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the toriatamachan season4
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実――。女子のリアルを見つめるシリーズ連載、シーズン4は「日常」にまつわるアレコレです。カメラマンの男性も偶然、ほかの媒体で何度か撮影してもらったことがあったので、顔を合わせた瞬間安心した。長く仕事を続けてきてよかったと思うのは、こういう時だ。顔見知りになると、これまで知らなかった親戚を認識した時のように居心地がよくなる。業界は狭くて、時々ひとつの村みたいだと思う。人間関係を固めていくのは老成していくようで不安もあるけど、やっぱり安心でもある。
「しかしKさんって、評判悪いですよねー。僕は面識ないんですけど、実際どうなんですか?」
「ああ」
あの人ね、と、思わず私は椅子の上で前のめりになった。金に汚く、男には偉そうで、女にはすぐ手を出そうとする中年の男性作家。歳のせいで視力が悪いのか、喋る時の距離がやたらと近く、目をぎっと見開いてくるので気味が悪い。男性の編集者や、若い女性作家からの愚痴は散々耳にするし、私自身も笑い話程度の被害を被っていたので、面白い話ならいくらでもあった。
しかし、どのエピソードも私の口からは出てこなかった。
「まあ、変わった人ですよ」
それだけ言って、私は口を噤んだ。アイスティーの入ったグラスがテーブルの上で結露していて、抜け殻になったストローの包装紙を濡らしていた。その奥で録音中のテープレコーダーがライトを点滅させている。このインタビューの文字起こしは誰がするんだろう。いつかアルバイトを雇っていると聞いたことがある気がする。時間のある主婦や学生にインターネットで安く依頼できるとかなんとか。顔も知らない人に悪口を聞かれて、さらにその人が面白がって他人に話すところを想像したら、一瞬心臓が激しく脈打って全身が冷んやりした。
私が当たり障りない回答をしたところで雑談のさざ波は途絶えて、私たちは喫茶店の外へ出た。クリスマス付近の空はくすんでいて、数日後にはお正月に向けて晴れ渡っていくなんて全く信じられない。軽く一礼して、両手を振ると、「よいお年を」と言って笑顔で彼らと別れた。背を向けた瞬間、どうしてさっき自分が口を噤んだのか考える。数年前だったら間違いなく冗談混じりで噂を話し合い、嫌な感じで笑いながらみんなで居酒屋に流れ込んだだろう。忘年会にかこつけて。
大通り沿いのガード下に差し掛かって、横目で解体中の居酒屋を確認する。電気がつかなくなったプラスチック板の看板が少し割れていた。ほつれた座敷と、カタコトの接客。「こまめに呼びつけるなよ」とばかりに最初から大盛りで置かれる焼き鳥とビールの大瓶。ほとんど焼酎でいっぱいになったホッピーセットのジョッキ。騒がしくなる分には構わないみたいで、集団客が酔っ払って大声を出しても、店員同士で無駄話をしていた。みんなで大声で笑っていた頃。少し前に街の再開発で閉店して、すでに空っぽになった店内は壁も床もコンクリートが剥き出しになっていた。あまり感傷的にならないように、マフラーに顔を埋めてまっすぐタクシー乗り場まで歩みを速める。駅前が再開発のために整理されてから、タクシー乗り場ができたので、道端でタクシーを拾えなくなった。
どんなことでも時間が経てば変わっていく。いつでも良いことのように見せかけて。でも、少なくとも、私にとっては良いようになっていないことがわかる。
目的の駅に着くとタクシー乗り場の行列がこちらをちらちらと見て、私が降車する様子を窺っていた。ここの駅はタクシー乗り場がある割に、いつも乗客とタクシーの数が釣り合っていない。高級住宅街だから、この辺に住んでいる人たちはみんな自分の自動車に乗っているんだろう。駅前には大きなクリスマスツリーが設置されていて、イルミネーションで露骨に輝いていた。そしてその下で彼が待っている。待たせてごめんと駆け寄ると、作家先生じゃないですかと彼は冷やかして笑った。
「もう、本出したくらいで急に作家になるわけじゃないの、知ってるでしょう」
