しかし、近づいてみればまだ三十歳を少し超えた程度だとわかる。わざと腰を曲げ、メイクで皺らしいものを顔や腕などの皮膚に描きつけまでして、老婆のふりをしているのだ。
あまりにも奇妙だ。だが不思議と、醜いだとか滑稽だとかは感じない。
わたしが今回「終わらせる」のは、この老婆のふりをした女性のかたわらに横たわっている百一歳の老人だった。こちらは正真正銘の老人である。2030年現在の最先端を行く巨大な延命機器に囲まれ、老いて縮みきった体は恐縮しているようにも見える。老衰による心疾患としてこの病院に数年に渡って入院しているのだが、年齢からいって、このまま死んでも大往生といわれるだろう。
いや、老人は本来なら数カ月前には死んでいるはずだった。
それが、この世の理からは外れた力で「生かされて」しまっている。
わたしはその力をずっと警戒していた。今までも何度か様子を見に来て、それが用いられないよう釘を刺していたのだが、ちょっと目を離した隙についに発動してしまった。わたしもひとつの事案だけにずっと関わっていられるわけではないし、「終わり」が確定した人物やその周辺以外にはあまり近づきすぎてはいけないことになっていた。
延命機器から延びたチューブが差された老人の口の周りには、赤茶色いものがこびりついていた。乾いてはがれかけた、血だ。
老人の運命を告げたわたしに、女性はわずかに微笑みながら言った。
「それにしても看護婦さん、あなたは全然、お変わりにならないのですね」
そう、この女性と会うのはこれで三度目になる。彼女はいちばん最初に会ったときからわたしの容姿がまったく変わらないことを指しているのだ。
部屋のテーブルにはバナナが置いてあった。黒い斑点が浮かんだ、熟しきったバナナだ。病室に甘ったるい匂いが充満している。女性が食べようとしたのか、それとも老人に食べさせようとしたのか。だが、老人はもはやこんなものは食べられないだろう。
老人の手がぴくりと動いた。今までは本当に死んでいるみたいに動かなかったのに。
干からびた唇がわずかなわななきとともに開いた。今はもう体を動かすことはおろか、喋ることもつらいはずだ。よほど訴えたいことがあるのだろう。
「実、何かお母さんに言いたいことがあるの?」
女性が老人の手をそっと取る。「お母さん」にはとても見えない、皺がわざとらしく描かれたしなやかな手で。
老人は何か言おうとしたが、その口からは空気の塊がぽろぽろとこぼれ落ちただけだった。
「何? 聞こえない。もう一度言って、ねぇ、実......」
女性が老人の唇に耳を近づける。その声は、半分泣き声になっていた。
私が平川のお家で暮らし始めたのは、後になってから知ったことですが、大正二年のことでした。それまでおそらく五十年ぐらい生きていたのですが、私たちには年の数をいちいち数える文化がなかったので、よくわかりません。
その日、なぜ私が棲んでいた湖を出て山の中をほっつき歩いていたのか、私自身もよく覚えていません。おそらく退屈でもしていたか、水の上に珍しそうな鳥の影でも見えたか、たぶんそんなところでしょう。私たちは通常、退屈を厭わないものらしいのですが、その点において私は多少変わっていました。
とにかく私は湖から出て、慣れない地上をずるずると這い進んでおりました。そして、おそらくは猟か何かでたまたま山に入っていた、平川のおじさまのお家の方に捕えられたのです。
いえ、捕えられたなどといっては語弊があるでしょう。私はそのときすっかり迷子になっていました。お腹が空いて、自分から姿を現わしたのです。
その人を見たとき、私はとてもびっくりしました。その人もとてもびっくりしていました。その人は上半身は私たちと同じ姿でしたけれど、下半身はまったく違っていました。私たちの下半身には、上半身と同じ太さの、鱗が生えた尾が生えています。それで這って動くのですが、その人は腰のあたりから尾が二つに分かれていて、それぞれを器用に動かして立って進んでいました。その人の背丈の半分ほどもなかった私は、仕留めた動物を入れる大きな袋に入れられて運ばれました。怖くはなく、むしろその独特の揺れが楽しかったことを覚えています。
平川のおじさまは私を見るなり、お家の方に、それまで蔵代わりに使っていたという小さな離れの中のものをすべて運び出させ、きれいに掃除させました。それから大きな盥を置き、なみなみと水を張ってきれいな寝床を作ってくれました。その日から、そこは私のお家になりました。
