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the toriatamachan season4
女の子にとって、「美醜のヒエラルキー(それによって生まれる優劣)」は強大だ! 「酉年生まれゆえに鳥頭」だから大事なことでも三歩で忘れる(!?)地下アイドル・姫乃たまが、肌身で感じとらずにはいられない残酷な現実――。女子のリアルを見つめるシリーズ連載、シーズン4は「日常」にまつわるアレコレです。もし私たちが喧嘩したらきっと花束を持って謝りにきてね。いつか賑やかなレストランで彼と手を繋いで、ワインを飲みながら話した。ウェイターが忙しなく行き来するので、ぶつからないようにくっつき合って、私たちはどちらも幸せだった。そしてその時にはもう、怒っている私が彼を許さないであろうことを知っていた。怒った私の目に、花束が押し付けがましくてグロテスクな物体に映ることも。それ以前に、こどもみたいな口約束を彼が叶えるなんて信じていなかった。それなのに私は彼を許した。困った様子で花束を差し出した彼を見た瞬間、いとも簡単に。
「えっ、それなんで、逆さまにしてるの?」
スイッチの在り処を諦めた彼が、ギョッとした顔で近づいてくる。クリップで乱暴に挟まれた花束は、たしかに処刑されているみたいだった。
「ドライフラワーにするの。どうせすぐ枯れちゃうもの」
「へえ、ドライフラワーってこうやってするんだ」
彼はドライフラワーのつくり方と一緒に、プレゼントした花束がすぐこんな風に扱われることにも納得しているようだった。この人のこういう素直さにはいつも胸が締め付けられる。私がずるいことをしているような、単に相手にされていないような、どちらにせよ子供じみた気持ちになる。
「ねえ、東京に住んでるのにさ、東京にホテルを借りて、不倫中の恋人にプレゼントされた花束をすぐに干すなんて、大人になったなって思わない? だってどれもしなかったでしょう。子供の頃はさ」
意味もない言葉を勢いよく話して、私は自分で辟易してしまう。
「でもこの花は何も考えてないんだよ。それってすごいよね。なんか俺、花屋でびっくりしちゃったよ。それでもこんなきれいに咲いてるんだから」
「それはそうでしょう。女の子がリストカットに使ってるカッターだって、酔っ払いが喧嘩相手を刺すスナックのアイスピックだって、それ自体は何も考えてないよ。欲があるのは人間だけで」
吊るされた花束も、窓も、グラスも、物を言わなかった。攻撃的な私と平熱の彼だけが部屋の中で温度を持っていて、そうだよねと私を肯定する彼の言葉に、ひとりだけ置き去りにされたような気持ちがした。
すっかり明るくなった部屋で目を覚ますと、仰向けで眠っている彼の枕元に電気のスイッチを見つけた。なんだ、と思って、もう一度彼の左肩に顔を埋めると、ホテルの朝食間に合うかな、と寝ぼけた声が降ってくる。目を閉じたまま、私たちがそんなに早く起きられるわけないでしょ、と答えると、少し間があってから、たっぷり眠った人特有の呻き声と一緒に彼が寝返って時計を確認した。
「12時............間に合うかな」
間に合っているわけがない。見つめていたら時間が巻き戻るとでも言いたげに、時計を持ったまま動かなくなった彼を後ろから抱きしめる。
「おかゆ食べたい」
彼は寝起きの声が一番セクシーだと思う。少しだけ高くて、一日の中で一番落ち着いていて、甘えた感じがする。
「おかゆが食べたいのね」
「食べたい」
「......そう言われると私も食べたくなってきた」
ふたりとものそのそ起きだす。間近にしたいことが見つかると、どちらも行動が早いのだ。そもそも私たちの恋愛はそうやって始まった。出会い頭の事故みたいに衝突して、そのまま今日まで私たちはくっついている。
東京駅のお粥が食べられるお店まで30分くらい歩いてみようということになり、ホテルを出て、近くのコーヒースタンドでコーヒーをひとつずつと、店員の男の子に勧められたパンをひとつ買った。昼休み中の会社員や学生が、感じのいい店内で休んでいるのが見えて、今日が平日であることを知る。恋人も私も自由業なので、曜日感覚があまりない。
陽のあたる平らな道を歩き始めると、隣で彼がコーヒーと包装されたままのパンを両手に持って困っていた。貸してごらん、と口にした瞬間、不意に鬱陶しく思われたらどうしようという恐怖が込み上げてくる。
「あ、大丈夫大丈夫。ごめんごめん」
無意味に謝る彼を前にした時、この人の奥さんはどうしているのだろう。いちいち世話を焼いているんだろうか。それとも放っておいてるのか。もしくは、彼の行動が全てうまくいくようなコツを知っているのか、と考えたら、嫉妬心が瞬時に目を覚ましたので、慌てて平静を保とうとする。彼はまだ両手のコーヒーとパンを見比べて困惑していた。
「ほら、貸してごらん」
「あ、いやいやいや、大丈夫大丈夫だから」
