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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラム。今回が最終回です。"健康寿命"という言葉がある。
Wikipediaによると、健康寿命とは「平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間」のこと。平たく言えば、ボケたり病気になったりせず自立して生きられる時間のことを言うらしい。
私が「できることなら100歳まで生きたい」という野望を口にすると、多くの人は「いやあ、人の手を煩わせてまで長生きしたくないよ」と言う。世の中も「とにかく長生きする」よりは「健康寿命を延ばす」方向に向いているようだ。
なるほどなあ、と思う。
自力では食事もできず体にいろんな管を通したような状態でも、なんとか生きていけるのが今の時代だが、確かにそれは楽しくなさそうだ。それに、上の世代があんまり長生きすると、介護とか税金とかいったしわ寄せが若く健康な人のところにいってしまうのも大きな問題である。
でも、頭ではわかっていても、そう言われると私はいつも申し訳ないようなイラつくような複雑な気持ちになってしまう。
なぜなら、うちの父親はまさにその「人の手を煩わせながら生きている人」だからだ。
私が「100まで生きたい」と思う気持ちの奥には、たぶん寝たきりの父親の存在がある。
以前にも書いたことがあるが、私の父親は48歳のときに脳出血で倒れた。私が高校1年生のときだ。
キレどころが悪く医者からは「90%死にます」と言われたものの、運よく一命をとりとめ自宅療養することになった。リハビリである程度まで回復し、ビートたけしの半身麻痺を20倍くらいひどくした感じの体を母親に支えてもらってなんとか生活していたけれど、最初の発作から12年たった60歳のとき、今度は脳溢血で倒れてしまった。
父は酒もタバコも浴びるほどやる人で、一度目の発作の後も当然のように酒を飲んで高血圧フードを食べまくっていたから、そうなったのはまあ当然の流れだったと思う(ちなみに私の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」性格は、完全に父親譲りだ)。
意識不明の状態が1週間近く続いた後、今度こそダメだろうという大方の予想を裏切って父は驚異の生命力でまたもや一命をとりとめた。
でもそのかわり、残っていた半身も麻痺し、完全な寝たきり状態になってしまった。動くことはもちろん、話すことも食べることも排泄することもできない。意識はしっかりしているものの、自分の意思で動かせるのは左の眼球だけ。
もしも自分だったらと思うと、心底ゾッとする。これってある意味、あっさり死ぬ以上にヘビーな状況じゃないだろうか。
少しでも生き甲斐みたいなものがあれば......といろんなことを試したけれど、動くことも話すことも食べることもできない寝たきり病人にとって、それはかなり難しい。
ぼんやりとベッドの上に横たわったまま、半年、1年が過ぎ、「もしかしたらこのまま生きる屍になっちゃうのかな」と諦めかけた頃、父は自分で生き甲斐を見出した。
寝たきりの人間に最後に残されたもの。それは「自分で自分の生活をコントロールする」ということだった。
病院にお見舞いに行くと、老母と私はまず温度計で病室の温度を確認し、エアコンを父の希望の温度にする。
次に痰を引き、目を拭き、髭をそり、体温を計り、明日の気温と夜勤のヘルパーさんが誰かを確認して父親に伝える。そしてその後、私たちが帰った後どうしてもらいたいかという指示を大学ノートに時間刻みでぎっしり書かせるのだ。
唯一動く左目と文字盤を使って一文字ずつ意思の疎通をするから、ものすごく時間がかかるし、細々したことまでいちいち指図するのは大変な介護を引き受けてくれているヘルパーさんにだって申し訳ない。
でも、これを毎日やらないと父は承知しないのである。
気温が低い予報の日はエアコンの温度を高く設定し、布団を厚めにかけてくれるようヘルパーさんに指示をする。風邪をひかず快適に過ごせたときは心の中でほくそ笑む。
「これがお父さんの長生きの秘訣だから、しょうがないのよ」
苦笑いしながら老母は言う。
動くことも食べることもできない人間に最後に残された生き甲斐が「自分の生活をコントロールすること」だというのは予想外だった。でもその気持ちはなんとなくわかる。
なぜなら、私だって自分のことは自分で決めたいからだ。
自分の人生を誰かに勝手に決められるなんて冗談じゃない。
何をするか。何を食べるか。誰と過ごすか。逃げるか、それとも闘うか。
それを選べるのが自由で、自由であることこそが生きている証なのだと思う。たとえ寝たきりであっても、それは変わらない。
子供の頃から長生き願望のあった私だが、父が病に伏してからはよりいっそう「生きてるだけでまるもうけ」という気持ちが強くなった。
そりゃあ、お金が欲しいとか、ちやほやされたいとか、美人に生まれたかったとか、なんかすっごい才能があったらとかいう気持ちは大いにある。そういう人を目にしたときは、自分と引き比べてズドーンと落ち込んだりもする。
でも、好きなものが食べられて、好きなところへ行けて、思っていることを伝えられるって、実はそれだけですごい奇跡なんじゃないだろうか。
それ以上のこと......例えば稼ぎが多いとか少ないとか、頭がいいとか悪いとか、コミュニケーション能力があるとかないとか、モテるとかモテないとか、「いいね!」の数が多いとか少ないなんてことは、大きなくくりで見ればちょっとした誤差みたいなもにすぎないのでは......。乱暴な考えかもしれないけれど、父親を見ているとそんな思いが頭をよぎる。
寝たきりになって18年。あと2年で80歳。
いつのまにか孫ができ、病棟で一番の古株になった父は、今日もベッドの上で粛々と長生きの秘訣を実践し続けている。
文=遠藤遊佐
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