと思う。なぜならすべての本の中身を見る(not 読む)ことが可能な数だからだ。文学フリマには見本誌コーナーが設置されている。ここに300冊あるとして、1冊30秒かけたら2時間半。1冊15秒なら1時間15分。それくらいならやろうと思えば目を通せそうではないだろうか。「15秒見ただけで良い悪いを判断可能か」と問われれば「NO」だけども、「15秒見て買うか買わないかを決められるか」なら「YES」である。テレビCMと同じようなものだ。
イベントというものは、大規模になるにつれすべてに目を通すことは不可能になり、ついつい見知った有名な出展者の方に目がいってしまいがちである。こうなると無名な出展者には相対的に人が集まらない。自主制作でしかできない「誰に届くか分からない端っこのもの」が目に入りにくくなってしまうのでは、場としていまいち面白くない。その点、今の文学フリマはメジャー/マイナーの差はまだ小さい。メジャーなものを買った後に、さて他に何かないかな、というのが容易である。この点だけとっても、文学フリマは現在形で面白い場だと言っていいだろう。
他にも、あまり大きなイベントは気が引けるという人にとっても、これくらいの小規模なイベントなら気軽に足を運べそう、参加できそう、という向きもある。公式パンフに掲載されたアンケート結果によれば、こうした即売会に来るのは文学フリマが初めて/文学フリマ以外行ったことがない、という人がそれなりにいるようだ。即売会という新しい体験の入口の役割を担ってきている感がある。ただ、地理の魅力は、蒲田よりも以前までの秋葉原の方が、(秋葉原での)買い物ついでに立ち寄れる偶然性があってよかったと思う(もちろん秋葉原の時は参加者が増えすぎて満足に歩く余裕すらなくなっており、仕方がないのだった)。
■購入したものなど
前置きはこれくらいにしておく。写真を撮らなかったので会場の様子を十分に伝えることができないが、以前より通路も広く、ゆったりとした気分で回れた。どのような本が売られているのかを、順不同で一部紹介する。ただし評論ばかりである(小説をチェックする前にどうしても眠くなり帰ってしまったため)。?円になっているものは値段を忘れたもの。他にも購入しているが省略した。
『5M』vol.02 (サークルファイブエム/500円) |
『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』シリーズで知られる入間人間のインタビューを巻頭に据えたライトノベル特集。2009年新人賞受賞作品全レビューなど手間が掛かっており、内容も面白い。ただ「作家の値打ち@ライトノベル」と題した点数表は、採点者の好みや性格が分からない読者にとってあまり役に立たない。「個人的には」と言われても、というものである。0点と100点(もしくは50点)の判断の規準となる作品を各々先に示してもらいたかったと思う。その他、『うみねこのなく頃に』『けいおん!』『少女マテリアル』などを引き合いに出した論考があり、オタク寄りの現代文化を別の観点から捉える、というスタンスであるようだ。
『Twitter本』 (シノハラユウキand夏目陽/500円) |
Twitterのユーザが集まり、Twitterのような本を作ろうと企画されたらしい一冊。次々と話題が流れていくサービスなので次々と話題が流れる本かと思ったが、編纂者は「たくさんの話題に興味を持つことができる」とポジティブに捉えているようで、さまざまな人達が雑多なテキストを脈絡なく書く様子はなるほどコンセプトと一致している。この本のおかげで「痛ンブラー」という何の役にも立たない単語を知り、非常に有意義な気持ちになった。永田希「ヴィジュアル系とは何か(序論)」はヴィジュアル系と呼ばれる音楽ジャンルに、『テヅカ・イズ・デッド』の「キャラ/キャラクター」の概念を持ち込んで解読していくもので、一番興味深かった。
『漫画をめくる冒険』下巻 (ピアノ・ファイア・パブリッシング/1500円) |
昨年、上巻がきっかけとなって『ユリイカ』誌で漫画特集が組まれたほど話題になったものの完結版。四方田犬彦『漫画言論』(1994年)や『別冊宝島EX マンガの読み方』(1995年)などの漫画表現論をきっかけとした一連の流れの最先端でありつつ、漫画以外のメディア全般に応用できる視点の引き方が特徴。当り前のようなことを当り前のように書くことが、どれだけ当り前でないかが認識できる。夏目房之介との対談や、さやわかによる解説なども収録。
『アラザル』vol.2 (アラザル編集部/1000円) |
佐々木敦主宰「批評家養成ギブス」の生徒達が集まった批評同人誌。Vol.1は正直物足りなかったが、今回は劇的な進歩が見られた。複雑系数学の研究職という経歴を持つ小説家・円城塔へのインタビューや、批評家としての大谷能生の経歴を追うインタビューもあるが、フランス文学からじゃがたらまで幅広く批評の軸を取る陣野俊史に、ケータイ小説やヒップホップの歌詞の翻訳について聞くインタビューが良い。評論では杉森大輔「おととことばのあわいに」がデメトリオ・ストラトスを強調しすぎているのが気になった。パティ・ウォーターズやアネット・ピーコックらの発狂系、ホアン・ラ・バルバラやタミアのような現代音楽系の流れを踏まえないまま声の拡張について語っているように読める。
『エロ本のモノクロページ』 (大坪ケムタ,鶴岡法斎/100円) |
エロ本にかつて存在した情報ページの感覚を再現、ということだと思われるタイトルが郷愁を誘う。肩肘張らないテキストの軽さが良い。ゲスト寄稿は安田理央、ビーバップ・みのる。
『F』4号 (『F』編集委員会/?円) |
特集は「ゼロ年代の小説」で、表紙に並ぶ岡田利規、伊坂幸太郎、米澤穂信、長嶋有、西尾維新、舞城王太郎、桜庭一樹などを論じた文化研究誌。評論とジャンル10選のカップリングになっている。まだ読んでいない小説について書かれていたので途中で読むのを止めてしまった。
『POST』vol.1 (LETTERS/500円) |
