まぁ、ひとつそちらにお掛け下さい。狭い応接間に男性をお二人も押しこめてしまって、申し訳ありません。そうだ、せっかく来ていただいたのですから、まずはひとつ、面白いお話をして差し上げましょう。いえいえ、無駄なお時間を取らせるばかりのお話ではありません。あなたがたが知りたいとおっしゃっていたことに、いずれちゃんとつながりますから、前置きだと思って、聞いていただければ。
あぁ、お茶でも出しましょうか。お茶菓子もつけましょう。少々お待ちいただけますか。えっ、私自身が用意に行くのかって? えぇ、ここには私一人しか住んでいないもので、何もかも自分でやらなければならないのです。お恥ずかしい限りですが、この年になって妻も子供もいないのですよ。たしかに広すぎて一人では不便なときもありますが、使用人を置くのも気を使いますし、たまに清掃業者を入れるぐらいです。でも、世間で「お金持ち」と呼ばれる人種なんて、ちょっと変わっているといいますか、たいていこんなものじゃないんですか。特に私のように、若い頃に株で突然儲けたような人種は、どこかおかしくなってしまうのかもしれませんね。
お待たせ致しました、では始めましょう。話は、私がまだ子供だったころに遡ります。そうですね、もう50年近く前になりますでしょうか。東京オリンピック開催の前後で、日本中が沸き立っていた頃です。もっとも家にテレビもなく、学校の友達もそう多くなかった私は、そんな華やかな空気からは取り残されておりましたが。
当時、私は父と二人で、中央線のH駅からバスで20分ほどの林の中にぽつんと建てられていた平屋に住んでおりました。
どうしてそんなところに建てられていたのかはわかりませんが、築年数にすれば20年ほどだったでしょうか。古いわけではないが、ピカピカと新しいわけでもない、当たり障りのない借家でした。
その家の中に、「決して開けてはいけない」と父からきつく言い渡されていた部屋がありました。父は普段は優しすぎるぐらいに優しい人で、まわりからは「子供をあまり甘やかしすぎてはいけない」とまで言われるような人だったのですが、その部屋を開けたり、入ったりすることだけは、彼には珍しい、厳しい口調で禁じていました。鍵は掛かっていなかったのかって? あなたがたのような若い人たちにはわからないかもしれませんが、昔の家ですからね、部屋と部屋は扉ではなく、襖で仕切られていました。鍵なんて、なかったのですよ。
子供時代の私は、そこに何があるのか、なぜ開けてはいけないのか、いつも不思議に思っていました。禁じられれば禁じられるほど、その禁を犯したくなる......なんて、あなたがたのほうが、よくおわかりになっていらっしゃるかもしれませんね。それが好奇心旺盛な子供のことであれば、なおさらでしょう。えぇ、そりゃあ、何度も尋ねてみましたよ。でも、父はそのたびに困ったように笑って、「夜を閉じこめている。開けたら夜が逃げてしまう」と答えるばかりでした。
もちろん、「夜」なんて何のことなのか、さっぱりわかりません。夕方の後に来るアレのことではなさそうでしたが......。結論から申し上げますと、結局は好奇心に抗えずに部屋を覗いてしまったのですが、それでもやはり、そこにあったものが何だったのか、それがなぜ夜と呼ばれていたのか、理解することはできませんでした。きっと、父しかわからないことだったのでしょう。何かの比喩だったのかもしれません。
閉ざされた部屋には何があったのか......を語る前に、まずは私の子供時代の家庭環境をご説明しておきましょう。私は生まれて3年足らずで母を失いました。また、父方にも母方にも、祖父母や叔父、叔母、従兄弟などの親類縁者はおりませんでした。母は病気で亡くなったようですが、他の親類までいなかったのはどういう理由によるものだったのか、父が死んでしまった今となっては、よくわかりません。が、とにかくそういうわけで、父と私は二人で暮らしていました。父は車で30分ほどのところにある大学で、理科系の研究職をしていました。
二人暮らしとは言うものの、日中は私は学校に行っているし、午前中と夕方にはお手伝いさんがごはんを作ったり、掃除や洗濯をしに来てくれるし、夜には父が仕事から戻ってくるので、家で完全に一人きりになるということは、そうそう多くはありませんでした。ですが、たまにお手伝いさんが休暇を取ったり、父の帰りが遅くなったりしたときは、ただっ広い平屋にぽつんと残されることになり、たいへん寂しかったものです。
あぁ、今、こうやってひとりで暮らしていましても、たまにあのときの寂しさを思い出すことがあります。父以外の家族がいなくて人恋しかったわけではなく、単純に、広い空間に自分以外誰もいなかったことがつらかったのです。私は母や祖父母や兄弟といった、父以外の家族がいないことについては、現在まで一度も、悲しいとも寂しいとも感じたことはありません。