さすがに、大丈夫じゃないでしょうと笑ってしまう。私の持ってるコーヒーと、彼が持っているパンを交換して、包みを開けてから手渡すと、ありがとうと言いながらパンにかじりついた。可愛い行動をしてくる彼が、そのまま素直に可愛いと思う。いま彼と一緒にいるのは私なのだ。少なくとも昨日の夜から、明日の朝までは。そう思うと途端に世界が素晴らしいものに見えた。冬のまっすぐな日差しと、広くて平らな道。コーヒーと澄んだ空気が混ざり合った匂い。彼が突然立ち止まる。
「そういえば、立ち止まらないと飲み物飲めないんだよね」
「えっ」
あまりに不器用だし、それを忘れていたことにも驚いて、ほとんど使命のように快適にしてあげなきゃと思う。彼の生活が全てうまくいくように。困っている時に解決して、あらゆるものから守れるように。パンを食べ終わった彼と手を繋いで、それからふたりで立ち止まってコーヒーを飲んだ。
結局ふたりとも、途中で目に入ったうなぎ屋の構えに惹かれて、吸い込まれるように店内に入った。お互いのお膳を突つき合って、休日としか言いようのないテンポで食事を終えると、外は日が少し暮れてすっかり寒くなっていた。それで私たちはデパートにいる。いつも薄着でいる彼の上着を買うために。
「たとえばさ、いま着てるその上着はいつどこで買ったか知らないでしょう。でもいま買った上着は一緒に買ったじゃん。そうやって、あなたの持ち物が全ていつどこで手に入れたものなのかを知るのが夢なの。それまでずっと一緒にいることが」
エスカレーターで一段上に立って、彼のおでこにキスをしながら話す。撫でられ慣れた猫のように無反応だった彼が、それはすごい独占欲だねと驚いたので可笑しくなった。
すごい独占欲だ、と彼はしみじみもう一度言う。私は彼に言及されるのが好きだ。どんなことであれ、私に対して関心が向いていることに満足する。とりわけ私の考え方について話されると、それが当てずっぽうでも、自分では意識していない私の部分を知ってくれているような気がする。実際にそんな場所はなくても、彼が口にすれば、それだけ私は広がっていく。
うなぎ屋で隣り合わせた客のビールがおいしそうだったので、ビールバーに立ち寄った。カウンターには仕事終わりのサラリーマンたちが並んでいて、私たちはその後ろの狭い通路を背伸びするように移動して奥の席に座る。隅っこの小さなテーブルで膝をぶつけ合いながら、お互いのビールを選んだ。
「この間、掲載されてた短編小説読んだよ。面白かった」
彼は私の仕事をこまめにチェックしているので、たまに私も忘れていたような文章の話をされて驚く。
「あれ、少し変だよね。主人公と恋人の名前が出てこないし、登場人物がふたり以外誰もでてこない」
「そうだっけ。もう忘れちゃった」
「どうしてだろうね」
「どうして」
すぐ隣で出版社の社員らしきおじさんたちが本の話で盛り上がっていて、なんとなく担当の編集者が紛れていないか目で探りながら話す。
「その世界にはふたりしかいないからじゃないかな。ふたりしかいなかったら名前は必要ないよね。ほかのものと区別して指し示す必要がなくなるもの。私とあなたすら区別する必要がない。ふたりはひとりで、いまの私たちみたいにふたりきりで、お互いが愛し合っていて、それ以外にもう何もない」
話していたら思いがけず悲しくなって、泣き出しそうになった。
「待って、それは悲しい話をしてるの?」
「そうよ。だって私たち、もうどこにも行くところがないのよ」
「そんなことないよ。どうにだってできる。たとえば」
「たとえば何?」
でも私は、どうにかしてほしいわけではなかった。ただ、彼にこのままいてほしかった。このままどうにもしなくても、もう寂しい気持ちにならなくて大丈夫だと、言ってほしかった。私はほとんど泣き出していて、彼は困惑していて、それでもふたりは幸せだったけど、やっぱりこれ以上どうすることもできないようだった。
ホテルに戻ると、ゴミ箱から昨日捨てたラッピングのリボンを探し出して、花束に結び直す。花びらが少しだけしなびていて、少しくらい水をあげたほうがよかったかなと、いまさらどうにもならないことを思った。水を少量だけあげながらドライフラワーにすることもできるのだ。でも私はそうしなかった。茎からハンガーのクリップを外して、リボンのほうを挟み直す。挟まれていた部分が赤茶色に暗く変色していた。
「なんか、花とかが、栄養を与えられて美しく咲くパターンもあれば、栄養がなさすぎて美しく咲くこともありそう」
恋人はベッドに寝転がって、ドライフラワーになっていく花束を初めて眺めながら言う。私はそんなことあるだろうかと頭で思いながら、彼が言うならそういうこともあるんだろうとすでに心で納得していた。彼の隣に移動して、左肩に顔を埋める。満たされた後に与えられる幸福は入る余地がなくて、私たちのそばを過ぎ去っていった。
文=姫乃たま
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