20以上も年の離れた彼は、私が生まれる前から物書きの仕事をしている。大御所っぽくて周囲からは怖がられているけれど、本当はずっと可愛らしい人だ。ジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま肘で私を突つくと、促されるようにふたり並んでイルミネーションの道を歩き始めた。
昔の恋人はいい。常に溢れていた嫉妬心や猜疑心は溶けてなくなって、安心感だけが残っている。なんでも話せるし、お互いに好きな食べ物も知っている。たとえばいま目の前のテーブルに並んでいるものの中に、彼が頼んだ私の好きな紅芯大根のサラダと、私が頼んだ彼の好きな赤ワインがある。彼は私を本名で呼ぶ。彼に本名で呼ばれると心を撫でられているようで嬉しい。無理に距離を詰めようとして本名で呼んでくる仕事相手はだいきらい。
彼はさっきから自分の息子について困った話をしている。
「あいつアダルトグッズをネット通販で頼んでてさ。もう中学生だしいいかなとも思うんだけど、まあ母親の手前叱ったよ」
「自分だって同じようなもんなのに、どんな顔で叱ったの?」
「いや、ほら、もっと苦労して手に入れないと意味ないだろうとか」
「仕方ないでしょう。エロ本だってその辺りに捨てられてないような時代なんだから」
私が笑うと、まあそうなんだけどとバツが悪そうにする。その表情を心から可愛いと思う。昔よりももっと純粋に。すっかり50絡みになった彼は可愛いと言われたら照れて怒るだろう。年上を捕まえて可愛いとかいうんじゃない。想像すると顔がほころんだ。彼は運ばれてきた自分のデザートを半分、私のお皿に取り分ける。甘いものはあまり得意でないのだ。親しげに取り分けている彼を見ていたら、不意に誰かに見られているような気がして周りを見渡した。テーブルの裏側にテープレコーダーが貼り付けられているような気がして、手の平でそっと確認する。クロスの奥にあるテーブルの裏側はつやつやしていた。
「甘いものをたくさん食べられるなんて若い証拠だよ」
「えっ?」
「まあもうお前もそろそろアラサーだな」
「まだもう少しアラサーじゃないですー」
口を尖らせて言い返しながら急いでスプーンに手を戻す。テープレコーダーは貼られていなかった。でも今日の会話を彼が全て録音していて、それをインターネットに公開されたらどうだろう。自分のプライベートな部分が社会に流れ出ていくのを想像すると胃のあたりが重たくなった。
「あれ、とうとう甘いものが食べれなくなったか」
「お腹いっぱいなだけ。別に年のせいじゃないからね」
冗談を言い合いながら、すぐに彼の手をとって甘えたくなったけれど、もうそういう関係ではないし、誰かに見られていたらどうしようと思うと億劫でもあった。待ち合わせの時に彼の肘が触れた瞬間、隣で並んで歩いていたところ、誰かに見られていなかっただろうか。いや、見られていたからといってなんなのか。そう思い直しても、胸のわだかまりは溶けなかった。
「ねえ、本とか出すとさ、自分の素行とか気になったりする?」
「別に俺は気にならないけど。お前はあれだな、作家名と本名が違うから気になるのかもな」
まああんまりそういうの気にするなよと言いながら、タクシーに乗り込むところまで見送ってくれた。彼がいると不思議とタクシーもタイミングよく捕まる。いつか、この人に甘えていれば何もかもうまくいくような気がしていた日々があった。もうあまり思い出せないけど。
自宅の住所を告げて、後部座席に体を埋めると、これで家に帰れる安心感に満たされた。どこにいても乗れば家まで帰れるのだからタクシーは頼もしい。バックミラーに映る車がまばらだったので、自宅まで遠回りしてもらうようにお願いする。デート先で私を見ていた人を撒けていない感じがした。もうすぐ前に出した本の印税も入ってくるし、タクシー代で危険な目に遭う可能性が減るなら、よっぽどいい。毎日でも遠回りして帰る。でも、もし私が会社員になっていたら、こんなことをする必要もなかったのだろうか。もちろんいまさらそんなこと考えたって、現に会社員になっていないのだから仕方がない。自分の感じたことを文章に変えて稼ぐ。私の知らない人たちが私のことを知っている。どこで見られているかわからないからタクシーに乗る。別にいいと思う。でもそれはそうとして、私はハイリスクハイリターンな生活をいつ望んだだろうか。