私はときどき、とてもはっきりした夢を見るようになりました。私は見た夢を、朝晩手ずからおいしいごはんを運んできてくれるおじさまにお話ししました。おじさまはにこにこ笑いながら聞いてくれましたので、私も嬉しくなって丁寧に喋りました。私のお家にいるのは私ひとりで、お外には出してもらえないので、おじさまがいないとき私はやっぱりとても退屈だったのです。だからたくさん喋りました。
同時におじさまは、こちらの世界のことをたくさん教えてくれました。私はそのときまだこちらの言葉が全然わからなかったのですが、読み書きも習いました。ご本もいっぱい読んでもらい、いろんなことを知りました。お外に出られなかったとしても、そこは私にとって湖の底よりもずっと刺激的で楽しい場所でした。「巳弥(みや)」という、美しい名前もつけてもらいました。きれいなおはじきやお手玉ももらいました。
おじさまによると、こちらの世界にいる人たちは「人間」と呼ばれる生きもので、私たちは人間からは「人蛇」と呼ばれているそうでした。人蛇は人間にとっては伝説の生きもので、とても珍しいので、私をぜひお家の子どもにしたかったのだとおじさまは言いました。おじさまは「地主さま」と呼ばれる偉い方で、そんなお家の子どもになれた私は幸せだと思いました。
あるとき、私はどこかわからないけれどとても遠い、石の壁でできた変わった形の建物が並んだ町が無残に焼き尽くされ、廃墟になっている夢を見ました。それから少し経って、岩の中に掘られた細い道の奥から、真っ黒い大きな塊が次々と運び出されていく夢も見ました。もちろん、二つともおじさまにお話ししました。
ところで、私のお家に遊びに来てくれるのはおじさまだけではありませんでした。毎朝私の体をきれいに洗って着物を着せ、髪を結ってくれるお女中のお姉さまと、それからおじさまの三番目の子どもがときどき訪れてくれました。一番目と二番目のお兄さまも一度は覗いたのですが、お二人は私を見るなりすぐに顔をひっこめて、それきり戻ってきてくれませんでした。
三番目の子どもは名を修三郎さんといいました。第一印象は最悪でした。
表のつっかえ棒を外しておそるおそる入ってきた彼は、私と同じぐらいの年格好に見えたので、年齢を尋ねてみると十歳で、村の小学校に通っているということでした。
「じゃあ私のほうがお姉さん」
盥の水に浸した尾を悠々と揺らしながら言うと、修三郎さんはむっとした顔になり、「じゃ、お前、いくつだい」とつっかかるように聞いてきました。が、先ほど申し上げたように私たちには年を数える習慣がありませんから、うまく答えられません。
「......十歳よりは、もっとたくさん」
「何だい、嘘をつきやがって。本当はもっと小さいんだろう。嘘つき」
言い捨てると、修三郎さんは逃げるように出ていってしまいました。
それきりもう二度と来ないかと思いましたが、人のことを嘘つき呼ばわりするような奴に未練はありません。
ですが、修三郎さんは翌日の朝にまたやって来ました。そうして不服そうな顔をしながら、昨日のことを謝ってきました。
「昨日のことは、お父様には内緒にしてくれないか」
「昨日のこと?」
聞くと、おじさまは自分とお女中のお姉さま以外の者がここに近づくのを固く禁じているとのことでした。どうしてそんなことをするのか疑問ではありましたが、とにかく修三郎さんが謝ってくれたことが嬉しかったので、絶対に言わないと約束しました。
「そのかわり、またあそびに来てね」
私は思いきって言いました。正直なところを言うと、昨日修三郎さんが出ていってしまったとき、ちょっと寂しかったのです。おじさまやお女中のお姉さまといるのももちろん好きでしたが、同じような年の彼を見て、この子ともっと一緒に遊びたいと思っていました。
修三郎さんは迷ったようでしたが、すぐに少しはにかみながら「うん」と答えてくれました。
次の日から修三郎さんは、雑誌や冒険小説や、お母様からもらうというお菓子や果物を持って来てくれました。そうしてそれらを食べながら、学校であったことや、お友達のことを話してくれました。
修三郎さんはいろいろおいしいものを持ってきてくれましたが、その中でもいちばんおいしかったのはバナナでした。特に黒い斑点が浮き出て柔らかくなったバナナは、皮を剥いて含むと口腔でとろけていくように甘く、噛んですぐに飲みこんでしまうのがもったいなくて、いつまでもいつまでも口に入れて舌で少しずつ潰していました。私たちはお互いのそんな様子を見ては、くすくす笑い合いました。その甘さや柔らかさは、おじさまには内緒でこっそり会うという秘密を共有していたからこそ、余計強く感じられたのかもしれません。