話を戻しましょう。あれは小学校5年生の夏休みのことでした。いつも家事をしてくれる若い女のお手伝いさんは、前々日から3日間の夏季休暇を取っており、父はいつものように仕事に出かけていました。私は家に自分しかいない3日間を、孤独と退屈と戦って過ごさねばならなかったのですが、それでも最初の2日は何とか無事に乗り切ることができました。しかし、最後の1日になって、どうしても耐えられなくなってしまったのです。
先ほど申し上げましたように、テレビは家にはありませんでしたし、本も漫画も家にあるものはおおかた読み尽くしていました。当時は今よりもさらに出不精な上、引っこみ思案な性格で、休日にわざわざ出向いてまで遊ぶような友達はおりませんでしたので、外に行くこともできません。言うまでもなく、その頃はまだビデオゲームや携帯ゲーム機などもありませんでした。
家の周囲の雑木林から絶え間なく降り注ぐ蝉の声が、いつにも増して鬱陶しく感じられました。早く夜になればいいのにとばかり願い、なかなか進まない時計の針にいらつきました。そしてその鬱屈はいつしか、自分を一人きりで置いていった父への怒りへと形を変えていったのです。「よし、何か父を困らせることをしてやろう」、そう思った私は、父が決して開けてはいけないと言っていた、夜とやらを閉じこめている部屋を開けてみることにしました。
正午を少し過ぎたころだったでしょうか。父が置いていったお金でとった店屋物でお腹を満たすと、さっそく件の禁じられた部屋に向かいました。いざとなってみれば、父への良心の呵責も、何が出てくるのかわからない恐怖も湧き上がってきましたが、一度堰を外された好奇心は、もう歯止めがききません。「見たといったからって、わざわざそうと話さなければわからないだろう。言わなければやっていないのと同じだ」そんな屁理屈も頭に浮かびました。誰もいない廊下を、誰かに見せつけるようにのしのしと大股で歩いたのは、自分を鼓舞するためでした。
その部屋は、強烈な夏の日差しが叩きつける廊下の突きあたりにありました。色褪せ、ところどころ紙の剥がれかけた襖の前に改めて立つと、奥にはいかにも仰々しい秘密が隠されていそうな気がしました。
襖の建てつけはあまりよくなく、開けようとするとガタガタと鳴って、何度もつかえました。それを無理に開けると、廊下の照り返しが隙間から太い白刃を差し入れたように、さっと中に流れこみました。そこにあるものが、その白刃のもとに曝け出される様を想像して、私は胸を高鳴らせました。
だが、どういうわけでしょう。どんなに目を凝らしてためつすがめつしても、中の様子はいっこうに見えてこないのです。
最初は、こちら側があまりにも明るいものだから、目がなかなか慣れないのだと思いました。しかし、どうやらそういうことでもないらしい。何とはなしに変だと感じ、意を決して鼻先だけちょっと突っこんでみましたが、やっぱり中は真夜中のように真っ暗でした。いや、暗いというよりは、黒いといったほうが正しいかもしれません。まるで切り絵のように、部屋の中だけ他の風景から切り取られ、下から黒い地が出てきたかのようなのです。しかもその黒は、外から差しこんだ光を吸い込んでいるようにも見えました。
おかしいなと首を傾げていると、ふいに部屋の奥で何かが動いた気配がしました。空気が揺らいでみて初めて、奥に立ちこめている闇は、どろりとなるまで擦りに擦った墨のように濃いのだとわかりました。続いて、ずるり、びちゃり、と水っぽさを帯びたものがゆっくりと床を這う音。獣のような匂いがあたりにむっと充満しました。
自分の知らない、言葉にできない恐ろしいものが、そこにあるのを感じました。呼吸をするたびに、その息を頼りにソレに忍び寄られるような気がして、私は思わず息を止めました。
「逃げろ」と、誰かがどこか遠くから鋭く叫んだ声が、耳の奥でこだましました。それは私の生きものとしての、本能の声だったのかもしれません。私は建てつけの悪い襖を、ありったけの力で閉めました。襖と柱が勢いよくぶつかって、両方とも粉々に砕け散るかと思うほどの音が響きましたが、それさえも背後に感じたほどに一目散に、自分の部屋に逃げ戻りました。
私は部屋に閉じこもって、大人しく父の帰りを待ちました。あの日ぐらい、窓から見える空が徐々に暗くなっていくのに、心をおののかせたことはありません。あの部屋の襖が開き、水っぽい音をさせていたものが不気味な姿を覗かせるのではないかと考えると、もう気が気ではありませんでした。家じゅうの電気を点け、父のレコードプレイヤーで何でもいいから音楽を大音量で流したくなりましたが、帰ってきたときに怪しまれるわけにはいきません。じっと我慢しました。
