WEBsniper Special Photo Review
銀座ニコンサロン 2018年4月4日~10日 大阪ニコンサロン 2018年5月7日~16日
インベカヲリ★写真展「理想の猫じゃない」「あなたはなぜ、あなたになったのか。それが知りたくて、私は被写体一人ひとりに話を聞く」。独自の視点から「女性」を撮り続ける写真家・インベカヲリ★。2013年、写真集『やっぱ月帰るわ、わたし』(赤々舎)を出版後、2014年以降に撮影した作品を展示した本写真展では何が示されていたのか――。その手掛かりを三木学さんに考察していただきます。
インベカヲリ★の展覧会「理想の猫じゃない」を見ながら、そこに潜む奇妙な「生々しさ」の正体について考えていた。いわゆるポートレート写真なのだが、「コンストラクティッド・フォトグラフィ」のような演劇的な要素もあるし、ドキュメンタリーのような要素もある。ヌードもあれば、被写体が身を隠していてほとんど見えない場合もある。しかし、その撮影方法は一貫しているということは想像がつく。
「路上で歩きながらラーメンを食べる女性」、「パジャマ姿で坂道を走る女性」「スーツ姿の男性を肩車するセーラー服を着た女性」、「ビルの谷間に座って挟まる女性」、「部屋の中でクリアボックスの中に入る女性」、「台所のシンクの中に入る女性」、「服を着てお風呂の中に入り、クリームソーダを飲む女性」、「部屋の中で、下着姿で黒電話を持ち、スパゲッティを食べようとする女性」、「コンクリートの壁面に寄り添い、灰色のビニールをかけて身を隠す女性」......。
それは、現実に遭遇したら二度見してしまいそうな不思議なポートレートである。
大きく分ければ、インベのポートレート写真は以下の4つに分類される。
1、 室内でヌード(あるいは露出の多い服)
2、 室内で身を隠す
3、 屋外でヌード(あるいは露出の多い服)
4、 屋外で身を隠す
ほぼ自然光なのだろうが、屋内ではフラッシュが当たっている写真も幾つかはあるだろう。
そこから受ける、「奇妙に生々しい」感じからして、決して被写体を奇麗に写そうという目的で撮影されていないことは容易に理解できる。そして、ヌードであったとしても、そこにエロティックな要素を求めてないし、おそらく鑑賞者が性的な感情を煽られることもない。逆に、ほとんど隠されている被写体であったしても、「何か」が生々しく露出されている。
展覧会場に貼られているステートメントには、
「あなたはなぜ、あなたになったのか。それが知りたくて、私は被写体一人ひとりに話を聞く。子供時代のこと、今の生活、どんなことに悩んでいて、どんなことに疑問を持っているのか。彼女たちの言葉を掘り下げていくと、独特な言葉や価値観がふいに飛び出し、個人の存在が生々しく浮かび上がってくる」
と書いている。
つまり、写真は被写体となっている女性たちの「本性」を知るための一つの道具ということになる。
そして
「多くの女性は本音を見せずに生きている。~中略~全部を剥き出しにしたら生きていくのが困難なくらいの『私』を持っている人に、出会いたくなる。それは本当は、私たち一人ひとりが秘めているものかもしれない」
と結んでいる。
展示されている写真は、彼女たち自身が自己のイメージをさらけ出した姿であり、そのセルフイメージが強ければ強いほど、隠さなければ普通に生きていくことは難しいだろう。
しかし、身を隠す自己を表現する女性が多いのはなぜなのだろうか? 身を隠して生きているという強い自覚であり、露出することよりも、はるかに強い「私」を持っているのかもしれない。本当はもっと自分を隠して生きていきたい、という主張にも思える。
インベカヲリ★という名前を聞いて、思い当たる節があった。「インベ」という名前は珍しい。漢字で書けば忌部(齋部)となる。忌部氏とは、神武天皇の東征に付き添った氏族とされ、中臣氏のように祭祀や祭器を司ってきた。その後、橿原宮の造営に関わり、一部が麻などの殖産のために徳島県の吉野川流域を開墾したという。それが阿波忌部氏となり、その子孫が三木家である。私はその末裔にあたる。つまり、私もまた「インベ」なのだ。
編集者に確認すると、インベは東京出身とのことだが、苗字のルーツを辿ると阿波忌部氏にいきつくという。つまり、私と、インベは、日本の有史以来の氏族の遠縁ということになる。
忌部氏の祖神は、天岩戸開きに参加した天太玉命(あめのふとだまのみこと)と言われる。弟の素戔嗚尊に怒り、お籠りをしてしまった天照大神を、天岩戸から出した神様のうちの一神である。天照大神を表に出すための思兼神(おもひかね)の策が良いかどうか、中臣氏の祖神である天児屋命(あめのこやねのみこと)とともに太占(ふとまに ※占い)を行ない、天岩戸から出てきた天照大神に八咫鏡を差し出す役割を担った。
昨今の話題では、先日亡くなった高畑勲の遺作となった『かぐや姫の物語』において、かぐや姫の名付け親として「斎部秋田(いんべのあきた)」という老人が出てくる。そもそも竹取の翁である、讃岐造(さぬきのみやつこ)もまた、忌部氏の一族であり、讃岐平野を阿波忌部氏と一緒に開墾した讃岐忌部氏の系譜であろう。
歴史学者の保立道久によると、かぐや姫の原像は、忌部氏と関係の深い奈良県の広瀬大社で「大忌祭」に奉仕する「物忌女」にある、という。かつては「青緑の竹珠の御統(環飾、ネックレース)を身にまとった少女」が大忌祭を前にして半年に及ぶ潔斎生活を送った。広瀬大社の祭神は、伊勢外宮と同体の月の女神、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)である。太陽と月の違いはあれども、忌部氏は祭祀のためのお籠りと深い関係にある(註)。
かなり迂回してしまったが、インベの写真は、お籠りをしている女性たちを、写真という鏡の力で、外界に連れ出しているような印象を受けた。そして、彼女たちが秘めている本当の姿を写している。それが身体だけではない「生々しさ」の正体である。
同時に、先祖の神話をなぞっているというわけである。とはいえ、連れ出された女性たちは、「生々しい」が、「輝いている」とは言い難い。そして、インベの中にも、彼女たちの似姿が内包されており、合わせ鏡の自画像のように思える。さらに、それはインベの写真を見る女性たちの秘めごとを揺り動かす。
昨今#MeToo運動が写真界にも大きく波及しているように、未だ日本の女性はお籠りを強いられていることが多い。インベの写真に出てくる女性たちが、身を隠した状態をさらすという、アンビバレントな状況にあることからも、その根深さを感じる。
インベの写真は、現代の八咫鏡であるともいえ、お籠りをしている女性たちをまずは表に出すことに成功している。それは、まだまだ痛みを伴っているが、女性たちが輝く一歩には違いない。そして、インベの写真には、#MeToo運動で揺れる写真界においても、一つのブレイクスルーがあるように思えた。
文=三木学
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