やがて寒くなって「お正月」が過ぎ、また暖かくなってしばらくした頃、修三郎さんから世界が真二つに分かれた戦争が始まり、小さいながらも炭鉱を買ったおじさまのもとに、大変なお金が舞いこんだことを聞きました。そしてそれは私のおかげだと言うのです。昨年、私の夢の話を聞いたおじさまは近く大きな戦争が始まると予感し、借金をして炭山を買ったとのことでした。
どうやら私は未来を夢で見ることができるようです。でもそれで感謝されても私にとっては自然に起こることだし、今ひとつぴんと来ませんでした。その頃になると、どういう経緯かわからないけれど、修三郎さんはおじさまに許されて私のお家に自由に出入りするようになっていました。私は当時、人間の脚を真似て尾を変化させることに夢中になっていたのですが、それを修三郎さんにすごいと褒めてもらえるほうが、よほど嬉しいことでした。
私は一生懸命練習をして、夏になるあたりには本物の人間の脚と見まごうほど上手に変えられるようになっていました。修三郎さんはせっかくだからと、人がいない頃を見計らって、ときどきこっそり外に連れ出してくれました。
たとえば黄昏どき、まだうまく歩けない私は修三郎さんに手を引かれて、蛍の飛び交い始めた土手をゆっくり、ゆっくり進みました。湿り気を帯びた風は私にとっては懐かしい水の匂いがしましたが、元いた場所に帰りたいとは思いませんでした。歩いていると、薄暗がりを縫ってどこからかお囃子が聞こえてくる日もありました。
そのうち、修三郎さんは私のお家にあまり来なくなりました。理由は小学校を卒業して、遠くの中等学校に通うことになったからだそうでした。
修三郎さんが姿を現わすたびに背が伸び、顔立ちも大人びていくのに、私はいつも驚きました。まるで別の生きものに変わっていくようでした。でも、驚いていたのは私だけではありません。修三郎さんもまた、逆にいつまでも大きくならない私を、口には出さないまでも不審がっていたようでした。どうやら人間と人蛇は年をとる早さがかなり異なるようでした。人蛇にも年寄りはいましたから、まったく年をとらないわけではないでしょう。しかしその速度に大きな差があるのです。
修三郎さんがいない間、私はひとりで尾を脚にする練習をしていました。成果を見せるたびに修三郎さんは何ともいえない複雑そうな顔をして笑いました。修三郎さんは時折、私の好きなバナナを持ってきてくれました。ですが昔のように一緒に口に含んで笑い合うことはなく、ただ私が食べるのを見ているばかりでした。
そんな日々もあっという間に過ぎて、あるとき怖い夢を見ました。たくさんの人が熱を出して寝こんでいたり、激しく咳きこんだりしている夢です。はたしてその年の冬、「スペイン風邪」と呼ばれた流行病が蔓延しました。
スペイン風邪には平川のお家の人たちも罹り、お亡くなりになった方もいました。ずっと私の世話をしてくれたお女中のお姉さまです。彼女は最初こそ赤い顔をして咳きこみながら働いていましたが、やがてお床から起き上がれなくなったとのことで里に帰されました。そしてご両親に看取られて、静かに逝ったそうです。
あまり人と関わらなかったのがよかったのでしょうか、私はまったく健康なままでした。いえ、人蛇と人間ではきっと罹る病に違いがあるのでしょう。もっとも水の底にいた長くはない間、私は病んでいる仲間を一度として見ませんでしたが......。
私はお姉さまの死に少なからず衝撃を受けました。正確にいえば死に衝撃を受けたというよりは、お姉さまがいなくなっても同じように時間が進み、人々の生活がこれまでと同じように営まれていくことが不思議というか、空しくてなりませんでした。もちろんお姉さまが亡くなったこと自体も悲しかったのですが、空しさで心に空いた穴が、悲しさで空いた穴を覆ってしまったのです。
おかしな言い方かもしれませんが、私はお姉さまに取り残された気がしました。お姉さまは死んだというよりも、私を置いてどこか遠いところに行ってしまったように思えました。もしその道の途中で気持ちを変えてくれたら、またあくる朝にでも「おはよう」といつもの赤い頬を見せてくれそうな気もしました。でも、そういうことはもう二度と、絶対にないのです。
それが、私が初めて経験した「死」でした。
そのまた数年後、さらに怖ろしい夢を見ました。
夢を見た朝、私はおじさまに泣きついて、東京で大学に通っている修三郎さんに急いでこちらに帰ってきてもらうように訴えました。
私の話を聞いたおじさまは急いで修三郎さんに電報を打ち、修三郎さんが到着して二日後に、関東一帯が大きな地震に見舞われました。関東とは言い難い私たちが住んでいるところも、多少ではありましたが揺れたぐらいです。