父が帰宅したのは、いつもと同じ午後7時半頃でした。昼過ぎからその時間までをどれほど長く感じたかは、大人になった今でも、的確に言い表わせる言葉を見つけられません。父は、あの部屋を開けたことには、気がついていないようでした。私ももちろん、どんなに怖い思いをしたといっても、自ら話すような真似はしませんでした。
それでも、表情には出てしまっていたのでしょう。店屋物を囲んだ夕食の席で、少し顔色が悪いようだが、と声を掛けられました。どきりとしましたが、何とか平静を装って「軽い夏風邪を引いたらしい」とごまかしました。父は「それなら、今日は早く寝なさい」と言ったきり、追及しませんでした。
それから、何か恐ろしいことが起きやしないかと内心ひやひやする日が続きましたが、さいわいにも特に何もなく、日々はまた元のとおり平穏にやって来ては、平穏に去っていきました。しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れる、とでも言えばいいでしょうか。身も消え入るような思いをしたというのに、そんな時間を過ごすうちに、私はまた、あの部屋にいた「何か」が気になって仕方なくなってきたのです。
あれは何だったのか確認したい。今度こそ思うさま好奇心を満たしたい。いつからか、授業中でも家にいるときでも、気がつくと常に、「何か」のことで頭がいっぱいになっていました。私は当時、まだ恋を知りませんでしたが、あれの正体を知りたい、一目見たいと熱望する心情は、恋の浮かれ方にも近かったように思えます。恋から甘やかさや切なさといった感情を引き抜いて、悶えるような希求だけを残したもの、そう捉えていただければわかりやすいかもしれませんが......あぁ、余計わかりにくくなってしまったでしょうか。
とにかく、もう一度あの部屋の襖を開けたいという思いは、膨れ上がっていく一方でした。そんなとき、お手伝いさんが彼女の兄の結婚式に出席するため、お休みを取りたいと父に申し出ました。ついに、再び機会がやって来たのです。私は決心しました。彼女の休暇に合わせて、「気分が悪い」と学校をずる休みしよう。そして父が仕事に出かけていったらこっそり布団から抜け出し、あの古びた襖を開けよう、と。
季節は夏から秋に移り変わっていました。その日の、午後1時を知らせる鳩時計の音を、今でもはっきりと覚えています。父は数時間前に家を出ていました。午後になってしまったのは、情けないことに、いざ決行を前にしてためらっていたからです。が、その日を逃したら次のチャンスはいつ訪れるかわかりませんから、何とか奮起して布団を出ました。
数カ月前に夏の鮮烈な陽光に白く浮かび上がっていた廊下は、秋の昼下がりの穏やかな橙色に、くすんだ木目を優しげに滲ませていました。突きあたりには、私を悩ませ続けたあの部屋の、あの襖があって、こちらをじっと見つめ返していました。
私は懐中電灯を片手に襖の前に立ちました。風でカタカタと鳴るガラス窓に、高く澄んだ空と、色づき始めた銀杏の枝が四角く切り取られていました。空には細筆でさっと刷いたような雲が浮かんでいます。何もしなければきっと何ごとも起こらない、爽やかな秋の日でした。
襖を開ける前に、懐中電灯の灯が点くかどうか、念のためもう一度確認してみました。電灯はスイッチのオンとオフに合わせて、確かに明滅しました。問題はありません。手のひらにぎゅっと懐中電灯を握りこみました。いよいよです。
襖の取っ手に手を掛けました。指の根元が小刻みに震えます。その震えをもたらしていたのは、短くはない時間、恋するように焦がれてきた相手についに対面できるという喜びなのか、それとも得体の知れない不吉なものの正体にいよいよ対峙することへの恐怖なのか、自分でもよくわかりませんでした。ですが何にしても、体の深奥から泉のように湧き出して止まらない探求心は、もう止められませんでした。
襖は相変わらず建てつけが悪く、前と同じように力をこめて開けました。しん、と耳が痛くなるような静寂が開かれ、目の前に広がったのは、以前開けたときと同様の、黒一色の空間でした。視界の半分ほどが突然、真っ黒に塗り潰されてしまったようでもありました。日常にはちょっとありえないほどに、深い黒です。私は黒をじっと睨みつけながら、懐中電灯のスイッチをオンにしました。
しかし、どうしたことでしょう。懐中電灯を向けたのに、何も映らないのです。あれ、おかしいなともう一度スイッチを確認しましたが、やはりちゃんとオンになっていますし、電球のある面をこちらに向けると、小さいながらもこうこうとした明かりが点いています。そこでもう一度、奥を照らしてみましたが、やはり何も浮かび上がらない。どういうことなのかと光の伸びる道すじをよくよく凝視すると、懐中電灯からまっすぐに放たれているはずの明かりが、途中で黒の中に消えているのです。