窓の外に意識を戻す。車のテールランプが流れていく。何も望んでいないし、望んだこともないし、望んでいたって人生は思い通りになんかならない。なっちゃったんだから仕方ないと自分に言い聞かせても心は重たいままで、自分が傲慢な弱い人間のようで嫌な気持ちがした。
マンションのエントランスを抜けると、集合ポストの上になぜかトランシーバーが置かれていてぎょっとする。きっと子供のおもちゃかなにかだろう。別に私のために置かれているわけじゃないと思い直して、足早にエレベーターに乗り込んだ。誰か不審な人が乗ってきたらすぐ降りられるように、全階のボタンを押す準備をしておく。階数を表示しているモニターの上に、ボタンの近くに手をかざしている私のまぬけな姿が映っている。だいたいあそこには住人全員のポストが並んでいるのだし、トランシーバーがあったところで私が何か喋りながら郵便を受け取ることはまずない。だから私のために置かれているわけじゃない。
玄関に鍵を差し込もうとしたら、誰かがしゃがんで待ち構えている気がして、思わず後ろを振り向く。自分の急な動きに自分で驚いて心臓が飛び上がりそうになった。その様子を横から笑われている気がして、平然とした顔で左右も確認する。誰もいなかったけれど、胸がざわついて、部屋に入って鍵を閉めるとようやく胸をなでおろした。いつも使っているアロマオイルの匂いがする。
ティーポットに茶葉を入れてお湯を沸かしながら、コンロの炎が動くのを見ていたらようやくぼうっとしてきた。今朝の取材がもう随分昔のことみたいだ。
誰かに尾けられているような感覚がしているのはいつからだろう。もうずっとのような気もする。誰と話していても録音されているような気がして、隣の部屋や席にいる人が耳をそばだてているような気がする。防犯カメラが私を待ち構えている気もする。私が世間にどう思われているかはわからないが、いろんな私が知らない人たちに想像されていることはわかる。私の文章やインタビューを読んだ人はそれぞれに印象を受ける。どこにでも変な読者はいて、中には私に何か理想を持っている人もいる。そして予想もつかないようなことで、私に対して失望している。この間のサイン会ではプレゼントボックスに変な手紙が入っていた。打ち上げの席で編集者が開封すると、汚い字で見知らぬ男のプロフィールが書かれていて、私と交際したい旨と免許証の写真が同封されていた。サイン会でも見覚えのない顔だった。これまで妙な妄想をしている人たちは、実際に接触してこないと思い込んでいたが、サイン会の時にすぐ近くまで来ていたのかと思うと寒気がした。もちろんよくわからない手紙を手渡されるのも怖いけど、プレゼントボックスにこっそり入れて帰るというのがまた気味悪い。他人と関わらないまま妄想に閉じこもっているせいで、思春期くらいで感覚が止まっているんだろう。向こうにとってみれば好きな女の子の下駄箱にラブレターを入れるような気持ちかもしれないが、他人が見ればもう中年の男性なわけで救いようがない。
彼に電話をかけようか悩んだが、もう自宅について奥さんと一緒にいるだろうし、通話を誰かに録音されていることを考えると、ますますどうしたらいいかわからなくなった。不意に視線を感じて換気扇を見上げる。じっと見ていると、中に誰かいるように見えて少し後ずさった。手を伸ばしてコンロの火を止めると、家中の電気とテレビも全部つけて、ソファの上で布団をかぶって背もたれに体を強く押し付ける。布団の中に誰も入ってこないように、顔だけ出して全身布団にくるまった。私が子供だった頃、雪国生まれの祖父が冷えないようによくこうしてくれた。いもむしと笑いながら。その祖父も数年前に亡くなった。どうしてこうなってしまったんだろう。何がいつからどう変わったのかわからないけど、私にとって良くないほうに変わっていることだけがわかる。目を瞑ると誰かが来る気がして、必死に目を見開いて賑やかなテレビを見つめていた。
文=姫乃たま
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