翌日の朝、修三郎さんは私のお家に来て、倍も大きくなってしまった手で私の手をそっと包みました。目を閉じてじっと黙りこみ、やがて目を開けると、呻くような声で「ありがとう」と言いました。
その日のうちに修三郎さんは東京に戻りました。交通網は完全に壊滅していたので、何日もかかったようです。どうせ日数がかかるなら実家で復興を待てばいいのにとおじさまは愚痴をこぼしたようで、私も同じ意見でしたが、修三郎さんは残してきたお友達をそのままにはしておけないと、飛び出すように出て行ったそうです。
修三郎さんが帰ってしまったことを知ったとき、私は少し泣きました。私の脚はもう完全に人間のようにすることができましたし、お家の中で毎日練習をしていたので、歩く姿もすっかり人間のようでした。見てもらいたかったのに。
それに私は、昔と比べれば少しだけ大人になっていました。胸がわずかに膨らんで、体つきがだんだん丸みを帯びてきました。私も成長しているのだと知ってほしかった。
翌年の終わり、今度は平川のお家で大きな事件が起こりました。以前から胸を患っていた平川のおじさまが、ついに倒れたのです。毎日お医者さまや看護婦さんがやってきて治療にあたり、ついには入院までしましたが、回復の兆しはありませんでした。
再び修三郎さんが戻ってきました。修三郎さんは着くなり、お兄さまたちと一緒に病院に向かいました。おじさまはそのときにはすでにかなり深刻な状態になっていたようです。皆さまが帰ってきたのは深夜を回ってからでした。
今日はもう修三郎さんに会えることもないだろうと寂しく床に就くと、外でつっかえ棒を外す音がしました。何だか怖くなり、布団を胸元まで引き上げると、入ってきたのは修三郎さんでした。
「どうしたの、こんな夜更けに......」
「静かに」
修三郎さんは私の声を鋭く遮りました。
「詳しいことは後だ。一緒にここから逃げるぞ」
夜着を着替えさせてもらう間もなく、修三郎さんの羽織と外套を二重に掛けられて、その肩に軽々と負われました。「自分で歩けるわ」とはね返そうとしましたが、どんなことも言わせない険しくてせっぱつまった雰囲気を修三郎さんは纏っていました。背負われた私はふと、自分が成長したと思ったことが無性に恥ずかしくなりました。私は修三郎さんに比べれば、まだあまりにも小さいままでした。
外は雪こそ降っていなかったものの、ひどく冷えこんでいました。入口に置いたトランクを取って、修三郎さんは歩き出しました。夜は静かでしたが、まるでわざと息を殺しているような不自然な静けさにも感じられました。私たちは中庭を横切って裏門に到達しました。
裏門の手前に、白く浮かび上がる影がありました。修三郎さんが足を止めないながらも、ぎょっとしたのがわかりました。よく見ると、それは看護婦さんの服を着た小柄な女の人でした。きっとおじさまのお世話にあたっている方でしょう。私はこんなわけのわからない時なのに、きちんと成長した、きれいな大人でいいなぁと呑気なことを考えてしまいました。
「くれぐれも、お願いしますよ」
私は最初、女の人は通せんぼをするつもりなのかと思いましたが、修三郎さんと私を交互に見つめて、ひそめた声を掛けただけでした。修三郎さんは「わかっています」と頷くと、そのまま彼女の前を素通りしました。会話はそれだけで終わりました。
門を出て、真っ暗な道を進みました。このまま駅を目指してひたすら歩いて、始発の電車に乗るのだと言います。喋るたび、澄んだ空気の中を真っ白い息がやけに生々しく上がっていきました。季節も状況も全然違うのに、昔、修三郎さんと土手を歩いたことを思い出しました。耳をすませばお囃子の音が聞こえてきそうな気もしました。
「お願いって、何?」
私は女の人が私のほうも見ていたことが気になって、尋ねました。
「後で話すよ」
「あの人は誰?」
ざっ、ざっ、と足音が張り詰めた空気にやけに大きく響きます。修三郎さんはその足音に本人のほうが引っぱられているみたいに前のめりになっていました。
しつこく質問して、もしかしたら怒らせてしまったのではないかと不安になる沈黙が続きました。
やがて、修三郎さんは答えてくれました。ですがその答えは、まったく意外なものでした。
「わからないんだ」
修三郎さんは相変わらず、まっすぐに前を見据えています。
「......ただ、本人は終わりの神様と名乗っていた。ふざけているだろう、神様だなんて」
今度は私のほうが、何と答えたらいいかわからなくなりました。
(続く)
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