「えっ?」と声を出しそうになったのと、生ぬるい風に額の髪をふわりと持ち上げられたのは、同時でした。
次の瞬間、何かぬるっとしたものが頬をかすめ、ものすごい速さで部屋の奥からから外に飛び出していきました。生の蛸だとか烏賊だとか、そんなものに近い感触です。その気持ち悪さに、私は「うわぁっ!」と悲鳴をあげました。
何が出ていったのかと振り返ろうとしたとき、奥で、びちゃっ、と濡れたものが床に叩きつけられた音がしました。反射的に音のしたほうに目を向けましたが、何も見えません。角度を何度も変えて懐中電灯を当ててみましたが、無駄でした。
仕方なく、先に外に出て行ったものの正体を確かめることにしました。廊下を駆けるうちに、大変なことをしてしまったという焦りが、徐々に胸に広がってゆきました。出て行ったものを捕らえて、もう一度部屋に戻さなければ、父にどんなに怒られるでしょう。逃げられてしまったら、さすがにしらばっくれることもできません。
いや、正確には、そのときの私を突き動かしていたのは、そういう種類のおののきだけではありませんでした。その怖れは、もっと原始的で野生的で、わけのわからない感覚でした。が、わけがわからないながらも、アレはたぶん、本来人が見たり触れたりしてはいけないのだということだけは、なぜか、わかりました。
廊下に赤い滴がぽたぽたと落ちていました。まるで、血のような。進むと、滴として落ちているだけでなく、飛び散っていたり、擦られたりしたような跡もありました。何だろうと思いながら辿るともなく辿っていると、出て行ったものは何なく見つかりました。
何にも形容のしようがないアレのことを何と呼んだらいいのかわかりませんから、とりあえず便宜上「ソレ」とでも呼ぶことにしましょうか。ソレは、座敷にいました。黒い靄に幾重にも包まれていたので、形はよくわかりません。鼠ぐらいの大きさの白っぽいものをいくつか咥え、壁や床や天井にそれらを狂ったように叩きつけながら飛び回っています。まるで野生の鼬のようにすばしっこい動きでした。鼠のようなものが叩きつけられた後には、赤い染みがつきました。染みは、廊下に落ちていた液体と同じ色と質感をしていました。
怖くて近づけもせず呆気にとられていると、ソレは鼠のようなものをふたつ、みっつ無造作に落として、座敷からも飛び出して行きました。落としたものには頓着していないようでしたので、おそるおそるにじり寄って確かめてみますと、それは、子供の手のひらほどの大きさの、小さな小さな人間でした。彼らは生きていましたが、どれも腹や頭や手足を無残に食いちぎられ、小さな内臓が腹から飛び出していました。男も女も、大人も子供もいました。廊下から続いていた赤い染みは、小さな人間の血液だったのです。
再び悲鳴をあげました。ソレを捕らえようなどという気は瞬時に消え失せ、逆に、とにかく何とかしてソレから逃れなければという思いで、頭がいっぱいになりました。
ですが、さいわいにもソレは襲い掛かってくることはなく、まだ咥えている分の小さな人間たちを叩き潰したり引きずったりしながら、家の中を走り回ることに夢中になっているようでした。その様子を前にしていると、黒い靄の中で起こっているであろう凄惨な場面が、想像したくもないのに脳裏に浮かびました。あんなふうに頭や腹や手足を食いちぎられたら、どんなに痛くて苦しいだろう。小さな人間は、人間の形をしているだけに、簡単に自分に置き換えてイメージできてしまうのでした。
震えながらも遠巻きにじっと見ていると、ソレはどうやら、家の外に出たがっているようだとわかりました。私はソレと正面衝突しないように細心の注意を払いながら、部屋から部屋をまわって、窓という窓、戸という戸を片っ端から開けました。水が流れるように、家の内側を新鮮な風が通り抜けていきます。その冷気に肌を撫でられ、初めて自分がびっしょり汗をかいていたことに気がつきました。
台所から物置部屋、私の部屋からもう一度座敷へとまわったソレは、最後に父の書斎に飛びこみ、やがてそこの窓から、青い空へと舞い上がっていきました。黒い靄はすぐにぼやけた点のようになり、あっという間に見えなくなりました。
大きくひとつ息を吐きました。とりあえずの危機は脱したと見てよさそうでした。ですが、震えも冷や汗も止まりませんでした。これで終わりではない、そんな気がしたのです。
(続く)
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