前出『F』の関係らしい。「90年代を、総括する」というキャッチコピーに惹かれて購入した。批評・小説・マンガ・音楽については「90年代を知るためのXX10選」というアイテム10選が掲載されており、編纂者の好みが分かって良い。ちょうど90年代についての原稿を書いていたので資料の一つにしようと思う。ただ、90年代の小説について論じた中で、『別冊文藝 90年代J文学マップ』について「お笑い芸人までマッピングされている(山田花子もJ文学なのだ)」とあるが、普通に考えれば自殺した漫画家の山田花子のような気がするのだがどうだろう。
『無重力』vol.1 (野田光太郎/?円) |
向井千恵インタビューに興味を惹かれて買ったが、それよりも収録されていた「楳図かずお「漂流教室」論」が異様な光を放っていた。漂流教室について書かれているのは全体の1/4程度で、あとはベトナムに住んでる兄の家族が日本にやってきた個人的な体験の話が書かれており、思わずタイトルを読み返してしまった。やったもの勝ちのような原稿であった。
『少女と少年と大人のための漫画読本2008-2009』 (野中モモ編/600円) |
『このマンガがすごい!』『このマンガを読め!』といった漫画ガイド本とは別の視座を取り、沢山の人が2008年を中心に面白かった漫画を紹介しあう漫画ガイド本。自分も寄稿しているので詳細は略す。
『東大批評』創刊号 (東大批評/600円) |
「筑波批評」という筑波大学の生徒による評論誌があるが、それと同様に東大生による評論同人誌。冒頭の「批評の〈場〉としての雑誌について」から始まる前半パートは、行為としての批評ではなく、場(マップ/コミュニティ)としての批評について注力しており、宇野常寛の影響力を改めて感じた。『カラマーゾフの兄弟』論からの後半が良い。しかし一番コンテンツとして面白いのは東大の石田英敬学環長インタビューだと思う。さすが先生というか、良いことを言っている。
『Critique As "Readymade"』 (峰尾俊彦×カワムラケン/無料) |
クレメント・グリーンバーグの評論をゼロ年代文化に応用した評論が2つ掲載された無料冊子。カワムラケンの評論にある「現象としてのゼロアカはさておき、結局のところゼロアカが生み出して来た個々の作品はクズではないのか?」という問いかけに非常に興味を惹かれたものの、昨今のニコニコ動画批評に見られる「“個々の作品”という状況設定の無効化」と「作家性の受動的な在り方」をゼロアカに応用したもので、作品の価値そのものを無効化、つまり最初の問いかけ自体を無効化するアクロバティックな論の進め方だった。
『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!徹底解析』 (ノンポリ天皇/50円?) |
今回買った中で一番よかったのはこの冊子。2007年に放映されたアニメ「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」について、作品概論、物語紹介、人物解説などで語りつくした一冊。著者が一番推したい部分は「登場人物の小鳥桃葉が作品の黒幕である」という説にあると思うが、それよりもそこに至るまでの言葉の尽くし方が、昨今見られないほど愛情のある文章だった。対象について語る際に必ずしも愛情は必要ではないし、邪魔になることさえあると思うが、これはいい方向に作用している。久しぶりに作品と向き合ったテキストを読めて満足度が高い。誰もが「もう終わった」と思っている時間の経った作品について、未だ終わっていない人の言葉に興味がわかないだろうか?
■非まとめ
冒頭に書いたとおり開場から一時間で帰ってしまったため、会場で何か面白いことが起きていたとしても気付かなかった可能性が高く、また見逃した面白い本があっただろうことは想像に難くない。まとめられる立場にないため、とりあえずの報告である。Twitterで連絡を取りながら歩いてる人を見かけたが、ネットとの親和性の高さはもはや即売会にとって特別なことではないのだろうと思う。QRコードを使った実験を行っているサークルもあったが、歩き回る体力がなかったため断念した。
ワタシは別に「文学フリマが今面白い!次回は会場で会おう!」というようなことを呼びかけたりはしない。実際のところ、こういった即売会の面白さは、運営側が与えてくれるものではなく、自分が発見しないといけないものだ。貴方が本当は何に興味があるのかは誰も知らないし、誰も貴方のために最適な解答を用意してはくれない。貴方を楽しませようとあの手この手で忍び込んでくる大手メジャー作品で満足なら、別にわざわざ足を運ぶ場ではない。それとは違った楽しさがあると思っている人が集まる場であって、出展者も参加者も、自ら楽しもうと思っている。必要なのはほんの少しの能動性である。
文=ばるぼら
関連記事
The text for reappraising a certain editor.
ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界
【1】>>>【2】>>> 【3】>>>【4】>>> 【5】>>>【6】>>> 【7】>>>【8】>>> 【9】>>>【10】>>>【11】>>>【12】>>>【13】>>>【14】>>>【15】>>>【16】>>>【17】>>>【18】>>>【19】>>>【20】>>>【21】>>>【22】>>>【23】>>>【24】>>>【25】>>>【26】>>>【27】>>>【28】>>>【29】>>>【30】>>>【31】>>>【32】>>>【33】>>>【34】>>>【35】>>>【36】>>>【37】>>>【38】>>>【39】>>>【40】>>>【41】>>>【42】>>>【43】>>>【44】>>>【45】>>>【46】>>>【47】>>>【48】>>>【49】>>>【50】>>>【51】>>>【52】>>>【53】>>>【54】>>>【55】
ばるぼら ネッ
トワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのイ
ンターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミ
ニコミを制作中。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/ |